「7つの習慣」を読んで(その2)

前回のブログ記事で、次回は本編に入ると書きましたが、今回も第1章から感じた感想を書きます。

読まれている方は、違った感想をお持ちになるかもしれませんが、この記事はあくまで私個人の感想ですので、ご容赦願います。

 

「原則」を考える。

貴方は、人生の「原則」を考えたことがあっただろうか?

私は「7つの習慣」を読むまで、「原則」など考えもしなかった。

そんな考えもなかった。

人生の「原則」とは何なのだろう。

本書では、原則が無ければ、人生に「成功」は無いとまで書かれている。

 

人生の「原則」は変わらない。

人生における「原則」は不変で絶対的なものであるそうだ。

私は63年の時間を生きてきた。この時間も「原則」なのであろう。時間は誰に対しても同じである。1日が24時間であることは、誰にとっても変わらない。そして、公平である。

「時間とお金はどちらが大切か」という質問がよく書かれている。

お金は「原則」にはならない。

「何故なら、その時で価値が変わるからである」と私は思った。

しかし、本当に大事な「原則」は、時間以外にもあるのではないだろうか。

例えば、「誠実」とか「正直」も原則ではないだろうか。

そう思うと、私は「原則」に則って生きていない。

確かに、いつでも「正直」に生きていることは出来ない。時には、敢えて「偽り」を言う事もある。

だけど、その根本には「正直」な心を見失ってはいけない。

あとどのくらい生きられるか解らないが、これからの人生は、人生の「原則」を意識して、自分に偽りのない生き方をしたいと思う。

 

今後の人生の目標を決める。

私は、これからの人生の目標として、「健康に留意して、奉仕の精神を忘れず、楽しく人生の終焉を迎える」こととしている。

まずは「健康」でなければならない。これからの人生を有意義に進めるには、「健康」が大事である。健康でなければこれからの人生を楽しむことも目標を達成することも出来ない。そして、「奉仕の精神」を持つことで人のために何かを貢献することで、自分が生きてきた証を残したいと思っている。

そして、人生が楽しかったと思いながら終焉を迎えたい。

 

自分を磨く。

目標を達成するためには、自分を律して磨きあげなければならないと思った。

今までの人生は、他人の為とは思わないが、自分だけの時間として使ってきた訳ではないと思える。

会社という組織に貢献をし、家族を養うために自分の時間を割いてきたことは否めないと思う。

それは、「やらねばならない」事として、行動をしてきた。

しかし、これからの人生は「やらなければ、やらなくてもいい」ことも沢山ある。

無理をして働かなくてもいいし、緊急で処理をしなければならない事も、あまり多くはない。

となると、1日の時間を無駄に使ってしまうことが増えてしまう事になる。

だから、自分を律して磨きを掛けることを意識しなければならない。

 

そのためにはどうするか。

人間は怠惰な生き物である。特に私は怠惰な傾向がつよい。時にはやらなければいけない事も忘れてしまう。

だから、自分のやるべき事を決めて、主体的に動かねばならない。

そして。自分を成長させなければならない。

現在は60歳を過ぎても、悠々自適に生活が出来る方は少ないと思う。

が、どうしても、会社からリタイヤしてしまうと自分が何をしたらいいのかと迷ってしまう事もある。

誰かの人生を羨んで、真似をしようと考えることもあるだろう。

そんな時、人生の「原則」を考えることが大事なのではないかと思った。

いままでは、誰かが引いたレールに乗って歩んでも、それなりに進むことが出来、人生を謳歌することも出来たと思う。

だけど、これからの人生は自己責任で進んで行かなければならない。

 

再就職をして、新たな職場で業務に従事できるチャンスを得たとしても、60代以前のようにはいかないと思っている。

それは、社会の仕組みがそうなっているからで、私には変えることのできない事実である。

であれば、その事実(現実)を直視し自分のやりたいことややらねばならない事を見つけて人生を謳歌することが重要ではないかと思っている。