「認知症」を学ぶ

9月の第2週目の日曜日の早朝。

外気は、完全に秋に変化しています。

今年の夏が異常に暑かったせいか、秋が急に訪れた感が強く感じられるのは私だけでしょうか。

 

さて、先週の6日から8日まで、暫くぶりに早稲田まで通いました。

7月から入職をした会社で、新人研修を受けてきたのです。

何と63歳で新人研修を受けさせてくれる会社なんて、今でもあるんですね。

都内へ行くなんて想定もしておらず、ましてや新人研修なんて考えてもいなかったので、3日間は新鮮な気持ちで過ごすことが出来、とても楽しかったです。

さらに、研修最後の午後には試験まで用意されており、私は40問中38問を正解することが出来ました。

そのうち1問は正解していたのに、答えを変えてしまい、その結果間違ってしまったのです。

もう1問はひっかけ問題で、まんまと引っかかってしまいました。

 

そして、その研修のカリキュラムの中に「認知症」を学ぶ時間が2時間も組み込まれていました。

私も今年の10月には64歳になりますので、「認知症」は他人事ではありませんし、私の住んでいる地域では、拡声器から地域の情報(火災発生や光化学スモック発生、老人の行方不明等)が報じられます。

殆ど、何を言っているのか解らないのですが。

その放送で、老人の行方不明の情報が流れることがあります。

認知症」による「徘徊」です。

数時間もすると「見つかりました」と言う放送が流れるのですが、その間の家族の心配は計り知れないでしょう。

 

で、今回の記事は「認知症」について、書いてみたいと思います。

しかし、私は医師ではありませんので、「認知症とは」なんて記事は書きません。

今回の内容は

俺、「認知症」予備軍かなと思うとき

家族(妻と愛犬)が「認知症」になったら

です。

では、早速、本題へ移りましょう。

 

俺、「認知症」予備軍かなと思うとき

 

まずは、自分の事から考えてみましょう。

最近の生活の中で、自分が認知症の予備軍(MCI)と感じた事がありました。

ふとした時に、物忘れがでることがあったのです。

例えば、「人や物の名前が出てこない」という事です。

しかし、この状態では「認知症」の予備軍。

正式名称は「軽度認知障害(MCI)」ではないそうです。

そうはいっても、たまにありませんか。

「あれ、俺、なんで寝室へ来たんだっけ」なんて事。

それから、頼まれた買い物や用事をすっかり忘れてしまい、「役に立たないね」って、嫁にバカにされたこと。

そんな時、「あれ、俺って認知症予備軍」って思ったりしませんか。

 

もし、この後「あっ、そうだ。あれを取りに来たんだ」とか、「あっ、いけねっ。すっかり忘れていた」と、忘れた事を思い出すことができれば「認知症予備軍」ではないそうです。

この症状は単なる「物忘れ」症状で、正常な老化の範囲だそうです。

40歳を過ぎれば、たまにある事ですよね。

 

しかし「認知症」は、「何をするために寝室へ来たのか」ではなく「寝室へ来たという事すら解らなくなる。つまり、何かの用事で寝室へ来たのですが、その用事があったことすら忘れてしまうのです。

なので、用事を頼まれたことも忘れてしまうから、軽い認知症の場合は妻に用事を頼まれた事を忘れてしまうので、「そんな事は頼まれていない」と返答してしまい、喧嘩になってしまうことになるのです。

 

でも、この程度なら妻も「仕方ない。私の話を上の空で聞いていたから忘れちゃったんだろう」と思い、それ以上詮索することはしないでしょう。

それに、こんなことはたまにはある事ではないでしょうか。

私は、言われた事をすっかり忘れてしまって、頼まれたことさえ覚えていないことはありますよ。(これって、やっぱりヤバいのかな?)

 

もし、このような症状が頻繁に起こるようであれば、「軽度認知症(MCI)」を疑ってみるのも大切な対応かもしれません。

何故なら、この「軽度認知症(MCI)」の段階では、「認知症」にならないで済むかも知れないからです。

つまり、早期であれば発症を防ぐ事ができるようです。

 

でも、自分が「認知症予備軍」ということを病院まで行って確認するのは勇気がいりますよね。

それに、面倒くさい。

もし、違っていたら気恥ずかしいし、時間とお金が勿体ない。

 

解ってますよ。そうならないために事前に通院して診断を受けるのは、自分に対しての投資ですから、時間もお金も使うべきであることは。

でも、出来ますか。

まず、認知症専門医が、近所の病院に居るかが解りません。

もし、居なければウェブサイトで検索して探さなければなりません。

今の病院は「コロナ禍」の影響で予約をしなければ受診出来ない場合もあります。

考えただけでも面倒くさい。

 

でも心配です。

と言うのも、私は幼少の時の高熱の影響で20代の頃、何度か「引き付け発作」を起こした経験があり、大学病院で脳のMRI検査を受けた時、「脳表面の細胞が死滅しているところがある。さらに、脳が若干、委縮している」と言われたことがあるんです。

その時は「あっ、そうですか」と言うような答えをして、医師もそれほど深刻に考えなかったのでしょう。その後は、その件には触れずに1年位、定期的に脳波検査をしましたが、発作の脳波の異常もなかったので、寛解と判断され通院も投薬の無くなり、その後は「引き付け発作」もありません。

最後の医師の診断は、「ストレスによる突発性発作」でした。

 

でも、最近は65歳になったら一度、脳の検査を受けようかなと思っています。

その際に、「認知症」の検査も受けてみようと思っています。

 

というのも、「認知症」は進行がゆっくり進行するため、少しづつ自分を見失っていくので、もし発症してしまえば、家族に迷惑を掛けることになります。

そうならないためにも、早めの対応を取ろうかなと思っています。

だって、嫌じゃないですか。生きているのに自分が壊れていくのって。

何のために長生きしているか解らないじゃないですか。

 

家族(妻と愛犬)が「認知症」になったら

 

自分が「認知症」にならないように注意をすることは、自分の問題なので自分で行動を起こすことができますが、家族が「認知症」になってしまった場合も考えておかなければなりません。

我が家には、同じ年の妻と今年17年目を迎えた愛犬がいます。

妻は、若い頃から忘れっぽい性格なので、何かをやっていても、違うことが気になると今やっていることを辞めて、気になることを始める癖があり、よく物が置きっぱなしになっています。

本人はたまに、「あれ、なんでこれがここに置いてあるんだ」と言って、私が置き忘れているかのように、私に聞いてきます。

しかし、話をしているうちに、途中で違う事を始めてしまい置き忘れた事を思い出しているので、「認知症予備軍」ではないようです。

 

愛犬は生まれてから17年が過ぎましたので、人間でいえば80歳のお婆ちゃん(メスなんで)です。

もう、認知症が発症してもおかしくありません。妻は認知症が発症しているから、ご飯を食べた事を忘れてるし、昼夜が逆転しているというのですが、私は犬なんてご飯を食べても、ご飯を貰えるならいくらでも貰うだろうし、夜でも吠えることはあるだろうと思って、まだ「認知症」ではないと思っています。

妻と愛犬を同じような括りにするとお叱りを頂くかもしれませんが、わたしにはどちらも大切な家族です。

もし、家族が「認知症」になった場合も考えておかなければならない問題です。

「介護」という問題が発生します。私には息子がいますが、息子夫婦に介護を任せるつもりはありません。

私が、健康でいるのであれば妻の介護は私がするつもりでいます。

しかし、今の時点でこんなことを妻に言ったら「絶対に嫌だ。あんたに介護されるなら、死んだ方がまし」と一蹴されること間違いなしですがね。

なんせ、彼女は80代の女性達と一緒に健康体操をやっているので、自分の健康には人一倍、気を使っていますので。

愛犬は、間違いなく「認知症」を患うかも知れません。その時はしっかりと面倒を見てあげて、最後まで看取ってあげるつもりです。

幸い、夜はしっかりと寝てくれます。でも最近は、排尿や排便を失敗することが増えてきましたので、お部屋の中にペットシートを敷き詰めなければならなくなりました。

犬の認知症を理解して、犬の介護を学ぼうと思っています。

 

我が家の平均年齢は69歳です。

これから老々介護に突入することになると思います。