お早うございます。
今日は3月12日の日曜日。
すっかり春めいた気候になり、気温も20℃前後の日が続いています。
色々な花が咲きだして、出勤の途中にスマホで写真を撮ることが増えました。
やっぱり、花はいいですよね。
気分を和ませてくれます。
家々の前に色とりどりの花が咲いていると嬉しくなります。
昨日は3月11日。東日本大震災が発生した日です。
12年の歳月が流れたと報道されていますが、震災で家族や友人を亡くされた方の思いは癒えることは無いでしょう。
毎年3月11日が来れば、亡くなった方を思い出し、悲しみに暮れるのではないでしょうか。
突然の別れは、そう簡単に癒されるものではありません。
当事者の手記を読ませて頂き、その悲しみは癒えないんだということを再び認識し、亡くなった方の無念も消えることは無いだろうと心が痛みます。
私はその日、都内で仕事をしており、客先で商談を済ませて次の商談までの空き時間を喫茶店で過ごすために入店して注文した物を持って席についた時でした。
大きな揺れが始まり、周りの客は店を飛び出して行ったことを覚えています。
私は、揺れが止まるまで席を離れず、周りの状況を見ていました。
大きな揺れは2度起こり、建物は軋み天井からぶら下がっていた照明は大きく揺れていました。
大きな地震が起こったと思いましたが、まさか、あのような大きな津波が起こっているとは思えず、喫茶店を出てビルのエントランスに有ったテレビを見て、一体何が起こっているのかが理解できませんでした。
歩いている道には多くの方がいて、何人かの方はヘルメットをかぶっていたことを覚えています。
歩いている途中でも余震で電線が大きく揺れ、ビルのガラスがひび割れや割れて落下していたことも覚えています。
多くの方が帰宅できず、色々な場所で一夜を過ごしていました。
私も、ある場所で一夜を過ごし、翌朝の電車で帰宅したことを覚えています。
私は幸運にも翌朝の8時には自宅へ戻ることが出来ましたが、多くの方は何時間も掛けて歩かれていました。
あの日から12年が経ちましたが、あの日の記憶は消えることなく鮮明に蘇ります。
この震災は原発事故という、大きな被害を併発させてしまいました。
津波の被害も甚大でしたが、この原発事故は津波の被害を受けなかった方々に、とても辛い思いをさせた事故になってしまったのです。
原発施設の爆発により、放射能汚染が発生して、住み慣れた住居を離れなければならなくなり、家族同様に過ごしていたペットや家畜を置いていかなければならない思いは、津波で家族や知人を亡くした方と同じくらい、辛い思いをさせてしまったのではないでしょうか。
生きているのに会う事が出来ない。
ご飯を上げることも出来ない。安否が心配で眠れぬ夜を何度過ごしたことでしょう。
その思いを考えると胸が締め付けられる思いです。
自然災害により発生した不幸な事故ではあったのでしょうが、その犠牲になった方々の思いをどこにぶつければいいのでしょうか。
住み慣れた土地を追われ、見知らぬ土地で避難生活をしなければならなくなった方は、大変なご苦労をされたのではないでしょうか。
また、3月ですので晴れて卒業をされ、4月から新しい生活を控えていた方々の未来も大きく変えてしまったことになりました。
仲の良かった友達と希望に満ちた学校生活を一瞬にして断ち切られ、その後何年にもわたり避難生活を過ごさなければいけなくなった方々の思いは想像を絶する思いだったと推察され、その辛さを考えると目頭が熱くなります。
思えば4年ほど前に発生した「コロナ禍」も同じで、今迄の当たり前の日常が大きく変わってしまい、自分の思い描いた将来を変えなければいけない事になってしまったのです。
東日本震災や45年前の阪神淡路震災、数年前の熊本大地震、海外の事ですがトルコで発生した大地震と地震による被害は一瞬にして多くの方々の人生を変えてしまいます。
自然災害や戦争などの人災を忘れることなく、自分の人生をしっかりと生き抜いていきたいと思います。