急がなくなった

お早うございます。

 

今日は7月5日の日曜日です。

時間は午前3時40分

外はまだ暗いです。

というか、今年は6月の梅雨シーズンは雨が多くて、太陽を見ることが少ないです。

気温も上がらず、昨年のような真夏日(30℃以上)は殆どありません。

 

ブログの更新がだいぶ時間が空いてしまいました。

「自分のペースで過ごしたい」と思うようになってからは、怠惰と言えるほど急がなくなり、やりたくないことはやらないようになってしまったのです。

その結果がブログの更新や、絵を描く時間に出てしまい、ブログの更新が出来なくなっていました。

しかし、60代の後半からはそんな生き方でいいのかなと思っています。

60代前半までは、「何かをやらなくては」という思いが強く、常にやることを求めていたような気がします。

ですが、今年の初めに入院をして、かなり大きな手術をして、以前のように身体も動かなくなり、歩くスピードも遅くなりました。

すると、「何故、あんなに急いで歩いていたんだろう」という疑問が浮かんだのです。

いつも何かに追われるように急いで歩いて、あれもやらなければ、これもやらなければと思っていました。

現役時代は結果を求められるし、成果を上げなければ評価が下がるので、致し方なかったのですが、60代後半は成果も結果も求められません。

だから、自分のペースで生きて行けばいいのです。

この事に気付かされたのも手術をしたお蔭かも知れません。

それまでは、自分で結果を求めていました。

「これをやったんだから、その結果はこうなるはず」なんて考えていた自分がいたのだと思います。

だから、そのような結果にならないと、自分のなかにストレスを作ってしまっていたのかも知れません。

長年の習慣というのは、そう簡単に抜けないものです。

しかし、60代後半からは「結果」なんてものは求めなくていいのです。

自分のペースで1日を生きていくことが大事なのではないでしょうか。

自分にとって心地よい生活のペースを作っていくことが60代後半には大事だと思います。

 

ここで勘違いして欲しくないのは、家族に迷惑を掛けるような行動はしてはいけません。

自分のペースで生きたいからといって、朝食の時間を自分勝手に変えて、奥さんに迷惑をかけるような事はしてはいけません。

自分勝手に生きるという事は、誰かに迷惑を掛けることではないのです。

家族の生活リズムと自分の生活リズムが違うのであれば、自分の生活リズムは自分の中で調整するのです。

私は、夜は早くに寝室へ行きます。居間は奥さんに明け渡してしまいます。

観たいテレビ番組は事前に録画予約をして、自分の時間で観るようにしています。

朝食も自分で作るようにしています。

自分の食べたい物を自分で購入して、自分の時間で食べています。

私は平日の昼間は殆ど家に居ません。

仕事をしているからです。

仕事といっても結果を要求されるような仕事ではないので、自分のペースで仕事を進めることが出来る仕事です。

だから、急ぐ事はありません。

自分のペースで仕事をしています。

最近、学んだ事は「やり過ぎない事」です。

以前は、「あれもこれも」と思っていましたが、今は「今日はこれだけやる」と決めて仕事をしています。

すると心に余裕が出来て、今まで見えなかったところに目が行くようになります。

 

生き方には正解はないでしょう。

私は「急がない」生き方を選択しました。

歩くスピードも遅くなったので歩いていると、色々なものが見えるようになりました。

紫陽花が終わりを迎え、朝顔が咲きだしたこと。

昨日はあるお宅の庭に桔梗が咲いていたので、写真を撮りました。

 

年齢を重ねると、若い頃のように身体が動かなくなります。

だから、ゆっくりと歩き色んなものを観てみる楽しみを見つけるようにしています。

 

近所に咲いていた朝顔が綺麗だったので、つい写真に収めてしまいました。多分、学校で栽培した朝顔を持って帰ったのでしょう。もうすぐ夏休みですね。

 

何故?

お早うございます。

 

今日は2月23日の月曜日です。

天皇誕生日で祝日ですね。

今日は、暖かい1日になるそうです。

 

先月の後半は入院生活を送っておりました。

人間の身体とは不思議なもので、蘇生能力があるお蔭で、傷もすっかり癒されました。

今までずっとあった左肩から肩甲骨への鈍痛も、だいぶなくなりました。

手術の成果ですね。

執刀して頂いた担当医や献身的に看護をして頂いた看護師の方々には、本当に感謝しております。

でも、退院してきて日常に戻り、いつものように出勤や勤務をしていると、なんで人間はこんなにも身勝手な振る舞いが出来るのだろうと思う事があります。

例えば、以前も書いたかもしれませんが、通勤電車でどう見ても優先席を必要としない方が堂々と座って、さらに隣に座らせたくないのか、体を斜めにして足を組み、真ん中の席に座れないようにしている人がいます。

前には、高齢の方がいても知らんぷりで携帯を観ている。

何故なんでしょう。

そうかと思えば、杖をついている方を見つけると、優先席でもないのに席を譲ろうとされる方もいます。

同じ人間なのに、なにが違うのでしょうか。

人は見かけでは解りませんから、元気なようでも何か病気がある場合があります。

が、なにも足を組んだり、隣に荷物を置いたりすることはないでしょう。

何故、このような行動になるのかが解りません。

解らないというのは嘘です。

単純に座らせたくないのでしょう。

しかし、だからといって、許容される行動ではないと思います。

しかし、このような行動を取られる方に、正論で諭しても意味がありません。

却って、嫌な思いをするだけです。

それが、とても残念でなりません。

そして、その方を変えることなど絶対に出来ないのですから。

 

細かい事ですが、ゴミ置き場にその日の回収でないゴミを置く方がいます。

明日にそのゴミが回収されるのなら、仕方ない事ですが、1週間も後の回収なのに、置いていく人がいらっしゃいます。

その方は悪気がある訳ではないのかも知れません。

自分の家で不要になったゴミですから、ゴミ置き場に持ってきただけなのかも知れません。

誰の迷惑にもならないでしょう。

まして、そのゴミが生ゴミではなく不燃ゴミならなおさらでしょね。

でも、どうなんでしょうね。

何故、ルールを守らないのでしょうか。

回収日の前日まで、自宅の邪魔にならない所へ置いておけばいいだけのようにも思うのですが。

 

多分、そのような行為をされる方は、自分にも言い訳をしているのではないでしょうか。

「誰の迷惑にもなっていないんだから、別に早く出してもいいでしょう」なんてね。

 

ほんの些細な事ですが、自分を誤魔化してしまっていると、本当の自分が見えなくなってしまうのではないでしょうか。

 

それって悲しい事じゃないでしょうかね。

 

ショウビタシを描いてみました。
もう、見かける事はなくなりましたかね。渡り鳥なので関東近辺で観れるのは、3月位まででしょうか。
この絵もフリー画像を参照しています。
山歩きは、まだ難しいですね。
自宅で習作として取り組んでいます。

 

退院してきた

お早うございます。

 

今日は1月30日の金曜日です。

時間は午前3時。

 

暫くぶりにブログの記事を書いています。

今年になって初めてに執筆です。

 

お蔭様で1月27日、無事に退院をしてまいりました。

1月15日に入院したのですから、月の前半はいつもと変わらない生活をしていたのでしょうが、ブログ原稿の執筆はしていなかったようですね。

 

今回のブログは入院生活を振り返って、原稿を書かせて頂きます。

 

私の病気は「頸椎症性脊椎症」という、首の頸椎に「骨棘」という不要な骨がとげ状に出来てしまい、脊椎の中の神経を圧迫してしまい、腕の麻痺や歩行困難などの運動障害を発生させてしまう病気でした。

この病気は決して珍しい病気ではなく、誰でも罹患する病気です。

誰でも罹患すると言っても、感染症ではありません。

あくまでも個人の体質でタンパク質などが固まりやすく、その固まったタンパク質が骨の棘になりやすいと言う病気です。

さらに、同じような症状になっているにも関わらず、自覚症状がなく、痛みや運動障害と言った症状が出ない方もいるそうです。

私の場合は、肩甲骨から左の首筋の痛みは40代の頃からあったのですが、当時に通院した整形外科では病名が判明せず、頸椎性ヘルニアと診断され、頸椎を引っ張ることにより、痛みの緩和治療だけでした。

ですから、20年以上に渡り、左肩から肩甲骨への痛みがあったのです。

それが痛みだけでなく、左腕に力が入らなくなり、左腕が肩より上に上がらなくなると言った症状が昨年の6月から急激に発症し、近所の総合病院の整形外科に通院したことで、大学病院で手術を受けることになるきっかけでした。

近所の総合病院で、MRI検査を受けた際に頸椎に骨棘が出来て、脊椎内の神経が圧迫されていることが判明しました。

が、残念なことにその病院では、この病気の治療が出来ないと言われたのです。

理由は、脊椎専門医がいない事と、居たとしてもこの病気を治療する環境が無い事でした。

で、別の総合病院に紹介状を書いて頂いたのですが、そこには脊椎専門医はいたのですが、この病院もこの病気の治療が出来る環境が無いとの事で、大学病院を紹介されたのです。

その大学病院は自宅から道路が混んでいなければ40分位にある病院です。

その大学病院は脊椎専門医も沢山従事しており、治療や手術の環境も整っていたので、診察を受け、手術をするという事になりました。

確か9月位から通院を始め、CT検査、レントゲン撮影や筋電図検査などの検査を受け、左腕が上がらなくなった原因は頸部に出来ている骨棘による脊椎の圧迫と診断され、手術をすることになったのです。

しかし、左腕が上がらなくなった原因は、骨棘による神経の圧迫だけではなく、加齢による筋力の低下も若干はあるため、手術をしたからと言って、急激に腕が上がるようになる訳ではないと担当医師から伝えられていました。

さらに、左頸部から肩甲骨への痛みも手術後すぐに改善されるとは限らないとも言われていました。

要は症状の悪化を防ぐための手術であって、現状を改善するための手術ではないとのことです。

このまま、放っておけば近い将来、腕は完全に上がらなくなり、場合によっては歩行も困難になる可能性があるとの事でしたので、手術を受けることにしました。

 

さて、実際に入院から手術迄(1日しかないのですが)や、手術後の状況は、また次のブログでお伝えしたいと思います。

というのも、長い事キーボードを打っている作業は、結構、負担があるようで首に痛みが出てしまうので(まだ退院して3日目で傷は癒えていますが、首筋に無駄な力が入ってしまい痛みが出るのです)、今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

 

牡丹を描きました。まだ寒い時期ですが、敢えて赤い牡丹を描いてみました。ただ、牡丹を描くだけではつまらなかったので、スパッタリングを試してみました。ちょっと遣りすぎとは思いましたが、やっちゃったので仕方ないと諦めました。が、これはこれで「まあ、いいか」と思っています。

 

今年も残り4日となる

お早うございます。

 

今日は12月28日の日曜日

時間は7時45分

寒い朝です。外気温はマイナス2.3℃だそうです。

室内も16℃程度です。

ストーブを使っていなかったので、室内もひんやりとしています。

 

さて、今年も残り日数が4日となりました。

しかし、私の中ではあまりそんな意識がありません。

そのくらい、街中に師走の雰囲気が感じられないのです。

通勤時間30分で利用駅も最寄駅と勤務地の最寄駅だけなので、住宅地の駅ですので商店街もありません。

なので、歳末売り出しなどのイベントを感じることもないからでしょうか。

そういえばクリスマスもいつの間にか終わってしまいました。

孫にプレゼントを購入したのですが、いまだに届きません。

イギリスから取り寄せたのがいけなかったようです。

年内に届くでしょうか。

まあ、年明けなら新年のプレゼントにしようと思っています。

 

さて、ありきたりですが2025年を振り返ってみますか。

私の2025年は身体のメンテナンスの年になってしまいました。

すでに、ブログでお伝えしているように、5月の連休は病院で過ごし、その後は病院でm難病と言われ大学病院での診療の結果、難病ではなかったけど1月に手術をすることになってしまいました。

私自身は、歩くときに若干のふらつきが生じる程度で、生活に大きな支障がある訳ではありません。

しかし、放っておけば歩行に支障が現れたり、腕が上がらなくなってしまうという事なので、まだ体力があるうちに手術をしようと決断しました。

年齢が上がると全身麻酔での手術は困難になるそうです。

であれば、今のうちに手術を受けたほうが良いと判断しました。

しかし、今回の手術は症状を改善するための手術ではなく、これ以上進展しないための予防の手術です。

ですから、現状の症状である左腕が上がらない症状やふらつきを無くす手術ではないそうです。

という事は、手術後に何かが改善される訳ではないということです。

医師は、正直、簡単な手術ではないと言っています。

頸椎の神経の通っている骨を削って、骨棘で狭くなった脊椎管を広げるそうですが、骨棘は削除できない場所なので、そのまま残すそうです。

なので、骨棘が肥大すればまた脊椎管が狭くなり神経が圧迫される可能性があるそうです。

なので、脊椎管を広げて時間稼ぎをするための手術ですが、脳から伸びている脊椎管内の神経のすぐそばの骨を削る訳ですから、もし神経に傷を付けてしまえば、身体のどこかに支障が出てしまう事になります。

あり得ないとは思いますが、最悪寝たきりになる場合もあるようです。

ちなみに頸椎症性脊椎症は、加齢に伴い発症する病気なので罹患率は高い病気です。

しかし、症状が出る人と出ない人、症状が出ても軽い人と私のように部位にはっきりとした障害が出てしまう人と、個体差があるそうです。

私の場合は、運悪く症状が出てしまった訳です。

なので、手術が必要になってしまったのです。

 

と、今年を振り返ると身体に大きな障害が現れた年になってしまいました。

しかし、負け惜しみではなく、私は今年で良かったと思っています。

今年に発症した事で病院にも恵まれ、また手術をする機会を得ることが出来ました。

確かに発症しなければ、こんな事にはならなかったのですが、なってしまったのですから仕方ありません。

であれば、この半年で病名が明確になって、適切な病院に巡り合って、しっかりとしたケアのできる病院で治療を受けることが出来るのは有難いことです。

来年(2026年)は、治療も続くかもしれませんが、働くことも続けられると思いますし、充実した年にしたいと思っております。

まだまだ、働きたいですしやりたいことも沢山あります。

1月の後半はブログの更新が出来ないと思いますが、2月には再開したいと思っています。

入院から手術、リハビリの様子をお届けしようと思っております。

 

梅にメジロの絵です。メジロが暗くなりすぎてしまいました。仕上がりは残念ですが、季節は丁度合っているのかなと思います

 

全ては自分の中にある

お早うございます。

 

今日は12月21日の日曜日です。

時間は午前6時です。

外はまだ真っ暗です。が、今日はいくらか寒さが和らいでいるようです。

 

2025年も残り10日となりました。

今年は暑さも厳しく、そして、10月を過ぎるとエレベータのように気温が低下して、寒く成りました。

そうかと思えば、昨日のように10月中旬の暖かさになる日(私の住んでいる関東ではさくかったですが)もあるという、安定しない気候です。

 

天候は私達人間の思うままにならないものです。

いくら「暑い」と言っても、涼しくはなってくれませんし、寒いと言っても冬になれば寒くなるものです。

また、そうでないと困ってしまう事もあります。

しかし、人間はわがままなもので、暑い時は「早く涼しくならないか」と思い、寒くなると「早く春が来て暖かくならないか」と思うものです。

私もそのように思う1人です。

しかし、暑さや寒さの感じ方は、人それぞれによって違うようですね。

極端に暑かったり寒かったりした場合は、そんなに差はないでしょうが、その対応に仕方には大きな差があるのではないでしょうか。

暑さが苦手な人は、ちょっと暑くなっただけで汗をかいてしまい、動くのも嫌になってしまうし、相当暑くならないと汗もかかない人は、涼しい顔をして過ごすことができるでしょう。

寒さも同じですよね。温度計の数字は絶対温度ですから、誰が見ても20℃は20℃ですが、体感温度は千差万別ですよね。

20℃を暑いと感じ、薄着になる人もいるでしょうし、丁度良い気温と感じるひともいるでしょう。

つまり、感じ方は人それぞれによって違ってくるという事なんですね。

という事は、物の見方や感じ方、また捉え方は人それぞれで違うということですよね。

私は甘い物が好きなものですから、お萩や牡丹餅も大好きなんですが、私の妻は嫌いだそうです。

どうしても、お米にあんこをくるんでたべるのは苦手なんだそうです。

つまり、甘いご飯のおかずは苦手なようです。

卵焼きも、甘い卵焼きは駄目だそうです。

なので、我が家の食卓には甘い煮豆がおかずとして並ぶことはありません。

煮豆は煮豆だけをおかずではなく、おつまみとして食べる(そもそも食べないそうですが)と考えているようです。

でえすが、サツマイモの天ぷらはたべるのですよ。

私はサツマイモの天ぷらは苦手です。

これは甘いからではなく、口の中でモソモソしてしまう感覚が苦手なんです。

甘さ自体はとてもいいのですが、サツマイモのモソモソ感が好きになれません。

おもしろいですね。

 

さて、という事はそのような感情は全て自分の中にあるという事になりますね。

「感情」とは「喜怒哀楽」が代表的ですが、

それ以外にも「嫉み」、「妬み」という「嫉妬」の感情もあります。

「嬉しい」や「喜ぶ」感情は、第三者から見ても嫌な気にはなりませんが、「怒り」や「哀しみ」は周りの人にも「辛さ」や「不快感」を与えます。

特に「怒り」は他人へも伝染することがあり、周りにいる人も巻き込んでしまう場合もあります。

私は、つい最近まで「感情」は自分の外側の事象によって起こるものと思っていました。

何かの原因があり、その原因が元で「喜怒哀楽」が現れると思っていたのです。

確かに、何かの原因があって「喜怒哀楽」が生まれるのでしょうが、その反応の度合いは人によって違いますね。

ちょっとした事でも烈火のように怒り出す人もいれば、「そこは怒る所でしょう」と思うような時でも、平然としている人もいます。

そこにその人となりが出るのでしょうが、では何が違うのでしょう。

怒らない人は、ただ鈍感なだけなのでしょうか?

すぐに悲しむ人は、単に泣き虫なだけなのでしょうか?

 

私は仏教を勉強したことで、この事について考えるようになりました。

私自身の事で考えると、「気が短い」性格だと思ったのですが、小さい頃はそんなに「気が短い」とはいえませんでした。

では、なにが影響するのでしょうか。

仏教では、「執着」が大きく影響すると言われています。

「執着」とは、「拘り」とも言えるでしょう。

私はいつの間にか「拘り」が強くなり過ぎていたのです。

たとえば、「優先席や座席を必要とするような人がいるなら、率先して席を譲るべきである」とか「混んでいる電車の中では足を組んで座るとか、足を投げ出して座らない」などに異常な嫌悪感を抱いてしまい、そのような行為をする人に対して許せない感情があったことです。

確かに、あまり好ましい行為ではないでしょうが、そのような行為をするのはその人であり、私には全く関わりがないことで私がその人を諌める立場ではないことが解らなかった(諌めるべきと思い込んでしまった)のです。

その他にも、自分の思っておるような状況になっていないと、その状況に不満を抱いてしまい、怒りやイライラが生じてしまい、周りの人に八つ当たりをしてしまったのです。

 

ですが、本来はそこまで不機嫌になる必要はなかったのです。

今は、「その行為はその人がやっていることで、私はなんの被害も被っていない」と考えれば、そこまで怒りは無かったと思います。

 

つまり、全ては自分の中に原因があったのです。

そして、「怒り」は私の身体にも影響しました。

思うようにならない事でストレスが溜まり、体調を壊してしまう事もありました。

周りの人ともうまく行かなくなり、孤独感や疎外感を感じて悩む事もありました。

 

全ては私が「無知」であったからです。

仏教では「無明」と表現されます。きちんとした知識が無いために間違った感情に縛られ、間違った行為をしてしまうことが「無明」です。

67年の月日を生きてきて、やっと得ることができた知識です。

 

あまり、細かいことに拘らず、他人の行動は他人のもので、自分が自由に出来ることではないという事を理解して、不用意に人の行動を制約することをせず、その人の行動や言動にもその人なりの理由があるという事を意識してあげることが大事であるという事を学びました。

明らかに法に触れる行為を見逃すという事ではなく、あまりに身勝手な執着を手放し、極端な考えをしないようにすることが、人生には大事なことだという事を仏教は教えているのだという事を知ったのです。

 

人によっては、厳しい戒律や修行を持って教えを習得するという方もいますし、そのように考える方もいますが、仏教だけではなく宗教とは人間が生きていくうえで、如何に苦しみを軽減することが出来るかを教えているのではないでしょうか。

 

紅梅と小鳥を描いてみました。今年になって初めてのブログの更新です。1月の後半は入院ん生活をしていました。もう、梅が咲きだしているという情報も流れていますね。春はもうじきやってきます。花の咲く季節の到来ですね。さて、次は何を描こうかな

 

体調を崩した

お早うございます。

 

今日は11月30日の日曜日です。

時間は午前5時10分。

今年も残り1ヵ月となりましたね。

私の感想では「速い」と感じました。

1月から4月位までの記憶ははっきりしていないのですが(ボケている訳ではありません。病院には通っていましたが、それほど変化が無かったので、印象が薄いだけです(笑))、5月からは、今までの人生で一番と言えるほど変化があった年ですね。

と言っても健康に関してですがね。

 

20代の頃にも体調を崩して、大学病院に通院した事はありますが、その時は若かったせいか、あまり重大に考えていませんでした。

しかし、今年はちょっと考えさせられました。

と言うのも、私は健康な高齢者を目指していたのです。

出来るだけ病気をせずに、毎日を過ごすことを目標にしてきました。

なので、出来るだけルーチン化した日常を過ごすように、定年後も働き続けているのです。

働いていれば、日常がルーチン化出来るので、毎日が同じリズムで過ごせます。

毎日、約7,000歩は歩くことも出来ますし、人と接することも出来るので、適度に会話も出来ますし、頭を使うこともできます。

運動不足の解消、ボケ防止にも約立つ訳です。

 

しかし、今年は「憩室炎」や「頸椎症性脊椎症」といった、予期せぬ病気が発症してしまい、緊急入院で6日間の絶食治療、急に左腕が肩から上に上がらなくなり、力も入らなくなってしまい、さらに眩暈や転倒の症状が現れてしまい、杖を使って歩くようになってしまいました。

私としては予想もしていなかったことなのです。

高齢になってからの最大の出費は「医療費」と言われていますが、これは事実です。

今までは、病院に通院するというのは歯医者と、風邪をひいてしまい診療してもらって、薬を処方してもらう程度でした。

それが、CT検査やMRI検査、そして手術を受けるというまでになってしまったのです。

年齢を重ねると思わぬ事で医療費が発生するのだと痛感しました。

 

そして、今週は金曜日くらいから体がだるく、妙に眠気が強くなっており、何をするにも気力がありません。

今、こうしてPCに向かってキーボードを叩いているのですが、すでに眠気が差してきました。

多分、自分の中に病気に対する免疫が低下してしまい、気力が萎えてしまっているのかもしれません。

若干、咳も出るので熱はないですが、風邪気味なのかもしれません。

しかし、健康(気力が維持出来ているという意味の健康)であれば、この程度で寝込んでしまう事はなかったのですが。

しかし、昨日は午後から寝込んでしまいました。

食欲も全くないとは言えませんが、お腹がすいたので、何かをたべたいという感情はでてきません。

食べても美味しく感じないのです。

身体が重たく感じ、座っているのも辛いし、本を読む気もテレビを観る気もあまり起こりません。

ただ、ベッドに入り目をつぶっていると、いつの間にか寝てしまっているのです。

健康であれば、午後に3時間も寝てしまったら、夜は寝つきが悪くなりますが、今朝はいつもの時間に起きることが出来ず、2時間も寝坊をしてしまいました。

この状態が続くと、外に出掛けるのが億劫になり、自宅に引きこもってしまい、食事もとらずに体力が落ちてしまい、ますます老化が進行してしまうのでしょうね。

年齢を重ねると、思わぬ病気をしてしまうようです。

出来れば病院との関わりを持たぬ老後を過ごせればよいのでしょうが、そうはいかないようですね。

であれば、出来るだけ早めにメンテナンスをして、病気や老いと上手に付き合っていける老後をたのしめるようにして行きたいと思っている次第です。

 

 

檸檬の木の絵です。この作品は依頼作品です。以前にも檸檬の花の絵をアップしました。どうしても、この絵がうまく描けずに檸檬の花の絵を描いて依頼主に渡しましたが、納得して頂けませんでした。この絵は依頼主から自宅で実った檸檬の木の写真が送付されてきて、この写真を絵にしてほしいとの依頼でした。写真に特徴がなく、絵にしても面白味がなかったのですが、依頼主は初めて自宅で檸檬が実ったことを記念に絵を描いて欲しかったようでした。私は自分の描く絵の仕上がりだけを意識して、依頼主の感情を無視してしまったようです。元来、依頼を受けて絵を描く事はしていなかったので、依頼を受ける難しさを痛感しました。私自身はこの絵に満足していないのですが、依頼主は満足されたようです。

 

つい、自分を見失う

お早うございます。

 

今日は11月23日の日曜日です。

勤労感謝の日です。

時間は午前3時30分です。

外は当然真っ暗ですね。

 

早いですね。今年も残すところ1カ月と10日位になりましたね。

以前も書いたと思いますが、2025年は病気の発覚から始まった年でした。

年間を通して、こんなに病院に通った年は、あまりないと思います。

昨年の暮れに救急で入院をし、泌尿器科へ通院を始め、大きな問題は無かったのですが、5月位まで通院しました。

その通院が終わらないうちに、やはり救急対応で病院に搬送され、ゴールデンウィーク中は憩室炎で入院。

食事制限治療で6日間の絶食治療。

ゴールデンウィーク中は病院の中で、点滴で栄養と薬を投与しながら、大人しく過ごしました。

お蔭で、ダイエットに成功しました(笑)

6月には、首から左肩の痛みが酷いので、整形外科での診療を受け、結果、大学病院で来年の1月に手術をすることになってしまいました。

という事は、来年も通院が続くみたいですね。

これは、67年間の人生の中で2度目となる、自分の身体のメンテナンス時期なのではないでしょうか。

1度目は24歳の頃だったと思います。

あっ、忘れていました。

私は、生後半年くらいで、仮死状態になっていたようでした。

私自身は全く覚えていませんが(当たり前ですね)、母からは何度も聞かされていました。

で、暫く入院生活をしていたようです。

20代の頃は入院はしませんでしたが、原因不明の発作により、意識が無くなり全身に痙攣が現れるという「てんかん」のような症状を何度か発症したことがあり、横浜市立病院で治療を受けたことがありました。

が、脳波検査や頭部CT検査、MRI(当時は珍しい検査で、大変高価な検査だったと記憶しています)検査を受けましたが、原因が解りませんでした。

多分、ストレス性による発作だったのかもしれません。

現在は、当時のような発作は全く起こりません。

この症状の為、約3年間、毎月、大学病院で脳波検査などを受診していました。

 

その後は、15年位前に胆石の摘出手術を受けました。

これが私の大きな病歴ですね。

そして、現在に至っております。

全く健康な方に比べると(比べることではないけどね)、結構、大きな病気(病気かどうかは解らない症状)をしているのかもしれません。

 

しかし、私が一番、意識しなければいけないのは私の性格です。

私は、幼少の頃から負けん気が強い性格でした。

さらに、人を疑ってしまう傾向もありました。

深読みをし過ぎてしまうと言ったほうがいいのかもしれません。

それにより、ジブ自身を見失ってしまう傾向があります。

深読みをし過ぎるがゆえに、自分の感情が極端になってしまう事があるのです。

上手く、文章(いや、言葉)にすることが出来ないのですが、自分勝手に周りの状況を決めつけてしまう癖があるのです。

たとえば、私自身は身に覚えがないのに、私の行動が気に入らないと思っている人がいるとします。

そして、そのことを私が何らかの形で知ってしまうと、その人に対する感情が閉塞的になり、さらに攻撃的になってしまったことがありました。

今は、攻撃的にはならず、距離を置くようにして、さらにあまり関わらないようにしています。

しかし、何かあるとつい、自分の心の中でその人だけでなく、自分を守るためなのでしょうが、自分の周りの全てを否定するような言動や行動をしてしまう事があります。

暴力的な行動ではないのですが、身近な人(殆ど妻なのですが)に、自分のいる環境や近くにいる人を批難するような言動をすることがあるのです。

そうなると、自分を客観的に見ることが出来なくなり、思考のるつぼへと落ちてしまい、周りをきちんと見ることが出来なくなってしまうのです。

最近、私は病気の為、外出が嫌になりました。

また、まだ働いてはいるのですが、以前ほど積極的に他人とコミュニケーションを取る事を避けるようになっています。

なので、事務所に籠る傾向が強くなりました。

歩くことが億劫になっているのです。

病気による、足元のふらつきが出るようになってしまったので、清掃作業を出来るだけ最小限にし、汚れているところをピンポイントで清掃するようにしているのです。

もちろん、全体を見渡す「巡回」は定期的にしているのですが、清掃作業は時間を決めて、その場所だけの清掃を細目にするように変えたのです。

すると、ある居住者様から「管理員はいつも管理室に籠っている。清掃作業をしているところを見なくなった」というお叱りが会社に入ったそうです。

また、「管理室では、暗い表情をしていることが多く、観ているとこちらも暗くなる」というクレームもあったそうです。

このクレームは1人の居住者様からだったそうです。

しかし、このことを妻に「どこから見ているのか解らないが、わざと管理室を遠目からのぞき、そんなクレームを伝えるのは恐ろしい」と話したら、「それはあなたの中にも同じ気持ちがあるからでは」と言われました。

 

私は妻から言われたこの言葉を聞いて、内心驚きました。

自分は自分のやり方で作業を行い、業務は全うしていると思っていたので、そんなクレームを言われるとは思っていなかったのです。

しかし、人の思いは千差万別ですね。

自分の考え方が完璧な考え方であるとは限らないのです。

たとえ、その方法が間違っていないとしても、人の捉え方まで否定することは出来ないし、また、私の中におごりや甘えがあったのかもしれません。

だからと言って、その方を正当化する訳ではありませんが、私の感情に執着があったのかもしれません。

とても難しいのですが、いま、このように文章にしていることも執着なのかもしれません。

しかし、このような感情を持つことは自然な事ではないでしょうか。

そして、その事を自分の中でしっかりと自覚をして、「あっ、いまの私はクレームに囚われているんだな。クレームを伝えた人を正しく見ることが出来ないんだな」と思うことが大事なのではないかと思います。

クレームはクレームです。

私を否定しているのかも知れませんが、それはクレームを伝えた人の思いであり感情です。

私の物ではありません。

妻の言った事も妻の感情であり、妻の言葉です。

私もそうですが、言葉と言う物はその時の感情で全く違った表現をする時があります。

言葉を発した人が、いつでもその時の感情で生きている訳ではないのではないでしょうか。

その時、ふと頭に浮かんだ言葉、もしくは無意識に出てしまった言葉もあるかもしれません。

その言葉に囚われて、自分自身を見失い自分の感情をコントロール出来なくなると、とても危険です。

どこかで、その感情を手放さないと負の感情が自分の中で増幅してしまい、嫉妬や怒りに変わり、正常な思考も妨げられて、衝動的な言動や暴力に繋がってしまいかねません。

 

私は、67年の人生でこの感情に負けてしまい、自分を抑えることが出来なくなったことが多々ありました。

今にしてみればとても愚かしい事です。

しかし、それは自然なのかもしれません。

年齢を重ね、色々な知恵がついて来ると、今のような感情が生まれ、自制ができるようになります。

よく「歳を取ると丸くなる」と言われます。

これがそんな知恵を得たという表現なのかもしれませんね。

 

なんか、訳のわからない事を書いてしまいました。

もし、この文章を読まれた方がいるのであれば、読んだ後に笑ってください。

全く、お恥ずかし限りです。

 

クリスマスシーズンです。クリスマスと言えば「ポインセチア」ですね。赤と緑のコントラストが美しい植物ですが、写した写真が光量不足で色がくすんでしまいました。が、それはそれで面白いと思いそのまま描いてみました。