仏教の教えを調べてみた

お早うございます。

 

今日は4月14日の日曜日

時間は午前2時18分。

真夜中ですね。

 

今日は気温が高くなるとの予報です。

桜が満開になったかと思いきや、もう葉桜になりかけていますね。

桜の開花時間は、とても短いですね。

だから魅かれるのでしょうか。

 

私は以前から仏教に興味があったのですが、きちんと仏教を学んだ事がありませんでした。

仏教に関する書籍も読んだことがありませんでした。

高校の時に倫理社会で仏陀を軽く学びましたが、その時は興味が無かったので、何にも理解せずに終わってしまいました。

仏教に興味を持つようになったのは、50歳を過ぎてからです。

最初は、仏像に興味を持つようになり、お寺を見て回るようになりました。

参拝する寺にある仏像を眺め、どのようにして作られたのかに興味を示したのです。

現在のような高度な道具があった訳でもないのに、何故あのような立体物を作り上げることが出来たのか。

仏像だけでなく、寺の建造物でも釘を使わずに木材をくみ上げる建築様式は、どのようにして編み出されたのかと想像すると、不思議でなりませんでした。

しかし、長野の善光寺を参拝した時、和尚様の講和を聞く機会に恵まれ、お話を伺ったのですが、何故、仏教がうまれたのかから始まり、仏教の教えの根幹は何なのかというお話を伺い、仏教に興味が湧いたのです。

しかし、当時はまだ、自分から勉強してみようとまでは思いませんでした。

仏教は自分には遠い存在のように思えましたし、今を生きる事に精一杯でしたので、時間を掛けて仏教を学ぼうとも思わなかったのです。

当時の私の中で仏教は、興味はあるが必要とされる知識ではなかったのです。

 

しかし、66歳と言う年齢になり、自分の人生の半分以上が過ぎてきた今では、自分の生の時間があとどのくらいあるのかも考えるようになり、はっきりとした宗教意識はなくとも、仏教は一番身近にある宗教だと思ったのです。

現役を引退して、時間にも余裕が出来たこともあるのですが、自分が生きてきた人生を振り返り、この後の人生をどのように生きて行こうかと思った時、仏教を学んでみるのもいいかなって思ったのです。

 

そこで、先月のお休みの日に近所の図書館に行って、仏教に関する本を探してみました。

書籍の名前は忘れてしまったのですが、池上彰さんの書籍が目に止まり、その本を館内で読んでみました。

全てを読めた訳ではないので、冒頭の部分だけを読んだのですが、とても興味深かったです。

 

「人生は思う通りにならない事ばかり」と言うのが仏教の根幹にあるようです。

我々は自分の思いがあり、何とか自分の思い通りに生きていきたいという欲望があります。

例えば、「病気をしたくない」、「裕福な暮らしをしたい」なんて思うのが当てはまります。

誰も「病気になりたい」、「貧乏で過ごしたい」とは思わないでしょう。

「清貧でありたい」と思う人はいるようですが、その日の食事にも事欠くような暮らしまでは望んでいないでしょう。

仏教では、この思いが人生を辛くしてしまう原因だと言われています。

自分の意志に関わらず、病気になる事はあります。

できれば人より裕福な暮らしをしたいと思うのも普通にあるでしょう。

だから、頑張って働こうとするのでしょうし、

努力もするのです。

しかし、その努力によって、若しくは贅沢な暮らしのせいで、病気になってしまう事もあるし、その病気が原因で死を迎えてしまう事もあります。

いつも誰かと自分を比較して、自分の暮らしが勝っているかという事に囚われてしまい、他人に負けることの不安で安らぐ事が出来なくなってしまっていることもあります。

 

それは、物事に執着が現れ、その執着に囚われてしまい、他の事が見えなくなってしまうのが原因だと言われています。

自分では、もっと沢山のお金が欲しいのに、そのお金が手に入らない。

沢山のお金も地位も持っているのに、それ以上を望んでしまう。

これが「執着」だそうです。

そうすると、自分の思うようにならないと思えるようになり、常に苦しさに惑わされるようになる。

まさに人間の性ですね。

 

私も自分の人生を振り返ってみると、恵まれていた人生だったのに、満たされているという思いはありませんでした。

小さい頃は、友達の誰かが持っていたおもちゃが自分は持っていないのが悔しくて、両親にわがままを言って困らせた事もありました。不摂生が原因で体を壊してしまい、気分が優れない時間を過ごした事もありました。

いきなり意識を失い、救急車で搬送されいろいろな検査を受け、ストレスが原因であると診断されて事もありました。

自分の思いを強行に通そうとして、人間関係を壊したこともありました。

その度、辛く苦しい思いを繰り替えてきました。

生きていくために必要なんだと自分に言い聞かせ、自分をだましていたのでしょう。

 

だが仏教では、それらがすべて「生きる為の苦しみ」と説いています。

そして、その苦しみを軽減するには、不必要な「執着」をなくすことが大事だと説かれています。

全ての「執着」が悪い訳ではありません。

自分を苦しめる「執着」は排除する事が、生きるために必要になる事もあると言われているのです。

 

私はそのように解釈しました。

仏教は、とても奥が深い教義です。

その人により、解釈は変化するでしょう。

「仏の教え」が仏教です。

仏は人々の苦を取り除き、生きる喜びを伝えるために、法話をされたそうです。

「抜苦与楽」、「苦しみを無くし、楽を与える」のが仏教の根幹ではないかと思います。

 

そして、人は生きていくうえで多くの悩みを抱え、多くの執着を持ち、苦しみながら自分を成長させるためにもがき苦しんでいるのではないでしょうか。

その苦しみの中から、他人を慈しむ心が現れてくるのかもしれません。

 

まだまだ、仏教をしっかりと理解した訳ではありませんが、ほんのちょこっとかじっただけですが、こんなことを感じました。

 

江ノ島と富士が見えました。スマホで写真を撮り、自宅で描いてみました。

 

引き際は大事

こんにちは。

 

今日は4月6日の土曜日です。

時間は17時30分。

 

季節は入学式のシーズンです。

来週の月曜日から新学期が始まり、入学式が行われる学校も多いのではないでしょうか。

私は定年も迎え、世の中の最前線でバリバリと活躍する事は終わりました。

 

そんな風に書くとなんか寂しくなりますが、私的にはそんなことはありません。

むしろ、今の自分の立ち位置を満喫しています。

私が定年を迎えたのは5年前です。

その時は、まだ働けるし働きたいと思っていました。

世の中の流れも雇用継続制度などが出来て、60歳で定年になるが、契約社員として継続雇用が認められたのです。

しかし、コロナ禍により継続雇用が反故になってしまいました。

当時は、辞めることに納得が出来ず、雇用延長を依頼しましたが、実現はしませんでした。

 

しかし、あの時点で会社を辞めた事は良かったと、今は思っています。

理由は何の未練もなく退職することが出来たからです。

会社を辞めるという事は不安だけでした。

それは、今迄の生活を変えることに対しての不安と、収入が無くなるという不安からでした。

しかし、いざ会社を辞めてしまうと、次のステージをどのように作っていくかを考える時間が出来、新たな人生の設計図を考えるのが楽しくなったのです。

いままでは、所属していた企業のために時間を使い、やりたくない仕事もやらなければならないというストレスと戦っていました。

しかし、今はストレスとは無縁の暮らしをしています。

今でも、企業に所属し働いていますが、責任の重圧はなく、自分のやりたいように仕事をさせて頂いています。

 

あの時、コロナ禍という状況だったので、退職しなければならなかった状況は、私の引き際をうまく演出してくれました。

今では、当時の会社との関係は全くありません。

さらに40年間働いていた職種からも、きっぱりと縁を切ることが出来ました。

定年後も同じ職についていたなら、こんな気持ちにはならなかったと思います。

人生は引き際が大事と言われますが、その言葉は当たっていると思います。

「ずるずると昔の栄光を引きずって過ごすことを良し」とする方もいるでしょうし、それが悪いとは言いませんが、折角、新たなステージを歩めるチャンスが定年なら、思い切って新しいステージにチャレンジするのも面白いですし、自分のキャパシティを広げるチャンスです。

 

話は変わりますが、引き際の鮮やかさは人生に大きな影響を与えるようです。

人生は、日々変化しているものです。引き際はそのステージの卒業と同じだと考えれば、自分で納得して、新鮮な気持ちで立ち去る潔さは、見栄えもいいのではないでしょうか。

後から続いて来る人達からも、引き際の素晴らしさを認めてもらえたら、自分の人生が満足できる人生になるのではと思います。

ニュースを賑わせている自民党の大物議員の引退劇で、見苦しいまでの記者会見はその方の引き際を美しいとは言えませんし、むしろ権力にしがみ付きたいという欲望が空けて見えて、淋しくもあり見苦しいとしか言えません。

片や、長い間出演していた番組を引退される落語家の引き際は、観客を喜ばせ笑わせながら惜しまれて引退していく。

その人側が暖かく感じられ、また戻ってきてほしいと思われる引き際でした。

 

この後、私は現在所属している会社を退く日が来ると思います。

身体が動くうちで、会社から望まれるうちは働こうと思っていますが、今の仕事を辞める時は、引き際を綺麗に辞めたいと思っております。

 

夕日が雲から差し込む海を描きました。なかなか難しかったです。

 

知り合いの方が海自で活躍された方で、退官されたと伺ったので絵を描いてプレゼントしました

 

2回目の公演が終わって

こんにちは。

 

今日は3月30日の土曜日です。

時間は午後4時30分。

今日は、気温も上がり暖かいというより、ちょっと暑い日になりました。

昨日の午前中はまるで台風のような天候で、通勤時にびしょ濡れになってしまうほどでした。

しかし、午後には雨が上がり、1時間程度で太陽が顔を出し、気温が急上昇し汗ばむような状態になったのです。

とても不安定な1日でした。

 

さて、3月24日の日曜日に2回目の公演がありました。

私は受付業務をやることになっていたので、12時20分に会場入りして12時30分より受付業務を行いました。

受け付けは参加した団体が順番で受付を行うというルールになっており、私の所属する劇団は最初の時間帯を受け持つことになっていたのです。

お蔭で劇場ホール地下駐車場に自動車を駐車することができました。

その日は、大ホールでも催しが行われており、他の団員の集合時間の13時30分には地下駐車場は満車状態になってしまったようです。

早めに来場してよかったです。

 

受付では、パンフレットと出場される中学校で用意したアンケートと、他の団体で用意した出演者リストを配布しながら、来場者に声掛けをして、来場者数をカウントしました。

私が担当していた時点で200名ほどの方が来場して頂きました。

が、私達の劇団の公演を見て頂いた方は50名程度でしたが。

やはり、子供さんが出られる団体の来場者が一番多かったのかもしれません。

会場前なのに、入り口で待っている方が結構いらっしゃいました。

また、天候のお話になるのですが、24日の天候は曇りのち雨。

午後は雨が降り出してきたので、会場の時間には雨になっていました。

雨にもかかわらず、200名以上の方が来場されるのですから、子供さんの力は多大ですよね。

保護者の方、お爺ちゃんお婆ちゃんや親戚、同級生の家族と沢山の方が来場されていました。

我々の劇団はシニア劇団ですので、来場して頂ける方は限られてしまいます。

まして、雨ではなかなか客足が伸びませんでした。

それでも舞台から見た限り50名ほどの方が見て頂いたように思います。

舞台からは客席が暗くて、良く見えないのですがね。

私達の劇団の公演時間は2時50分からでした。

前の方の公演が終了し、舞台の袖に小道具を用意し、いよいよ本番が始まりました。

演目は3月9日のプライベート公演で行った2つの演目でしたので、すでに経験済みだったのですが、とんでもないハプニングが起こってしまったのです。

 

最初の演目は以前に2回の公演をしていますので、みんな落ち着いて問題なくこなしていました。

しかし、細かなミスが何個か起きていました。

台詞の言い間違いなので、さほど大きなミスではありませんでした。

最初の演目が終わり、小道具を舞台に並べるとき、舞台に道具を置く目印を貼っておいたのですが、暗くて全く見えませんでした。

この時点で何人かの団員が焦ってしまい、浮足立ってしまったようです。

 

2本目の演目が始まりました。

板付きで演者が小道具の椅子に座り、語りの第一声を待ちますが、小道具が乱れていたことに気付かなかったようで、台詞を言いながら小道具を気にしてしまい、顔が下を向いてしまいました。

私はその小道具を受け取り、小道具を客席に見せる動作をするのですが、小道具の中の物が落ちそうになってしまったのと、小道具の中から、物を出さなければいけなかったのですが、その物が全く違った場所に置かれているという状況でしたので、台詞を言いながらお目当ての小道具を取り出す作業をしなければなりませんでした。

小道具を持ってくる担当の役者が、小道具の確認をしていなかったのです。

物が無かった訳ではないので、アドリブを入れて事なきを得たのですが、慌てたのは小道具を用意した役者です。

その影響で、演技や台詞に影響が出始めたのです。

何とかそのシーンは終わることが出来たのですが、次のシーンではその役者が台詞を度忘れしてしまったようで、全く台詞が出ないのです。

慌てた別の役者が、機転を利かせてアドリブでその役者の台詞を誘導しますが、全く台詞が出ません。

すると、もう一人の役者が底の場面で言う台詞でない台詞を言いだしてしまい、流れがおかしな状況になってしまったのです。

私ともう一人の役者が、軌道修正をするため、アドリブで台詞を誘導して、何とか場面に合った芝居が出来るように持っていきました。

本番と言うのは、何が起こるか解りません。

しっかりと頭に入れていたはずの台詞が、何かにキッカケで真っ白になってしまい、口にすることが出来なくなることもあるのです。

劇場芝居は舞台に上がってしまったら、芝居を止めることは出来ません。

どんなことをしても芝居を進めなければなりません。

観客は、よほど話の流れがおかしくなければ台詞に間違いなんかは解りませんが、役者の動揺した様子は伝わってしまいます。

まして、芝居を止めるなんて事はあり得ない事なのです。

だから、変な間を開けずにアドリブでもいいから、芝居を進める努力が必要なのです。

台詞が出てこないなら、「折角、お呼ばれしたのですから、気の利いた事を言わなければいけないのですが、緊張して何を言ったらいいかが解りません。私は何を言えばいいんでしょう」なんて言って、一緒に出ている役者に台詞をうながしてもらう事もしなければいけないのです。

これが出来るようになると、芝居に奥深さが出て、その人の持ち味が出るようになります。

人間がやっていることですから、度忘れはあります。

そんな時、どの位平常心でいられて、その場をうまく切り抜ける演技が出来るかが役者の醍醐味でもあるのです。

そして、それが出来た時の嬉しさは格別です。

背中に冷や汗が流れ、周りの音も聞こえなくなるほど緊張しますが、それも役者としての成長になりますし、演技でなく日常でもアクシデントを切り抜けるための度胸がつくのです。

 

その場面が終わり袖に引けて、その方は落ち込んでいましたが、私はその方を褒めました。

よくパニックにならずに、芝居をもどしたとお伝えしました。

私もそんなに経験がある訳ではありませんが、その方よりは舞台経験があります。

台詞を忘れた事もあります。

だから、その時の気持ちは痛いほど解るのです。

 

こんなハプニングがあった舞台は忘れることは出来ません。

とても良い思い出になります。

4月30日に、小学校でおなじ演目で公演をすることが決まっています。

学校から公演依頼を頂き、小学校3年生に芝居を観て頂くのです。

 

今度はミスのないようにみんなの力を合わせて頑張り、小学生に面白かったと言ってもらえる演技をしたいと思っています。

 

今回から白鳥の絵を投稿します

逆行で光を浴び、2羽の白鳥が寄り添っている姿は、とても美しいです。光を浴び水面に浮かぶ白鳥の優雅さを感じて頂ければ幸いです。

 

今日は、今月2回目の公演本番の日

おはようございます。

 

今日は3月24日の日曜日です。

時間は午前6時10分。

今日も快晴のようです。

今年の3月はなかなか暖かくならず、桜の開花も遅れ気味です。

 

今日は、今月行われる2回目の公演の本番日です。

前回の公演は3月9日に、プライベート公演として50人程度のスペースで行われましたが、今日の公演は有名歌手やオーケストラも公演をするホールでの開催です。

但し小ホールですので入場者数は100名程度かと思われます。

今日の主催は冶自体の教育文化推進団体です。

毎年、芸術演劇祭を主催されており、我劇団も毎年参加させて頂いております。

昨日はゲネ(実際に演じる舞台を使ってリハーサルを行う事)で、衣装をつけて舞台でリハーサルを行いました。

音響や照明の確認、役者は自分の立ち位置の確認や舞台の広さの確認等を行いながら、リハーサルを行います。

やはり、大きなホールで演じるとテンションが上がります。

自然と演技にも力が入り、リハーサルが終わったときには、首筋が汗でしっとりとしていて、衣装が濡れていました。

私は、コロナ禍の時は演劇活動を休止していいたので、大きな舞台での演技は3年ぶり位です。

コロナ禍の時は、コロナだから演劇をやらないという理由ではなく、どうしても劇団の活動と自分のプライベートの時間が合わなくて休止せざるを得なかったので、劇団に戻ることが出来て、とてもよかったと思っています。

残念なことに、コロナ禍で活動が出来なくなった団員が数人いて、私が劇団に戻ったときは団員の数がかなり減少していました。

あのコロナ禍の時期は、エンタメ業界にとっては氷河期でしたから、仕方のない事かもしれません。

劇場も休館せざるを得ないし、劇団員も演劇の練習が出来ない状況だったので、退団せざるを得ない人も大勢いたと思います。

昨年からコロナの感染率が減り、こうした演劇や芸術文化活動が出来るようになり、また、演劇祭や映画祭、さらにスポーツ観戦も盛んになって来ました。

 

しかし、今回の演劇祭にエントリーされた団体は5団体とコロナ禍前に比べると若干少ないようです。

どうしても、高齢者の郷土芸能を披露してきた団体が出場を躊躇されているようです。

 

しかし、若い方々が活動されているダンスや音楽パフォーマンスの団体は、元気に本番前のリハーサルを行っていました。

 

折角ですので、演劇公演をする直前にはどんなことをしているのかをお話ししましょう。

公演の演目は解っていますから、役者は自分の衣装の確認をします。

足りない物は無いか、小道具は用意されているか等です。

当然、事前の稽古でも衣装を着けて稽古はするのですが、小道具に不具合がある場合は前日でも確認して、変更をすることがあります。

今回も、演じている時にある小道具が演技とマッチしていないとの声がでて、急きょ昨日作り替えることになりました。

さらに、リハーサル中に場面の展開で不自然なことが判明して、台詞の追加と演者の演技の追加がありました。

昨日の場合は演出からの指示ではなく、役者から「どうしても場面の展開で無理があると思うし、観覧している観客のこの展開についていけないと思う」という声が出て、役者自身がアドリブで台詞を追加し、演技も追加するという事になりました。

さらに、効果音の確認でも台詞とかぶるのは良くないなどの意見がでて、効果音のボリュームを絞るとか、緞帳の開閉の確認など細かい事を確認しなければなりません。

それと、実際に客席に座ってみて、舞台の袖(舞台の左右の見えない部分)でスタンバイするときの位置なども確認が必要です。

客席から、出番を待つ役者が見えてはいけませんからね。

演出からは、役者の演技の動きが舞台上でどのように見えるかの指示もあります。

稽古の時は、狭い場所で稽古をしていますから、舞台のような大きな場所では演技も声も大きくしなければなりません。

さらに、台詞の速さや進行のスピードなどもチェックします。

リハーサルの持ち時間は2時間ですので、このような細かなチェックを2時間の中で確認しなければなりません。

かなり重労働です。

しかし、この確認を疎かにすると、今日の本番で事故(小道具がないとか、段取りがうまくいかない等)が起こったり、演技が小さくなり、見栄えのない演技になってしまうのです。

 

今日は本番の日です。

我々の出番は3時過ぎです。

集合は1時半ですが、稽古をする場所はありませんので、衣装を付けて小道具を確認して本番の時間を待つだけです。

本番が始まってしまえば、なにかミスがあっても芝居を止めることは出来ません。

演者の知恵で切り抜けなければなりません。

 

さて、今日の本番はどうなるでしょう。

 

すでに梅ではなく桜の季節ですが、まだ梅の花の絵です。

 

何を勘違いしたのか白梅と思って描いたらプラムの花でした。確かに花弁が大きいですね。

 

東日本大震災から13年が過ぎて

こんにちは。

今日は3月16日の土曜日。

時間は13時30分。

 

今日は快晴です。気温も高くなり、手元の温度計は20℃です。

段々と春になるのでしょうか。

近所を散歩すると、木々や花壇に花が咲いているのが目につきます。

日も長くなり、朝6時には明るくなってきています。

3月と言えば卒業シーズンですが、今年もちらほらと袴姿の方を見かけることがありました。

 

また、このブログのタイトルとなっている東日本大震災が13年前に発生したことも忘れる事はできません。

その日、私は営業で郵政株式会社の近所の喫茶店にいました。

14時からのアポイントで、担当の方と商談を済ませ、次の訪問先のアポイントまで時間があったので、虎の門の喫茶店に入ったのです。

時間は14時30分頃。

確かドトールコーヒーだったと記憶しているのですが、注文した商品を受け取り地下のテーブル席へ移動して、落ち着いた時でした。

いきなり大きな揺れが始まり、殆どの客が席を立ち地上へと逃げ出しました。

私は連れと一緒で連れは慌てて外へ行こうとしたので、この時点で飛び出すのは危険だから、暫く様子を見ようと伝え席に留まりました。

私が座った後ろの壁に非常用の鉄の扉があったのですが、その扉がギシギシと大きな音を発てて軋んでいました。暫くするとまた同じような大きな揺れが起こり、これはまずいとも思ったのですが、誰もいなくなったフロアでじっとしていました。

電気が消えたり、天井が落ちるようであれば批難しようかとも思いましたが、やみくもに外へ飛び出す方が危険かと思い、その場でじっとしていました。

揺れが収まり、ほっとしていると店員が来て、「度胸ありますね。誰もいませんよ。」と言って笑って話しかけてきました。

そして、隣のテーブルにあるコーヒーやケーキを下げながら、「もう、戻ってこないですよね」と言っていたので、「もしかしたら、戻ってくるかもね」と返答した事を覚えています。

なぜなら、隣のテーブルにいたのは30代の女性3人だったからです。

連れは、戻ってこないと言っていましたが、15分位過ぎてちゃっかり戻ってきました。

外に出たようですが、大勢の人であふれていて、歩くのも困難な状態と話してくれました。

確かにすごい揺れだったので、パニックになった人が飛び出したんだろうと思っていたのですが、一休みして外へ出て驚きました。

まず、歩道だけでなく車道にまで人があふれていて、多くの人がヘルメットを被っているのです。

ビルと歩道の間に隙間が出来ていることに気付き揺れがすごさを感じました。

一番驚いたのは、ビルの窓ガラスが割れていた事です。

どれだけ凄い揺れだったのかが解りました。

私は運よく地下に居たので、それほど揺れを感じなかったのかもしれません。

連れに言わせると、全く動じていなかったと言っていました。

取りあえず、次のアポイントが銀座だったので、銀座まで歩くことにしました。

歩いている時も余震が起こり、その度に電柱や電線が揺れ、軽い悲鳴が聞こえていました。

銀座の訪問先は飲食店でしたが、お客様は殆どいない状態で、フロアには割れたお皿やグラスが散乱していて、営業の出来る状態ではありませんでした。

そんな状態だったので、お見舞いだけ言って早々に店を出て、新橋駅へと向かいました。

歩いている途中で、連れが携帯電話から自宅へ電話をしたのですが、携帯電話が繋がらない状態だったようで、何度も電話をして、やっと繋がったことを覚えています。

私は、公衆電話を探して電話をすることにしましたが、目立つ場所の公衆電話は長蛇の列が出来ていて、諦めてしまいました。

当然、電車は運転を取りやめていたので、駅も人であふれている状態でした。

銀座から有楽町まで歩いて、レンタカーを借りようと思ったのですが、すでにレンタカーは無い状態になっており、この後の行動を考えなければなりませんでした。

私は連れに、少し早いけど夕飯を食べようと言って、営業しているレストランへ入りました。

レストランも人がいたのですが、席は空いていて座れたので、注文をして夕食を取りました。

レストランに入った時間は5時頃だと思います。レストランを出たのは7時過ぎでした。

どこへ行っても人だらけだったので、下手に動くよりはその場にいた方が得策と思ったのですが、レストランも7時で閉店すると言ってきたので、仕方なく出ることにしたのです。

お腹の心配は無くなったので、落ち着き先を探して、有楽町の交通会館へ向かいました。

交通会館を選んだのは、地下鉄が集中していることと、館内放送が流れて状況が解りやすいのではないかと思ったからです。

予想は的中して、場内放送で電車の運行状況がアナウスされていました。

そうは言っても、1階のフロアは人だらけで座る場所もままならなかったので、地下に降りて、階段の踊り場に陣取りました。

連れに言って、ゴミ置き場から段ボールを持ってきてもらい、ついでに新聞紙も物色してくれたので、誰も来ない地下階段の踊り場で過ごすことにしました。段ボールと新聞紙は思ったより暖かく、また地下の踊り場だったので直接に外気が流れ込むこともなく、快適に過ごすことが出来ました。

連れは、「1人じゃなくてよかったです。まして、食事も出来たし落ち着き先まで確保できたのですから、ほんとによかったです」と言っていました。9時過ぎ位から場内放送が頻繁に流れ、地下鉄の運転再開が知らされました。

連れは、奥さんが臨月だったので、頻繁に自宅へ電話連絡をしていましたが、自宅は問題なかったようで安心していました。

11時頃に連れの家に帰れる電車が動きだした場内放送が流れたので、連れには帰ってもらい、その後は1人で朝まで過ごしました。

段ボールだけだったので、体は痛くなりましたが、足を伸ばして横になっていたので、疲労は感じませんでした。

翌朝の6時頃、路線は全く違いましたが、新宿までの丸の内線と小田急線が動きだしたので、自宅へ帰る事が出来ました。

私が自宅に就いたのは9時過ぎでしたが、多分、帰宅は早かったと思います。

自宅に帰ってテレビを付けると、震災の報道番組だけが、各局で流れていました。

宮城や岩手、福島、茨城で津波の被害でとんでもない惨状になっている映像や、帰宅難民と化した人が、自宅を目指して歩いている映像が流れ、コマーシャルはACのCMが流れていました。

私は、本当に幸運だったんだと思いました。

震災後のコンビニは商品が無く、夕飯を食べることも出来ない方が沢山いたらしく、空腹を堪えながら歩いている人達は大変だったろうと思ってしまいました。

津波により、多くの方が無くなり、また住んでいた家が流され地獄絵をみているようなテレビ映像は今でもはっきりと覚えています。

さらに、福島県原発事故により、住む場所を追われ、飼っていた家畜の牛、ペットの犬や猫を置いて批難しなければならなかった人々の辛く悲しい思い。

今でも忘れられませんし、忘れてはいけない事と思っています。

自然の力の恐ろしさを、まざまざと見せつけられたのです。

その後、電車がきちんと運行できるまで、自宅待機を続け、半月位は仕事が出来なかったことを覚えています。

会社でも東北地方の支店や茨城の支店では、被災して家屋が無くなってしまった方や、家族を失ったかたもいました。

 

13年が過ぎ被災地は復興が進み、当時の面影もなくなり、地域は様変わりをして新しい生活が始まっていますが、被災をされた方々の辛く悲しい思いは決してなくなる事が無いでしょう。

福島の原発に関しては、多くの風評被害を招き、悔しく悲しい思いをされた方々が沢山いました。

住み慣れた土地を手離し、新しい土地で生活を強要された方々の苦労は計り知れない物だったと思います。

 

そして、今年1月1日の夕方、能登地方を大きな揺れが襲いました。

津波、火事と甚大な被害が発生し、多くの方が家族を亡くし、家を無くし、寒風の中に放り出されてしまったのです。

本来であれば、正月の夕餉を家族や親戚と楽しく過ごすはずだったのに、一瞬にしてその団らんは奪い去られてしまいました。

 

日本は地震大国です。

いつ、地震により自分の日常が奪われるかは解りません。

誰を恨むことも出来ず、無我夢中で今を乗り越えていかなければ、現状を変えることが出来ない日々。

 

私は、本当に幸運だったと思っています。

だから、地震に被災した時は慌てずに自分の立ち位置を見つめ、何が出来るかを考え、ひとつずつクリアしていくことの大事を忘れないようにしたいと思います。

 

紅梅です。すでに梅の花は終わってしまいました。また、来年まで待たねばなりません。

白梅も描いてみました。梅の香りを思い出して頂ければ幸いです。

 

公演が無事に終了

お早うございます。

今日は3月10日の日曜日です。

時間は4時40分。

 

3月は2回の公演が予定されていますが、昨日、最初の公演が終了しました。

昨日の公演には約40人程のお客様がご来場され、2つの演目を約1時間弱でご覧になって頂きました。

 

私たちの劇団は、地域に根ざしたシニア劇団ですので、入場料を頂くことなくご来場頂き、私達の演技を楽しんで頂くのが趣旨です。

 

コロナ禍以前は15人の団員が所属していたのですが、コロナ禍により半分以上の団員が活動を辞めてしまい(休眠状態)、また年齢を理由に退団してしまい、今では9人で活動をしています。

平均年齢は60代中盤ではないかと思います。

男性団員は3名で、7人が女性です。

 

随時、団員を募集しているのですが、演劇をやりたいと思って見学に来られても、入会までには至らない方が殆どです。

過去に演劇を経験されている方であれば、さほど抵抗はないのかと思いますが、一度も演劇をされた方が無い方には、難しく感じてしまうのかも知れません。

 

特に男性の方は、やってみたいと思って見学に来られ、その後、何度か来られるのですが、いざ本読み(演目になる台本を読み合わせること)を始めると、躊躇されてしまう方が多いです。

何故、男性が続かないのかを私なりに推測すると、演出をする方が女性なんです。

まず、女性に駄目出しをされるのが嫌なんではないでしょうか。

今迄、会社なり自宅で、女性から自分の行動を否定されるということがあまりなかったのに、台本を読んで「その台詞のイメージを思いながら読んでください」なんて、みんなの前で言われたら、自分が全否定されたような心境になり、「あ、俺には向いていない。」って思ってしまうのではないかと思います。

 

演劇では、演目が決まっても配役はきまりません。

配役を決めるのは演出を担当する団員(この方は団員といっても指導者的な存在です)

なんですが、演出は自分では演目に参加しません。

ひたすら、演技指導や舞台演出を担当する、舞台監督としての存在です。

ですので、演目を決めるのも演出の役割ですが、演目を決めた時に配役まで決めている訳ではないのです(多分、おおよその配役は決めていると思いますが)。

なので、演目が決まり台本が出来ると、所属している団員で本読みを行います。

団員は、台本を読むことで、台本の内容を把握して、自分なりに台本の内容や登場人物のイメージを想像します。

この台詞はどんな心境で語っているのだろう。

このシーンはどんなシチュエーションなんだろうというように。

しかし、初めて台本を渡されて本読みをやると、普通に文字を追ってしまい、棒読みになってしまいます。

学校で先生に指名されて、教科書を読むような読み方を想像してください。

こうなるのは仕方ないのですが、演出は声の出し方なども意識しているのです。

特に初めて本読みをされる方に、感情をこめて台詞を言えと言っても無理なのは解っているので、滑舌を良くして、通りの良い声で読むことを求めてしまうのです。

しかし、最初に本読みをする方は、そのような注意(演劇をする人たちは駄目出しと呼んでいます)を受けると、全否定されたように受け取ってしまうようです。

その気持ちはよく解ります。

演劇に興味があり、本読みの意味が解っている方なら、本読みで演出が何を見ているのか、自分が何のために本読みをするのかが解りますから、演出の駄目出しを素直に聞くことができるのですが、真向から否定(否定はしていないのですが)されても、今後の配役の決定や場面の情景をイメージするために言われていると思えないようです。

その感情が「続けられない」という結論を出すことになってしまうようです。

 

だって、趣味で演劇をやろうかなって思って、軽い気持ちで見学に来て、数回通ったときに、「もっと声を張って」なんて、注意されたら嫌になってしまいますよ。

なので、男性の志望者が続く事が少ないのだと思っているのです。

 

以前にも書きましたが、私は40代の頃にお金を頂戴して演劇を見て頂く劇団に所属していたので、演出の厳しさは知っていましたし、その時も、お金を払って見てもらうのだから、中途半端な演技はできないと、劇団の方に言われました。

そんな下地があったので、言われる事が自分の演技に糧になると思えるのです。

 

また、演劇の稽古と言うのは地味なんです。

何度も同じシーンを繰り返し練習し、同じような駄目出しをされるのです。

時には、演出の無茶ブリというわがままかイジメか解らないような指示も飛びます。

正直、稽古は面白くないんですよ。しかし、演出の指示と自分の演技のイメージがかみ合い、納得のいく演技が出来た時は、とても嬉しく充実した気持ちになります。

そして、公演の本番の時はアドレナリンが出るため、気持ちが軽い興奮状態になります。

 

今回の演目では、1本目は大店の隠居の役、2本目は30代で貧乏から這い出し1代で登りつめた男の役でした。

続けての公演なので、観客からは同じ人間が演技をしているので、どのように演じれば別人格を演じることが出来るかが課題でした。

さらに、一人芝居もあり、一人芝居の時は台詞がありません。その一人芝居の時は幼少時代の回想シーンになります。

衣装も同じなので、どれだけ演じ分けが出来るかで、観客の気持ちを引き付けることが出来るかが決まります。

そして、私の演じる人物は劇の途中で今までの行いを改心して演技を終えるという役です。

その心境の変化もしっかりと演じなければなりませんでした。

今回の演目では、演出は細かい指示をしてくれませんでした。

自分で考えて演じることを要求されたのです。

なので、一人芝居の時の振りを大きくするとか、舞台に居る他の演者と被らないように演じる場所を確認するなど、大まかな事だけを注意されただけでした。

 

私は台本を何度も読み直しました。

自分の出ている場面の全ての台詞が暗記できるほど読み込みました。

テレビドラマも見て、役者の表情や手足の動かし方、感情によって話す言葉の強弱や速さなども研究しました。

ドラマをこんな風に見たのは初めてでした。

その成果はあって、昨日の公演での観客の反響はまずまずでした。

が、今月末にも同じ演目で公演があります。

その時の場所は500人が入ることが出来る大きな会場です。

プロも公演を行えるような舞台ですので、声の出し方や演技も大きくしないと観客に届きません。

次の公演までに、昨日の公演での演技を見直して、より質の高い演技が出来るように稽古をしたいと思います。

 

今年は暖かい冬だったようで、梅の花は散ってしまいましたが、梅の花を描いてみました。

白梅です。敢えてピンクをバックにしてみました。桜と見間違えるかもしれませんが、梅の花びらは桜とちがって割れてません。可憐に咲くという咲き方は梅も桜も同じですね。

 

高齢者に投資は必要か。

お早うございます。

 

今日は3月3日の日曜日。桃の節句ですね。

お雛様を飾られているお家もあるでしょね。

年齢を重ねたせいか、月日の経つのが早く感じられます。

 

最近、よく「新NISA」の話題を耳にします。

私は「NISA」を5年程前から運用しております。

「NISA」を始める時60歳でした。

その時考えたのが「60歳から投資を始めても、どうなんだろう」という事です。

私自身は、投資についての偏見はあまりありません。

しかし、60歳まで投資をするという考えを持つことはありませんでした。

理由は投資をやるという環境とチャンスが無かったのです。

40代の頃から、投資には興味があったのですが、どうすればいいのかが解りませんでした。

信託銀行に口座を作った事もありましたが、投資を進められたことはありませんでした。

多分、口座にあまりお金を入れなかったからと思います。

それでも、10年物の国債を購入して、10年間は所持していました。

銀行に預金しているより、利率が良かったというのが国債を購入する理由でした。

10年で償却をして、口座は閉じてしまいました。

当時は株を購入するには、ある程度の金額を用意しなければなりませんでしたし、株の知識が無かったので、株を購入するという考えは無かったのです。

私のような知識の無い人間には、株式投資は敷居が高い世界だったのです。

 

しかし、NISAが登場して投資の敷居が、だいぶ低くなったように思います。

また、インターネットが急激に普及して、証券会社や信託銀行に行かなくても購入できる環境や、定額での購入や積立購入という環境が用意されたのも大きいのではないでしょうか。

私は、ファイナンシャルプランナーの3級と2級の資格を取得した事もあり、投資と言うものある程度学習したので、知識も備わったという点もあったのかも知れません。

 

まず、私が疑問に思った60歳から投資を始めてよかったかという点ですが、これは良かったと思っています。

取りあえず、自分で自由に出来て、万が一、運用がマイナスになってしまっても生活に支障がない程度の金額で始めました。

それでも、銀行や郵貯に預けるよりは桁違いの運用成績を上げています。

でも、もし、現在のような環境が30代位にあったなら、迷わず投資を始めていたかも知れません。

と今だから思いますが、環境が整っていても、私にその気が起こらなかったら、投資はしないでしょう。

始めようと思った時が、ベストタイミングなんだと思っています。

 

なので、60歳を過ぎても投資は始めた方がいいのではと思います。

特に、現代のように経済が安定しない時代は。現金を持っていても、お金の価値が安定しませんので、お金を上手に運用しないと宝の持ち腐れになってしまいます。

さらに、高齢化すると働く環境も狭くなり、労働による収入確保が難しくなります。

その際、不労収入として投資をしておくのも。大切な収入源の確保ではないかと思います。

 

「新NISA」は投資を始めるには、とても良い商品だと思います。

しかし、「新NISA」は商品でありながら、実際に投資をするのは、その中にある株式や投資信託ですので、株式や投資信託の知識を得ること、「新NISA」のメリットやデメリットについては、しっかりと知識を得なければなりません。

そこが、銀行や郵貯で取り扱っている預金や貯金と違うところです。

特に、株式や投資信託については、沢山の銘柄があります。

どの銘柄を購入するかは自己責任です。

しっかりと勉強しなければなりません。

また、取引に必要な諸費用も、商品によって異なります。

この諸費用は。投資をする際に大きなウエイトを占めますので、しっかりと理解しておく必要があります。

 

また、運用に仕方も大事です。

「新NISA」を活用した投資は、短期決戦のキャピタルゲインではなく、長く商品を持って運用利益を確保するインカムゲインの投資方法が向いています。

このように、キャピタルゲインとかインカムゲインなどという独特の言葉の意味も理解しなければなりません。

 

自分だけで勉強が出来ない様であれば、そのような疑問に答えてくれるサイトやセミナーが沢山ありますので、自分に合ったサイトやセミナーにアクセスしたり参加するのもよいかもしれません。

 

しっかりと知識を学び、自分の裁量でコントロールできる金額を投資することが出来るのであれば、投資は怖い物ではありません。

まずは、少額からの投資を早い時期から始めると、必ずメリットはあると思います。

今日が人生の中で一番若い時と、誰かが言ってました。

高齢になったから、投資なんてなどと言わず、興味を持ったなら、ぜひトライしてください。

きっと、何かが得られると思います。

 

雪を被った山茶花の花。美しいと思いました。雪の表現が難しかったですが、うまく表現出来ているでしょうか。水彩画の魅力にすっかりハマってしまいました。