今年も半年が過ぎて

お早うございます。

 

今日は6月30日の日曜日です。

時間は午前3時30分。

外はまだ暗いですね。

このように早朝に自分の時間を作るようになって、数年が過ぎました。

特に定年を迎えてからは、この時間がとても有意義に感じられるようになりました。

2024年も半年が終わりました。

私の感覚では、時の過ぎるのが早く感じられるようになっています。

多分、毎日がおなじサイクルで過ぎていくからだと思います。

同じ時間に起き、同じ時間に食事を食べ、同じ時間に通勤して帰宅をする。

そして、同じ時間に夕食を食べる。

変化がない訳ではないのですが、ほぼ毎日が同じことの繰り返しです。

なので、時間の過ぎるのも早く感じるのかも知れません。

 

でも、私は悪い事だとは思っていません。

平穏な毎日が過ぎていくのですから、幸せな事です。

病気になる事もなく、大きな災害に巻き込まれる事もなく、平穏に1日が過ぎていく。

とても有難い事です。

 

しかし、私の妻が今月、手術をしました。

命に関わる様な手術ではなかったのですが、病気が発症してからの役1ヵ月は、とても辛そうでした。

何度か病院に通い、手術をすることになり、手術が終わってからは、だいぶ回復したのですが、今迄感じられなかった気圧の変化による、体の不調がでるようになったようです。

今週は、月曜日と金曜日に雨が降ったのですが、雨の日は偏頭痛がすると言っていました。

今迄は、そんなことは無かったのですが、やはり体に変化が出たのでしょう。

年齢を重ねるという事は、このようなちょっとした変化が起こる事なのかもしれません。

今迄は、何ともなかったことが、ちょっとした違和感を感じるようになってきた。

今年は、そんなことを感じる年になるのかもしれません。

 

自分を大事にして、日々を大事にすごし、なんでもない日々に感謝して生きることを意識するようにしたいと思います。

そして、残り半年も同じように日々を過ごし、無事に2025年を迎えることが出来るように、規則正しい生活を送り、あまり細かい事に囚われず、悩むことも無くし、幸せな日々を過ごしたいと思います。

 

梅雨のシーズンは、紫陽花が咲いています。通勤の道すがら庭先に咲いている紫陽花が綺麗で、写真に収め絵にしてみました。描いてみると難しいです。

 

この絵も通勤の途中で見つけた紫陽花です。『額紫陽花」です。納得のできる仕上がりになりませんでした。

 

これから何をやっていくか

お早うございます。

 

今日は6月23日の日曜日です。

時間は4時10分。

関東地方も、やっと梅雨に入ったようです。

今日の予報は、午前中は雨で午後は曇りとなっています。

なので、今日の午前中は自宅で過ごし、夕方にお散歩がてら、お買い物に行って来ようと思っています。

 

木曜日くらいから、急に腰が痛くなりまして、ロキソニンテープを買って、腰に貼っています。

何が原因かが解りません。

木曜日の夕方くらいから痛み出し、夕食時にはかなり激痛になり、これは明日は病院へ行かなければと思っていたのですが、お仕事の帰り道で薬局へ寄り、ロキソニンテープを購入して帰ったので、痛いのを我慢してお風呂に入り、その後でロキソニンテープを貼り、早々と横になってしまいました。

それが良かったのか、翌朝は痛みもだいぶ落ち着き、日常の行動に支障が出るような痛みは無くなりました。

しかし、靴下をはく動作やズボンをはく動作の時は痛いです。

原因が解りませんが、私も今年の10月で満66歳になりますので、体のどこかにゆがみが出ても仕方のない年齢です。

 

6月の上旬(3日の日)に健康診断がありました。

その時の結果では体重が5Kg、腹周りが5cmほど減っていましたので、ダイエットには成功したようです。

血圧も85から122でしたので、正常値でした。

血液検査の結果はまだ通知が来ていませんので解りませんが、悪いことは無いかと思っています。

しかし、体の歪みはあるでしょう。

このように、PCに向かっている時も、正しい座り方をしているとは言えませんし、歩くときも無意識にどちらかに傾いて歩いているかもしれません。

であれば、腰には負担がかかってしまっていることは、間違いありません。

そのツケが、この梅雨入りの湿った空気とともに体に現れたのかもしれません。

 

という事で、自分では元気なつもりでいても、長い年月で無理を強いてきた私の身体は、段々と老化の一途を辿っています。

如何に、体のメンテナンスをしっかりと行って、出来るだけ長い間、日常生活を自力で過ごせるかが今後の課題です。

 

で、この夏からの生き方を考えてみました。

現在は、週6日で午前9時から午後5時まで、土曜日は午前9時から正午までを、マンション管理員として働いております。

今年の7月1日で2年となります。

お蔭様で、規律正しい生活をさせて頂いております。

このお仕事は、出来る限り長く続けるつもりでいます。

今は腰痛が出てしまったので、若干辛いですが、お仕事内容も毎日同じ作業を繰り返すだけですので、1日の中で時間配分をして、規則正しく作業が出来ますので、健康面では最高のお仕事です。

極端に重たい物を持つこともなく、適度に階段を上り降りすることも出来、1日の歩数は約1万3千歩前後となりますので、無理なく適度な運動が出来るのです。

ですから、お仕事は続けて行きたいと思っています。

出来れば75歳までは続けたいですし、会社と私の体力が許してくれるなら、80歳までを目標にしたいと思っています。

 

プライベートでは、読書と水彩画を描くこと、さらに演劇も続けたいと思っております。

勿論、ブログも続けて行こうと思っています。

読書も水彩画も、ブログも1人で出来ますし、自宅で出来る趣味ですので、体が動けば80歳になっても続けられる趣味です。

読書は、文章を読んで刺激を受けるという事で、脳にはとても良いと言われています。

これからは小説を中心に読んで行こうと思っています。

経済小説歴史小説、いろんな作家さんの作品を広く読んでみたいと思っています。

Book Offさんに行けば、100円で小説が購入できます。年金暮らしになって、小遣いが減ってもやり繰りできるし、過去に読んだ本を読み返してみることも、楽しいと思います。

 

そして、水彩画も描き続けたいです。

スケッチに行くのは道具なども持ち運ばなければならないので、散歩がてら出掛けてスマホで写真を撮り、自宅でPCからプリントアウトして絵を描くのであれば、リーズナブルに楽しめる趣味です。

絵の具は1度買ってしまえば、あとはよく使う色だけを購入すればいいし、筆もちょっと高いけど最初にまとめて購入すれば、あとはよく使う筆を取り替えるだけだし、紙だってそんなに頻繁に購入する事もないので、さしてお金は掛からないでしょう。

絵を描くことも、認知症の予防効果や情操効果があると言われています。

何より楽しいです。自分の描いた絵を、知り合いにプレゼントする(相手は迷惑かも知れないが)ことで、会話も出来るし交友も続けられます。

 

YouTubeを観れば、水彩画を描かれている方が大勢いらっしゃいます。

YouTubeを観てコメントを送れば、お会いすることは無いかもしれないが、色々な方とYouTubeを通じて文字で会話をすることが出来ます。

リアルな会話ではないかも知れませんが、誰かと繋がっているということを感じることができます。

 

そして、演劇をやることも続けたいと思っています。

但し、演劇は1人ではできませんし、結構体力も使います。

稽古場まで出掛けて行かなければなりませんし、台詞も覚えなければならないし、動きもしっかりと覚えると、結構ハードです。

ですので、演劇が最初にリタイヤする趣味になりそうだとは思っています。

体力、気力を維持し、如何に継続させるかと言う点では、お仕事より大変です。

台詞を覚える事は、脳をフル稼働させますし、台詞に併せて動作を考え、台詞も棒読みではいけないので、その場面での感情をどのように台詞に乗せるか、表情(業界では顔芸とも言われる。日曜劇場で堺雅人さんや香川さんがやった)をどうするかも考えなければいけない。舞台なのでマイクは使えないから、客席に通る発声もしなければならないと、思考、体力ともにフル稼働を求められるのです。

そして、何より楽しいし充実感も半端なく感じることが出来るので、アドレナリンがドバドバでますので、幸福感は最高です。

高齢化すると感激することが無くなると言われます。

感激することが出来なくなるという事は、感情がなくなる事なので、脳が老化してしまい、活性化されなくなってしまうのです。

すると、認知症になる可能性が高くなります。

 

楽しい老後を過ごすには、健康と刺激が必要です。

私は、これからの人生は健康と刺激を追求して行きたいと思っています。

 

また、カワセミを描いてみました。カワセミは東京都町田市の市の鳥だそうで、この絵を差し上げた方に教えて頂きました。このような些細な会話が出来る事が楽しいです。

 

森を飛ぶ青い鳥を描いてみました。著作権フリーの写真を参考にして描いたので、鳥の名前は解りません。小学3年と3歳くらいのお子さんのいる方にプレゼントしました。お子さんが気に入ってくれたとご報告を頂きました。

 

絵を描いている時に思っていること

お早うございます。

 

今日は6月16日の日曜日。

時間は6時です。

夜に降っていた雨は止み、空はグレーのくもり空です。

雨上がりなので、若干ですが湿気を感じて蒸し暑いです。

6月も中旬ですので、もう梅雨になってもいいのですが、今年は梅雨入りが遅れているようです。

来月の7月1日で、定年から4年が経ちました。

早いですね。そして、マンション管理員に着任して2年が過ぎようとしています。

定年で会社を辞めた時は、これからの時間をどうやって過ごそうかと考え、若干の焦りと不安がありました。

ずっと自宅にいるのは嫌だったので、実益も兼ねてアルバイトをするつもりでしたが、半年くらいはアルバイトも長続きしませんでした。

働いてはみるのですが、どうにもしっくりこなくて、短ければ1週間くらいで辞めてしまいました。

そんなことを繰り返していましたから、益々不安と焦りが募りました。

しかし、その後は障害者支援施設で1年6か月間の勤務が出来、その後、現在のマンション管理員として勤務を始めたのです。

 

40年近く働いてきた業界から身を引いて、新しい業界へと転職することは、かなり難しいということを実感しました。

今迄、私が貯えてきたスキルや知識、業界の特性が全く通じないのです。

私は、定年まで広告関連業界で働いていましたので、何もない所から企画を立て、クライアントのニーズやウォンツを引き出して、形にする仕事をしていました。

しかも、時間はかなりタイトで、常に業務に追われる仕事だったのです。

いまでいう「ブラック業界」ですね。残業なんて当たり前だし休日出勤も当然。

自分の時間を持つことなんて考えられない業界でした。

クライアントの要望にかなった企画が出来、効果のある制作物(映像だったり、印刷物等)が出来て当たり前。

効果が出なければ、クライアントからクレームと取引取り消しの制裁を受けることもありました。

今、考えると、よくそんな業界で40年も働いて来たものだと感心します。

 

今の管理員の業務は、決まった作業(日常清掃等)を決まった時間でこなし、あとは居住者様の要望のヒアリング(世間話です)を受け、メンテナンス業者の対応などだけですので、時間に余裕もありますし、クレーム等は滅多にありません。

しいて言えば、ゴミに関するクレームや相談位です。

私にとっては、とても有難いお仕事です。

 

で、趣味で絵を描くことを始めたのですが、今日は、絵を描いているときに考えていることを書きとめておきたいと思います。

 

絵を描こうと思ったきっかけは、以前にも書いたかもしれませんが、現役の頃に塗り絵のセットを販売する企画を考えました。

まだ、世の中に「大人の塗り絵」が存在していなかった時代でした。

当時の社長が若かった頃、絵を描きたいと思っていたらしいのですが、どうしても写生に行く時間も取れず、絵を描く事が出来なかったそうです。また、多くの方は下絵を描く事がうまくいかなくて絵を描くことを断念してしまうとの情報も入手したのです。

で、私は下絵と仕上がりイメージ、さらに塗り方を1冊の書籍にまとめ、さらに、最低限の絵の具や筆などもセットにしたエントリーブックを作る事を考えました。

ある方を通じ、東京芸術大学の教授を紹介して頂き、企画の主旨を説明して、賛同を頂き教授のゼミに参加している学生さんにお力添えを頂き、水彩塗り絵セットを企画販売する事にしたのです。

私は企画から商品作成までに参加し、実務は社長の娘さんが別法人を立ち上げて販売活動をする事にしました。

その時、試作で作った水彩塗り絵セットが、手も付けずに手元にあったので、定年になって時間も出来たので、やってみようと思い始めたのがキッカケです。

 

水彩画なんてものは、小学校以来描いていませんでしたので、うまく塗る事が出来なくて、塗り絵でも難しい物だと思い、色鉛筆で塗り絵を始めてみました。

すると、思ったように色を塗ることができ、自画自賛で満足のいく作品が出来るようになりました。

ですが、人の描いた下絵に色を塗るだけでは満足できなくなり、自分で写真を撮ってきて、

プリンターでプリントアウトして、下絵を描くようになりました。

最初はうまく描くことが出来ず、絵が歪んだようになってしまったのです。

YouTubeを閲覧して、上手に下絵を描く方法とか、リアルに塗り絵を仕上げる方法の動画を観て、プリントと絵を描く画用紙に同じ大きさのマス目を描いて、マス目の中の位置を決めながら描くと、デッサン力が無くても絵が歪まないと知り、その通りに描いてみました。

ですが、どうもうまくいきませんでした。

出来ないと悔しい思いが体中に沸き出し、出来るようになるまで練習しようと思い、100円ショップで、リング式のスケッチブックを購入し、色鉛筆や消しゴムなども揃え、通勤途中に咲いている花を見つけると写真を撮り、自宅へ帰ってプリントアウトして、鉛筆でマス目を作ってスケッチブックに描きました。

人間は同じことを繰り返すと出来るようになるもので、少しずつ、狂いの少ない下絵が描けるようになりました。

暫くの間は、色鉛筆で色を付けていたのですが、やはり水彩画が描きたくなり、描いた下絵に水彩で着色を始めるようになりました。

すると、途端に折角、それなりに描けた(上手に描けたと思いたいのですが、少し謙遜して)下絵を活かせるような着彩が出来なかったのです。

で、また、YouTubeで沢山の方の動画を観て、着彩の参考にさせて頂きました。

最初の頃は、自分が好きになった画風の方の描き方を真似て、着彩をしていたのですが、段々と欲が出てきまして、全く違う描き方をされている方の描き方を真似て描くこともするようになりました。

 

私が好む絵は、ある程度リアリティーを持った絵ですので、筆跡を残さないような水を使ってぼかしながら描く技法を選びました。

花弁の微妙な色の変化や、葉っぱの葉脈をしっかりと表現するような絵です。

プリントアウトした絵を写すような写真的な絵を描きたいと思っていたのです。

しかし、実際に仕上がった絵を見ると、理想の絵とは大きな違いがあります。

当たり前ですよね。比較するのは、プリンターで出力された画像なのですから、同じように描けるはずがありません。

また、そんな絵が描けたらプロになれますよ。(スーパーリアリズムという表現の作風ですね)

色鉛筆で描かれる方でも、写真そっくりに描かれる方はいらっしゃいます。

素晴らしいなと思います。

しかし、私が描きたい絵は、ちょっと違うのかなとも思っています。

というように、いつも描きあがった絵を見て、何かが違うと思ってしまい、描きあがると、また新しい絵を描こうと思ってしまいます。

そして、今度こそ自分の目指している絵に少しでも近い絵が描けるようになりたいと思ってしまうのです。

 

描いているモチーフによっては、描き始めて、最初の着彩をしている時に、「ああ、駄目だ。こんな塗り方では、絵が死んでしまう」と思い、諦めてしまう事もあります。

その時は、描くのを止めてしまいます。

「なんで、こんな筆の使い方をしたんだろう。これでは理想の絵とは全然違ってしまう」

そう思って、翌日まで絵を乾かしておきます。

すると、「じゃあ、今回の絵はこんな筆のタッチで描いてみよう」と思い、近いタッチで描かれている方のYouTubeの動画を観て、描き進めることになります。

このブログに貼りました薔薇(見えないかな)の絵(上段の赤い花の絵)がそうです。

途中で嫌になってしまし、描くのを止めようかなと思ってしまいました。

朝日を浴びて、明るい所と暗い所のコントラストがはっきりした写真になってしまったので、明暗をはっきりさせたいと思って描いたのですが、葉っぱや花弁の細かいディティールより、薔薇の力強さや色の濃淡で光を表現したくなり、筆をスピーディーに走らせました。

 

下に紫陽花に絵は、自宅の玄関脇にプランターで咲いていた紫陽花なのですが、咲き始めは真っ白な花が段々とブルーに変化してきたので、面白いなと思い描きました。

出来るだけ、花弁や葉っぱの表現を繊細に書き上げたいと思い、丁寧に表脈を表現し、花の明暗と微妙な色の変化を描いてみました。

背景はフェンスがあり、うるさかったので濃淡だけで表現して、紫陽花の花と葉っぱを強調しました。

絵は、必要ないものは描かなければいいので、描きたいものをクローズアップ出来るのがいいですね。

 

多分、絵を描かれる方の多くの方が、絵を描かれている時に、その絵に込める思いを強く持って描かれていると思っています。

私は色々な表現方法を習得し、その絵のモチーフの魅力を最大限に引き出せる絵を描くことができるようになりたいと思っております。

 

薔薇を描いてみました。かなり暗い写真でしたので薔薇の花を強調するような描き方をしてみました。不透明の白絵具を使い、ハイライトを強調させています。かなり荒い筆使いで描いたので、途中で描くのを躊躇した作品です。

 

上の薔薇の絵とは描き方を変えてみました。背景の不要な描写はせずに、紫陽花1輪を描きました。葉っぱや花弁の微妙な色の変化を出来るだけリアルに描こうとしました。また、葉っぱの上下の関係などにも気を使い、立体感が出せるようにも注意しました。

 

ある方からの問いかけ

お早うございます。

 

今日は6月7日の土曜日。

時間は6時10分です。

快晴です。朝から青空に朝日が輝いています。

気温も上がるようですが、湿度が低いので気持ちのいい夏日になりそうです。

 

梅雨の季節が近づいていて、来週は青空が見えない日になりそうです。

 

さて、今日は私の知り合いから問いかけられたことを書きとめて置こうと思います。

その方は、軽い知的障害者でして、何かにつけて拘りを持ってしまい、何をやるにも時間が掛かってしまうという障害を持っています。

しかし、学習能力が劣っている訳ではなく、認知機能も全く問題がありません。

例えば、道を歩いていて道端に花が咲いていたとします。するとその花が気になってしまい、何時間も眺めてしまうとか、ゴミが落ちていると、そのゴミが気になって、ゴミを拾って、ゴミ箱を探し回ってしまうという行動をしてしまうのです。

ですので、他の人と同じ時間軸で行動をすることが出来ないのが障害なのです。

 

そんな彼は、自分の中でフラストレーションが溜まると、私の前に現れるのです。

自分の中で何かが沸騰して、自分が苦しくなると、ふらっと私の前にやってきます。

自分の中に、そのような感情が現れないと、顔を合わせても知らん顔をして、すれ違うだけで声も掛けてくれません。

顔見知りになった頃は、その行動が理解できなかったのですが、最近は声を掛けないですれ違う顔を観るだけで、「そろそろ声を掛けてくるな」と解るようになりました。

そんなに頻繁に会う訳ではないのですが、顔を合わせる機会が増えてくるようになると、何かを伝えたいという事を感じられるようになりました。

今週の月曜日に、道端ですれ違ったのですが、挨拶だけをして、通り過ぎて行ったのでそろそろ話しかけてくるかなと思っていました。

私は、彼から声を掛けてくるまで、こちらからは挨拶をするだけにしています。

その理由は、こちらから声を掛けてしまうと、彼から声を掛けるタイミングを奪う事になるのが解ったからです。

水曜日に同じようにすれ違った時、彼から声を掛けてきてくれました。

彼の声のかけ方は、私の顔を見て挨拶をして、「少し時間を頂けませんか」と話しかけてくるのです。

私も急いでない時には、その場で「大丈夫ですよ」と伝え、立ち話を始めるようにしています。

一度、座ってお話をしたほうがいいのかと思い、近所の公園のベンチへ誘ったのですが、周りが気になってしまうようで、話に集中できなくて、本人の中でフラストレーションが溜まってしまい、落ち込んでしまった事があり、立ち話が一番落ち着くのだと判断しました。

私からすれば、立ち話の方が人の往来があるので、落ち着かないと思うのですが彼の中では違うようです。

 

今回の彼からの問いかけは「人は善人ではない」と言う内容の問いかけでした。

どうも、誰かに思いがけない厳しい言葉を掛けられたらしく、そのことがずっと彼の中に「しこり」になって残っているようでした。

現在の彼は、働いてはいません。過去には障害者施設で軽作業をしていたことがあったようですが、作業スピードが極端に遅いため、一緒に働いている障害者だけでなく、施設職員からも叱られていたようです。

ですので、その言葉は直近に掛けられた言葉なのか、その当時に掛けられた言葉なのかは明確に解りません。

と言うのは、自分に掛けられた攻撃的な言葉は、時間を無視して記憶に蘇る事があり、彼のように仕事もせず、毎日自宅に籠っていると、何かがキッカケになって甦ってくるようです。

彼は「この世の中には善人なんていないですよね。人間は誰かを傷つけないと生きていけない生物なのだから」と言ってきました。

この考えは彼の根底に深く根づいている考え方のようです。

自分の周りにいる人間、いや人間だけでなく、動物も敵と思っているようです。

前に、ゴミをつつくカラスを見て「カラスは人間にとって害を与える動物だ。ゴミは散らかすし、糞でウィルスをまき散らしている。だから、毒団子をゴミの中に入れて、殺してしまえばいい」と言ったことがありました。

犬や猫も、ウィルスをまき散らす媒介動物だと言ったことがありました。

時間があるので、Webを閲覧しているようで、Webで得た知識を彼なりの解釈で話してくれることもありました。

全てがネガティブな発言になってしまうのです。

彼のようなタイプにありがちな思考です。

 

話を戻しますが、彼は私に対して「人間に善人はいない」と言ってきたのです。

私は「どうしてそんな風に思ったの」と問いかけたら、「だってみんな悪いと解っていても、人を騙したたり、他人の悪口を言って人を傷つけている」と返答されました。

また、彼は自分の価値を過小評価しており、自己肯定感が低いことも伝えてきたのです。

「自分は他の人と違うので、生きる価値がない。だから、いじめられる」

確かに、作業は遅いのでしょう。そして、その考え方からネガティブな言動が出ることがあるため、好まれるタイプではないかも知れません。

 

しかし、私は全てが彼の責任だとは思えないのです。

多分、彼の幼少期は今のような考えも持っていなかったと思うし、他の子より少し動作が遅く、拘りが強かっただけなのではないかと思う。

周りが少し我慢して、彼を見守ってあげれば彼は今のようなネガティブな考えに縛られなかったかもしれない。

場合によっては、仕事もしていただろうし、普通に社会生活が出来ていたかもしれない。

彼は、いつの間にか自分を「劣っている人間」と決めつけてしまったのかも知れません。

そして、その考えの殻の中に閉じこもる事で、自分を守っているのかもしれません。

何かを変えようと思う事は、とてもエネルギーのいることです。

本人にとっても、辛く苦しい事だったのでしょう。

それ以上に、彼を取り巻く環境が彼のそのような努力を認めなかったのかも知れません。

決して、故意に認めなかったのではなく、その時が許さない場合もあります。

世の中の考え方が、彼のような障害を受容できず、孤立させてしまったのかも知れません。

もう少し、彼の心理を組むことが出来れば、彼の個性を認めることが出来れば、状況は変わったかもしれません。

その気持ちは、医療に従事する方々だけではなく、彼のような人のそばで生活をしている、多くの人が持てれば、世の中が少しは変化したのかも知れません。

 

私もほんの少しの時間でしたが、彼らの近くで働いたことがありました。

その時の事を思うと、本当に彼らの気持ちを汲んであげていたのだろうかと、考える時があります。

 

彼が私に問いかけた「人間に善人がいない」という問いは私自身にも問いかけていたのだと思ってしまった。

 

著作権フリーの画像を参考に描いてみました。冬の海辺の建物の風景です。暑くなってきたこの時期ではミスマッチな風景画になってしまいました。

 

この絵も著作権フリーの画像を参考に描きました。やはり、季節がずれた絵になってしまいましたが、建物にぶつかる波を描いてみたかったのです。

 

人間の習性とは

こんにちは。

 

今日は6月1日の土曜日

時間は14時25分です。

昨日は雨でしたが、今日は青空も見えます。

気温も昨日より上がり、若干、蒸し暑く感じる午後です。

 

今日は、私がマンション管理員として働きだして、体験したことや思ったことを書いてみようと思います。

 

私がマンション管理員になったのは、約2年前の7月1日でした。

定年になって約1年間、色々なアルバイトをやってみました。

老人ホームのサポートやお寿司屋さん。

清掃会社に障害者就労支援等。

なかなか、自分に合う職業が見つけられませんでした。

続けられると思った障害者就労支援施設では、管理職との意見が合わず、1年6か月で退職してしまいました。

残念な気持ちもありましたが、嫌な思いをしながら働き続けるつもりはなかったので、未練なく辞められました。

定年後に働くなら、我慢して働く事は避けたほうがいいです。

現役の頃と違い、新しい人生を始めるつもりで、何かしら自分の中で「これだけはしない」というモノを作っておいた方がいいと思います。

私の場合は「嫌なところで我慢して働く事はしない」です。

我慢して働けば、ストレスも溜まるし愚痴も増えます。

40年も我慢して働いてきたのですから、これから先は出来るだけ我慢しないで働く事を最優先させたのです。

そこで見つけたのが、マンション管理人の仕事でした。

通勤が1時間以内。

出歩くことが無く同じ場所で仕事をする。

出来れば1人で業務をする環境。

残業がない。

ノルマがない

等を条件として、探していたら「マンション管理人」が見つかったのです。

 

しかし、マンション管理人のお仕事は、週3回で午前中だけとか、フルタイムで働ける環境が、とても少ないのです。

私はたまたまフルタイムで働ける条件の募集を見つけることが出来ました。

但し、週6勤で土曜日のみ午前中と、現役の頃より勤務時間は長くなりました(残業はありませんが)。

それと、急な休みが取りづらい点も難点です。

管理組合との契約で、管理員が休暇の場合は、代行管理員を用意する」ことになっているので、急に明日は休みたいという事が出来ません。

そう考えると、週3日程度で働く管理員の方がいいのかも知れません。

が、私の場合は、フルタイムで働く事によって、毎日出掛けることが出来るし、毎日の勤務で規則正しい生活が送れるというメリットと、社会保険に加入できるというメリットを得ることが出来ました。

健康保険料は、国民健康保険のような高額でなく、会社折半なので給与から天引きされています。

また、厚生年金にも加入しているので70歳までは払い込みが継続されています。

この2点は大きなメリットです。

特に健康保険は会社折半なので、負担が軽減されます。

私が働く目的は、勤める事による規則正しい生活習慣の確保と、社会保険への加入です。

給与は60歳以降の高齢者に相応の金額が頂ければ充分でした。

 

そして、仕事内容ですが、終日同じマンションの管理室が拠点となりますので、どこかへ出掛ける事は滅多にありません。

殆ど1人で業務を進行させています。

 

大きなマンションには管理員の他に清掃員が数名勤務する場合もあるようですが、私の勤務するマンションは、50世帯程度のマンションなので、清掃業務も私が一人で行っています。

毎日、同じ場所を清掃しているので、実働は4時間程度です。

その他の時間は、管理室で報告書の作成や、防犯カメラのチェックなどをしています。

 

つまり、やるべきことをやっていれば、時間は自由に使う事が出来るのです。

マンションの敷地から出る事は許されませんけど、朝から晩までフル稼働ではありません。

定年を迎え、長く働きたい方には打って付けの職業だと、私は思っています。

 

しかし、そんな職業でも悩みの種はあります。

まずは、居住者様が出されるゴミの問題があります。

私は、約2年間マンション管理員をやってきて、とても感じた事があります。

それは、人は自分の事でも自分に影響がない事には、とても無関心になれるという事です。

マンションという居住空間は、共用部と占有部に分かれます。

簡単に言うと、自分の家の中と誰でも使うマンションのエントランスや廊下の事です。

その他にも、エレベータやゴミの集積場などもあります。

管理員になって一番苦労するのは、ゴミの処理対応です。

ご存じのとおり、マンションのゴミは居住者の方が、決まった日に決まった種類のゴミをゴミ集積場に持ち込みます。

これは戸建て住宅に住む方でも同じで、区域で決められたゴミ集積場(ゴミ捨て場と呼ばれていることもある)に置きます。

しかし、ご覧になった事があると思いますが、そのゴミ集積場に回収業者が回収できないゴミが、置き去りにされていることがあります。

マンションの管理員をやるまでは、見えてはいたのですが、見てはいませんでした。

つまり、意識して見ることはしていなかったのです。

極端な事を言うと、自分の出したゴミが回収されずに、ゴミ集積場に置き去りにされていても、全く気にすることは無く「誰かの出したゴミが置き去りにされている」くらいにしか思っていなかったのです。

見える場所に置かれているゴミですら意識しないんですから、マンションのゴミは、集積場という、扉と壁で囲まれた空間に置かれるので、全く見えることが無くなります。

そんな中に残されたゴミは、いつまで経っても残されたままです。

回収業者は、ルールに合っていないゴミは回収しません。

人間は、自分の手から離れたゴミ(不要物)には見向きもしないのです。

 

もっと極端な事がありました。

ある居住者様が管理室まで来られて、「この傘を捨ててくれ」と言ってきたのです。

話を伺うと傘は自転車置き場に置かれていたようで、誰が置いたか解らないそうでした。

私もその傘が置いてあるのは知っていたのですが、自転車置き場に置かれていたので、誰かが置いたものと判断し、そのままにしていたのです。

以前に、自転車置き場に置かれていた袋を処分しようと思い、近くに停めてあった自転車の持ち主に、その袋の事を聞いたら「それは私が置いた袋」と言われたことがあり、自転車置き場に置かれたものは、勝手に処分してはいけないと判断していました。

ところが、その傘は誰かが持ち込んで放置した傘だったようで、壊れていたらしいのですが、きちんと折りたたんであったので、敢えて回収しませんでした。

しかし、その居住者の方は「マンション敷地内のゴミを放置しているというのは、職務放棄ではないか」と怒鳴り込んできたのです。

このように、解釈の違いから誤解が生じる事もあります。

特に、傘のような不燃ごみは有料ごみゴミ袋に入れて出さないと、回収業者は回収してくれません。

管理人は管理組合から有料ごみ袋を供給されていない場合もあります。

であれば、ゴミとして処理をすることが出来ないのです。

多分、この傘は外部の方が壊れた傘をわざわざ自転車置き場に放置されたのだと思うのですが、本当の事は解りません。

 

面白いものですよね。

自分でもそう思いました。今まではゴミがゴミ回収場所で散乱していても、なんの興味も持たず、横目で見て頂けなのに、自分がゴミを管理する立場になった途端に、ゴミに対する認識が変わって、自分の管理しているマンションだけでなく、道端にあるゴミ回収場所が気になり出し、歩きながら見てしまう事もあります。

指定された日でないゴミが置き去りにされているのに、誰も気にしない。

ゴミを出した方は、その前を歩いているかもしれないのに気に掛けない。

自分の居住空間から離れた、自分の出したゴミは自分の所有物ではなくなっているし、名前がないので他人からは解らない。

この意識が無責任なゴミの搬出を誘発させ、カラスの恰好の餌場になり、ゴミが路上に錯乱することになります。

マンションのゴミ回収場所は、閉鎖的な空間なので人目に付くことは無いですが、この人目に付かない事が、人の悪い習性を露呈させることになる。

誰も見ていなければ、少し早いがゴミを置いてこようと思い、月曜日の昼の回収なのに、日曜日の朝からゴミを出してしまう。

ちょっと位なら違ったゴミが混じっていても大丈夫だろうと思って、可燃ゴミの中にガラス瓶の小さい物を入れてしまう。

こんな思いが、ゴミ回収をする業者にどれだけ迷惑を掛けているかは考えもしない。

それが、人間の負の習性なのですね。

 

マンション管理員は、居住空間に近い場所での仕事です。

時には、このような人間の嫌な部分を見てしまう事もあります。

でも、私はこの仕事に就くことが出来た事を誇りに思っています。

そして、出来るだけ長く勤務を続け、担当する居住者と楽しく時間を過ごして行きたいと思っています。

 

白鳥を描きました。今年の2月に描いた絵です。季節がずれてしまいましたが、朝の暗い中を飛び立つ姿です。冷たい空気が凛とした中で、空へ飛び立つ姿は凛々しさが伝わりました。

 

こちらの絵は、明るくなった湖で優雅に浮かぶ白鳥です。ひと時の安らぎを与えてくれました。

 

知らぬ間に思考がデジタル化(?)

お早うございます。

 

今日は5月26日の日曜日です。

時間は6時15分

曇り空です。

5月も残り5日となりました。来週は6月です。年々日々の流れが早く感じられるようになってきました。

さらに季節感が変化しているようにも思われます。さすがに季節が逆転しているまでにはなっていませんが、寒暖の差が厳しくなったように思えます。

急に暑くなったり寒くなったりと、不安定に感じるのは私だけでしょうか。

 

さて、本題ですが、ある出来事をキッカケに私の思考がデジタル化されていることを感じました。

昨日や今日といった最近に始まったことではないのでしょうが、気付いたのが最近だったのです(昨日でした)。

思考のデジタル化とは、考え方が極端になっているという事です。

「出来る」か「出来ない」、「良い」か「悪い」というように、二者択一の考え方になっているということです。

思考がデジタル化すると、考え方が単純になるので、決定が早くなり生きやすくなるのではと思っていたのですが、どうもそうではないようです。

自分の中で消化できる事はいいのですが、他人と関わるには、デジタル化が進んでしまうと、トラブルを招くことが発生すると思いました。

「出来る」「出来ない」をはっきりと認識してしまうので、他人にも強要してしまっていたようです。

私の人間性もあるのでしょうが、デジタル的思考は、極端な考え方に傾いてしまうように思われます。

例えば、誰かが犯したミスは許せるのか、許せないのかという事を考えた時、デジタル化の思考は、「ミスは許すわけにはいかない。しっかりとリカバリーをするべき」と決めてしまうことになります。

しかし、アナログ的な思考であれば、「そのミスの内容や発生した状況などを鑑みて、本人に能力や対応を考慮したうえで、どこまでをリカバリーさせるかを検討する」という考え方になる場合もあります。

デジタル化の思考による対応は、時短化が出来、責任を明確に出来ますが、当事者にしてみれば、負担が大きく納得のいかない結論と受け入れられない部分も出てくるのではないでしょうか。

アナログ的思考で対応した場合は、状況の把握や当事者の対応で時間が掛かったり、曖昧になる判断も出ますが、状況によっては当事者がしっかりと反省する時間を作る事も出来るし、次のステップへ繋げるために時間を掛けることができるというメリットもあるかもしれません。

 

21世紀になってからの世界は、デジタル化の進歩が著しく、AI技術の進歩やインターネットの普及で情報取得の容易化や、SNSによる情報流布のスピードが速くなり、情報の多様化で個人の情報も公の場で一人歩きするようになって来ました。

我々は、そんな情報社会で色々な情報を分別して、良い情報と悪い情報を見分けなければなりません。

 

つい最近も、ある芸能人に関する根拠のない情報がインターネット上で流布し、3割位の方が鵜呑みにしていたというニュースが流れました。

知らぬ間に、情報の分別をデジタル的に分別しなければならないような環境になってしまっているのではないでしょうか。

 

解っていて思考をデジタル化して、選択のスピードを速めるように意識しているのであれば問題は無いのですが、知らぬ間に思考をデジタル化して、情報の精査もせずに入ってきた情報を信じる、信じない、又は良い、悪いで判断するようになってしまうと、思考の単純化に陥り深く情報を分析したり、自分の感情を意識しなくなるのではないかと思えたのです。

私がそうなりつつあったのです。

自分はこう考えるので、自分の考え方と違っている考え方は受け入れない(そこまで極端ではないですが)場合は、その方の人格まで否定してしまう思考になってしまったり、一切、交わる事を拒否したりとなり、いじめの原因にもなるように思います。

 

さらに、極端になると自分以外を信じられず、自分を孤立させてしまい、究極は自殺にまで発展してしまう場合もあるかもしれません。

 

自分だけの考えに拘るのではなく、他人の考え方も聞き、そんな考え方もあるという事を認識したうえで、自分と違う考えを持つ人がいること、どうしても相容れられない意見を持った人とは必要以上に関わらないようにするスキルを学ぶことで、思考のデジタル化を抑えることが出来るかもしれません。

思考のデジタル化が悪いのではなく、全てをデジタル化してしまい、思考の幅を狭めてしまう事が、自分を狭い世界へ追いやり、自分自身への不信感や怒りの解消が出来なくなり、自分を壊してしまうことになり兼ねない怖さがある事に気付いたのです。

 

最前線で働いている方や、いつも競争の中にいる方々は、どうしても思考がデジタル化してしまい、極端な思考になりがちになると思いますが、色々な考え方があり、世界感があるという事を知ることも大事なことと思います。

 

もし、少しでもそんなことを感じる方がいらしたら、ちょっと立ち止まって自分を振り返ってみませんか。

 

カワセミです。綺麗ですよね。大好きな鳥です。何度でも描きたくなります。

 

もう、季節が過ぎてしまいました。自宅の庭にもよく飛んできます。なぜか2羽で訪れてくれますが、すぐに飛び去ってしまいます。

 

自分の弱さを痛感した

こんにちは。

 

今日は5月18日の土曜日です。

時間は午後2時40分。

今年一番の暑さとなりました。

現在の気温は26℃です。

昼時は28℃になったようですね。

7月の気温ですね。

暑いのですが、湿度が低いので不快感はありません。

嫁はエアコンを入れて和室で寛いでおります。

 

今日は、65年間の人生で一番大きな自分の弱さを痛感した時の心境を書きたいと思います。

 

「何を大袈裟に」と自分でも思っているのですが、そんな自分に気付いた時は衝撃でした。

 

実は、4月30日にある小学校から依頼を受けて、私が所属している劇団が出張公演に行ったのです。

小学校3年生に、私どもの芝居を観て頂くことになりまして、お邪魔をさせて頂いた次第でした。

公演自体は無事に終わり、子供達とも楽しい交流の時間を作って頂き、ハイタッチをしたり、個別にお話しをさせて頂いたりと、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

その楽しさのあまり、私は小道具を小学校の体育館に忘れてしまったのです。

忘れた事は連休明けまで気付かず、先週の稽古で新しい台本を受け取り、自宅で読んでいた時に思い出したのです。

思い出しても、自分でどうすることも出来ないと思い、劇団のグループラインに「小道具を小学校に忘れてしまいました」と「トーク」を入れました。

その日は、誰からも返答が無かったので、「伝えたからいいかな」って思っていたら、翌日の早朝に代表から「小学校へ問い合わせてください」とメッセージが入っていました。

そのメッセージを見た私は、「ゲッ!マジか」と思ったのです。

そして、自分に言い訳を始めたのです。

「そんなこと言ったって、学校に電話したってある訳ないよ。確かに置いた場所も思い出したから、誰も触らなければあるとは思うけど」とか、「かれこれ2週間以上経つのだから、学校側で気付けばアテンドしてくれた方に連絡が行くはず。その連絡が無いのは、誰も気づいていないんだから、こっちから連絡して手間を掛けさせては申し訳ない」なんて、

出来ない事ばかりを考えてしまいました。

挙句の果てに「そんな頻繁に使う小道具じゃないんだから、そのままでもいいじゃん。なんで、わざわざ連絡しなければいけないんだよ。そんなら代表が連絡してくれよ」と、あろうことか、正論を言ってきた代表を詰る様な事を考えてしまったのです。

「誰が忘れたのか」。

この私です。私がきちんと確認をしなかったため、小道具を置き去りにしてしまったのです。

なので、自分から連絡を入れて、小道具があったなら引き取りに行って、お詫びをするのが筋なのです。

いい年をした初老の男であれば、当たり前にやるべきことです。

しかし、私は出来ない事が優先されていました。

しかし、そんな事を考えている自分に気付いたのです。

やりもしないうちから諦めてしまい、小学校に電話をすることから逃げようとしたのです。

私はこの時、私の考え方は「自分の嫌なことから逃げるための言い訳を考える人間」であることに気付きました。

他人のことなら正義をかざし、偉そうに行動を促すのに、いざ自分がその立場になった途端、やりたくないので出来ない理由ばっかり考えていたのです。

そんな自分の弱さが無償に腹立たしく思え、「電話だけでもしてみよう」と思う事にしたのです。

Webサイトで学校名を入力して、学校の情報を入手し、電話番号を調べました。

「昼間は仕事をしているのだから、電話を掛ける時間が取れない」という言い訳も頭の中で暴れましたが、そんな時間はいくらでも取れるのです。

だって、決められたことだけやればいい仕事なんですから。

仕事中の私用電話はいけないのですが、午前中に電話をして「小道具の忘れ物」件を伝えたところ、電話に出てくださった先生がしっかりと探してくださり、折り返しのご連絡迄頂きました。

幸い今週は、15日と16日に私用でお休みを頂いており、時間に余裕があったので、16日の午後3時に引き取りに行く旨を伝えました。

対応して頂いた先生は、とても丁寧に応対して頂き小道具を見つけて、ご連絡まで頂きました。

私は16日の午後3時にお伺いする旨を伝え、電話を切りました。

何のことはなく、最初にお電話をしてから5分後には、小道具があった連絡を頂きました。

そして、16日の午後3時に小学校へお邪魔をして、無事小道具が手元に戻ってきたのです。

 

私は、とても貴重な経験をしたのです。

まず、きちんと持ってきた道具や衣装の確認を怠り、小道具を忘れていた。

それなのに、2週間以上も気づく事は無かった。

さらに、小学校へ電話をすることが出来ない理由を考えてしまい、行動を躊躇した事は事実です。

しかし、そんな自分を認めることが出来ない、もう一人の自分がそんな弱い私を叱咤するように指導をし、私は小学校に電話をしたのです。

「出来ない事を前程にして、行動を起こさない事は、自分の弱さに負けてしまっているだけだ」と思いました。

その事を理解した時、私は「人間は自分に不利になる様な事は、全く選択せず行動も起こさない(少なくとも私は)」と実感したのです。

 

つまり、私は自分に不利になる事や、やりたくない事からは逃げていたのです。

それじゃ、成長できませんよね。

 

そこで私は、考え方を変えました。

もし、電話をして相手が対応してくれないのであれば、やむを得ないから諦めよう」と思ったのです。

やってみて、結果が得られないなら諦めも付きますし、劇団に詫びを入れることも出来ます。しかし、何もしないで諦めて、挙句の果てに「どうせ対応してくれるわけがない」と逃げていても、何も解決しないのだと。

 

そして、そんな風に行動を起こせない自分の弱さを痛感したのです。

私は、65年間の人生で肝心な選択をする際に「どうせ」とか「やったって」という言葉を使い、選択を誤っていたのです。

自分の人生の可能性を自分の弱さで失っていたのです。

とても残念に思いました。

 

しかし、65歳で気付けたのですから、これからの人生では、そんな愚かな選択はしないようにします。

言い訳をせず、弱腰にならないで的確な選択をして、自分の人生を有意義なものに変えていきます。

そして、「やってよかった」と思える選択をして行けるように、努力していきます。

 

常に強気でいるのではなく、しっかりと考えて、選択と行動をするようにしていきます。

 

なんか、気持ちが先行してしまい文章がうまくまとまりませんでした。

 

自分の気持ちを書くとはこんなもんかもしれない。

 

茜色に染まる空に富士が美しかったです。

 

朝の静けさの中、1隻の船が滑るように相模湾を移動してました。江ノ島を見ながら美しいと思った風景です。