お早うございます。
今日は8月24日の月曜日。
時間は午前5時45分。
蒸し暑い朝です。
気付けば8月も残り8日となりました。
速いですね。7月28日に緊急手術で入院し、8月7日に退院をしてから13日が経過しました。
傷の痛みはありませんが、傷周辺の違和感はまだ取れません。
まあ、そう簡単にはとれないでしょうね。
特に今日のように蒸し暑い日は、お腹の傷だけではなく、1月に行った頸椎の傷跡も疼きます。
さて、今日は「生きている意味」と大袈裟な題名で書いてみようと思います。
私は、生後間もなく生死を彷徨ったと母親から、何度も聞かされて育ってきました。
母はバセドー氏病だったそうで、私を産んだ時に薬を飲んでいたそうです。
その薬が原因かは解りませんが、私に母乳を含ませた後、私が全身痙攣を起こし呼吸困難となりこん睡状態になったそうです。
昭和33年の片田舎ですから、近所に大きな病院もなく、町医者に連絡をして往診に来てもらったそうで、その医師も何の手立てもなく、時の過ぎるのを待ったそうです。
母は医師から、私の命は諦めるようにと、また、万が一にも息を吹き返しても、正常に育たない可能性が高いと言われたと言っていました。
呼吸停止時間が長く、脳に損傷が出る可能性を考慮したのでしょう。
幸いにも、呼吸停止時間は10分程度だったらしく、心停止状態も短い時間であったと聞いています。
ですが、呼吸停止、心停止状態になったのは事実だったようです。
小学校に上がるまでは、自宅から出てもせいぜい庭位だったことを覚えています。
年月は流れ、中学生になり運動部に入部してからは身体も丈夫になり、あまり病気もしなくなりました。
それまでは、季節の変わり目になると風邪をひき下痢をしてしまい、学校を休むことが良くありました。
社会人になってからは、ストレスのせいだったのでしょうか、急に意識を無くし倒れることが何度かあり、大学病院で検査を受ける時期がありました。
しかし、身体的には異常はなく脳神経外科で脳表面の細胞が壊死している箇所があり、脳表面のシワが浅い場所があると診断されました。
小さい頃の呼吸停止、心停止時に脳に酸素が供給されなかったことが原因ではないかとの見解でした。
いまは、倒れる事は全くないので、多分心意的なストレスが原因だったのではと、素人診断をしています。
そんなふうに、自分は知らずとも仮死状態になったり、突然の意識欠損による転倒などを経験していますから、自分は何のために生まれてきたのかという事を、よく考えました。
何か使命があって生まれてきたのではないのか、もしそうなら、その使命とは一体なんなのだろうと、よく考えていました。
しかし、私の人生はごく一般的な人生でした。
2代前半で社会人デビューをし、そこからはひたすらサラリーマン人生を歩んできたのです。
その人生は恵まれていたと言っていいのかもしれません。
仕事では、自分のやりたいことをやってきましたし、北半球を1周するほど、海外へも行かせてもらいました。
一時は従業員100人近い企業を社長に変わり、切り盛りをして、売上高を創業後一番にしたこともありました。
しかし、それが生きる意味ではなかった事を、最近になって思うようになったのです。
華やかな時代に裏には、暗い思いもありました。
売上に貢献した会社からは、段々と煙たがられて、いつの間にか自分の居場所がなくなってしまった経験を何度かしました。
自分も増上していたのでしょう。
そして、定年を迎えてサラリーマン人生を終えた今、はっきりと解ったのです。
私が生きている意味は、「今をしっかりと生きていくこと」であるという事が。
栄光でも挫折でもなく、今を生きていくことが私の人生の使命なんだという事が。
自分らしく、誰の為でもなく、自分の為に今を大事に生きていくこと。
それが、私を産んでくれた両親への最大の親孝行だと確信しました。
特に最近は、体調に大きな変化が現れ、年に2回も手術をしてしまい、現在だから生きていられるが、60年前であったら死んでいたのかも知れないと思うのです。
でも、2026年の日本に生きているので、こうしてブログの原稿を書くことが出来ているのだと思いました。
それは、とても有難い事なのだという事も。
であれば、こうして生きているこの瞬間を大事にしっかりと生きて行こうと思ったのです。
生きているということに感謝をしながら。






