こんにちは。
今日は12月21日の土曜日です。
時間は16時15分です。
前回のブログでも書きましたが、12月10日の夕方に倒れて緊急搬送され、そのまま緊急入院をしまして、退院後に専門クリニックで診療を受けました。
腎臓の表面が荒れているとの所見を頂きたので、泌尿器科に受診することにしました。
加齢のせいで、腎臓も弱っているのかと思い、受診をしてみました。
実は、右の腰のあたりに痛みを感じており、この痛みの原因が腎臓から来ているのかもしれないと思ったのです。
ところが、泌尿器科の医師の所見は、その痛みは腎臓から来ている者ではなく、坐骨神経とか、ヘルニアの類かもしれないと言われ、総合病院の整形外科に紹介状を書いていただき、12月16日に診療を受けました。
診療でレントゲン撮影をして、背骨などに異常はないかを確認しましたが、所見は異常なしとの事でした。
そうなると、MRI検査をしなければ解らないとの事でしたが、16日の17時に泌尿器科でもMRI検査の予約が入っており、整形外科でのMRI検査は19日になりました。
2つの病院でMRI検査を受けるという経験は初めてですが、私の感想は何故この時期にこんなに病院のお世話にならなければならないのだろうという事と、12月だけで治療費が10万円位掛かってしまうという経済的な負担でした。
このブログでも、健康については何度か触れていますが、本当に体調を崩して病院の治療を受けると大きな経済的負担がのしかかってきます。
MRI検査、緊急入院費、倒れた事に伴う治療費など、それは結構な出費になりました。
7月にも緊急搬送されコロナ感染と診断されていますので、この時の治療費も5万円程度を出費しました。
しかし、66歳という年齢を考えると、ある程度は病院に通って体を診てもらうのは投資と考えなければなりません。
今回の件で、腎臓の上部に小さな水泡が出来ている事が判明し、さらに前立腺がいくらか肥大していることも解りました。
通常の健康診断では、判明する症状ではありません。今回のようなことがなければ、治療を考えるような事はなく、何か支障が出て初めて治療を受けることになると思います。
そう考えると、今回は症状が出ていない部位の変化も解り、早期の治療ができたのですから、良かったと考えるべきです。
腰の痛みは今も続いており、整形外科でのMRI検査の所見は23日に医師から所見を聞くことになっています。
泌尿器科のMRI検査の結果は、私の都合で来年の1月6日に診療を受けることになっています。
その結果は、私の予測では対処療法となると思っています。
つまり、ここに障害があるから摘出をしなければならないと言うような具体的な治療ではなく、腰の痛みの原因ははっきりしないが、痛みはある様なので、鎮痛剤を頂き経過観察となるように思えるのです。
と言うのも、この痛みは加齢からも来ているのかも知れないと予測しているからです。
年齢を重ね、腰には負担が掛かってしまっているのではないかと思います。
そうなると、骨格の変形によるヘルニアとなるのでしょうが、所見が解らない程度の変形により、神経が圧迫されて痛みを感じるようになっているのではないかと思っています。
つまり、この痛みとはお友達になって、これからずっとお付き合いをしなければいけない事になると思っているのです。
痛みが酷くなったら病院に通い、今回のようにMRI検査やレントゲン検査を受け、骨に異常がないかを確認するしかないと思っています。
腎臓や前立腺も同じでしょう。
排尿障害が出るようであれば、投薬で前立腺の腫れを抑えるだけです。
このようにして、年齢と共に治療費が家計の負担を大きくするようになるのだと思います。
今回、突然倒れた理由は判明しません。
私も何故、急に転倒したのか解りません。
多分、今後はこのような事が増えるかも知れません。
なので、自分自身が十分に注意をして、急に方向を変えるような事をしないようにしたり、定期的に泌尿器科や内科、整形外科に通院し体の状態を確認してもらうことが大事になってくるのではないでしょうか。
加齢というのは、自分が思っても見ない身体の変化を起こすようです。
その事も十分に理解しておかなければなりません。
今回の転倒で思い知らされました。
自分では健康に注意し、食事や睡眠などにも気を配っているつもりでも、身体は正直です。
弱っているところは知らず知らずの内に、衰弱して変化しているのです。
だから、無理をせず身体の変調には速やかに専門医に診療をしてもらい、出来るだけ症状を抑え、さらに進行を抑えるようにしなければなりません。
でなければ、医療費が家計を圧迫することになり、なにより自分の思うような生活が出来なくなるのです。
40年間も自分を犠牲にして働き続け、やっと自分の人生を歩めるようになったのに、体が病巣になってしまっては、老後を満喫できなくなります。
弱ってしまった事は素直に受け止め、そのうえで今後の人生をどれだけ楽しく生きていくことが出来るかを考えるのも、これからの楽しみではないでしょうか。