さて、今回は私が小学校の低学年時代を振り返ってみよう。
小学校の入学式の記憶はほとんどない。
おぼろげに覚えているのは、学習教材で「おもちゃのお金」を貰ったことだけだ。
なぜか、この記憶だけはしっかりと覚えている。
どこの教室かは覚えていないが、教科書や教材を渡された時に、私が一番興味をもったのが「おもちゃのお金」だったのだろう。
その時、隣に座ったのが誰かも覚えていない。
が、「おもちゃのお金」の入った箱を貰ったらすぐに開けて「おもちゃのお金」を見た事を覚えている。
箱の中には、紙幣と硬貨が入っていて、紙幣は実物より小さく片面だけが印刷されていたと記憶している。
当時はまだ100円紙幣があったので、100円紙幣や500円紙幣も入っていた。
現在では、100円紙幣も500円紙幣もないし、会ったことすら忘れているのではないだろうか。
1万円紙幣も、聖徳太子の肖像が印刷されている紙幣であった。
硬貨も1円、5円。10円、50円、100円硬貨が用意されており、すべてプラスチック製で、片側だけしか模様は無かった。1円硬貨と10円硬貨は現在でも変わっていないが50円硬貨は現在と違っていて、大きくて穴が開いていないデザインだったと記憶している。100円硬貨も大きかった。
算数の学習でお金の計算をするため、「お金のおもちゃ」が使われたと思われるがが、授業で使ったことは全く覚えていない。
多分、授業を真剣に聞いていなかったのであろう。
私が通った小学校は3年生まで分校があり、4年生から本校へ通うことになっていた。本校までは約4キロほどの道のりがあったので、
小学校低学年では、通学が困難と判断されていたのだろう。
私の家から分校までは、子供の足で徒歩15分位かかったと思う。
学年1クラスで1クラス19人であった。
木造の校舎で、木の机と椅子だった。校庭はとても狭く50メートル競走も出来なかった。
不思議と同級生は覚えているが、上の学年や下の学年の方の記憶は殆どない。多分、一緒に遊んだ記憶が無いんだと思う。
この年齢になると当時の同級生との交流は皆無になってしまった。
特に私は現在、生活をしている場所が、当時とは違うので交流が無くなってしまうのは仕方がない事なのだろが、年賀状のやり取りや
同窓会の誘いも、全くない。
如何に、当時から交友関係が狭かったかがうかがえる。
そんな私でも、小学校低学年時代に良く遊んだ友人がいる。
名前はY君としておこう。
Y君は、私の家から歩いて5分位のところにあった。当時の家族はお爺ちゃんとお婆ちゃんと両親、そして弟がいた。
お爺ちゃんは明治の方で厳格で厳しい人だった。お婆ちゃんは優しい可愛いお婆ちゃんだった。
Y君は、当時はやっていた「鉄人28号」が大好きで、走るときは必ず鉄人の真似をしてはしっていた。
小学校1年生の時は、普通に授業を受けており、それほど目立つこともなかったが、2年生になった頃から、変わった行動が目立ち始
めた。授業中に落ち着きが無くなり、頑固な態度を取るようになったのである。勉強にも着いていけず、他の人と同じことが出来なく
なってきたのである。
でも、私はそんな彼が大好きで、毎日遊びに行っていた。
彼との思い出で印象深いのは、彼が小学校3年の時、クラスメートの上履きをすべて隠してしまったことである。
何故、そのようなことをしたのかは解らないが、全員の上履きを学校の近くの林の中に隠してしまったのである。翌朝、登校したら全員の上履きが無くなっており大騒ぎになった。しかし、一人だけ上履きを履いているのがY君で、犯人はY君であることがすぐに分かったのである。
Y君は、上履きは近くの林の中にあると言って、全員の上履きを取りに行ったが、前の夜に降った雨でぐしょ濡れになった上履きを持
ってきた。さすがに全員の上履きをすべて持ってくることが出来ず、私は残りの上履きをY君と一緒に取りに行ったことを覚えている。
先生に、何故こんなことをしたのかと問いただされていたが、明確な理由は言わず、「みんなが僕を馬鹿にするから」と言ったことを
覚えている。
私は、そんな彼の行動が理解できなくなっていた。
彼の家に遊びに行くと、彼は自分のやりたいことを強要するようになり、一緒に遊ぶことが出来なくなってきた。
彼の弟もY君とは一緒に遊ぶことが出来なくなり、私と良くあそぶようになった。
そんなある日、彼のお爺ちゃんから「もう、Yとは遊べないから、家には来ないでくれ」と言われ、私の両親からも、「もう、Y君と遊ぶのは止めなさい」と言われた。
Y君は、その頃から学校を休みがちになりだした。
そして、私は小学校4年になり本校に通うようになった。