こんにちは。
今日は4月6日の土曜日です。
時間は17時30分。
季節は入学式のシーズンです。
来週の月曜日から新学期が始まり、入学式が行われる学校も多いのではないでしょうか。
私は定年も迎え、世の中の最前線でバリバリと活躍する事は終わりました。
そんな風に書くとなんか寂しくなりますが、私的にはそんなことはありません。
むしろ、今の自分の立ち位置を満喫しています。
私が定年を迎えたのは5年前です。
その時は、まだ働けるし働きたいと思っていました。
世の中の流れも雇用継続制度などが出来て、60歳で定年になるが、契約社員として継続雇用が認められたのです。
しかし、コロナ禍により継続雇用が反故になってしまいました。
当時は、辞めることに納得が出来ず、雇用延長を依頼しましたが、実現はしませんでした。
しかし、あの時点で会社を辞めた事は良かったと、今は思っています。
理由は何の未練もなく退職することが出来たからです。
会社を辞めるという事は不安だけでした。
それは、今迄の生活を変えることに対しての不安と、収入が無くなるという不安からでした。
しかし、いざ会社を辞めてしまうと、次のステージをどのように作っていくかを考える時間が出来、新たな人生の設計図を考えるのが楽しくなったのです。
いままでは、所属していた企業のために時間を使い、やりたくない仕事もやらなければならないというストレスと戦っていました。
しかし、今はストレスとは無縁の暮らしをしています。
今でも、企業に所属し働いていますが、責任の重圧はなく、自分のやりたいように仕事をさせて頂いています。
あの時、コロナ禍という状況だったので、退職しなければならなかった状況は、私の引き際をうまく演出してくれました。
今では、当時の会社との関係は全くありません。
さらに40年間働いていた職種からも、きっぱりと縁を切ることが出来ました。
定年後も同じ職についていたなら、こんな気持ちにはならなかったと思います。
人生は引き際が大事と言われますが、その言葉は当たっていると思います。
「ずるずると昔の栄光を引きずって過ごすことを良し」とする方もいるでしょうし、それが悪いとは言いませんが、折角、新たなステージを歩めるチャンスが定年なら、思い切って新しいステージにチャレンジするのも面白いですし、自分のキャパシティを広げるチャンスです。
話は変わりますが、引き際の鮮やかさは人生に大きな影響を与えるようです。
人生は、日々変化しているものです。引き際はそのステージの卒業と同じだと考えれば、自分で納得して、新鮮な気持ちで立ち去る潔さは、見栄えもいいのではないでしょうか。
後から続いて来る人達からも、引き際の素晴らしさを認めてもらえたら、自分の人生が満足できる人生になるのではと思います。
ニュースを賑わせている自民党の大物議員の引退劇で、見苦しいまでの記者会見はその方の引き際を美しいとは言えませんし、むしろ権力にしがみ付きたいという欲望が空けて見えて、淋しくもあり見苦しいとしか言えません。
片や、長い間出演していた番組を引退される落語家の引き際は、観客を喜ばせ笑わせながら惜しまれて引退していく。
その人側が暖かく感じられ、また戻ってきてほしいと思われる引き際でした。
この後、私は現在所属している会社を退く日が来ると思います。
身体が動くうちで、会社から望まれるうちは働こうと思っていますが、今の仕事を辞める時は、引き際を綺麗に辞めたいと思っております。