お早うございます。
今日は4月30日の日曜日。
時間は午前3時45分。
2023年も3分の1が終了した。
この年齢になると月日の流れが早く感じる。
それは毎日が同じ行動の繰り返しになるからだと誰かが言っていた。
確かに毎日が同じ行動の繰り返しになっている。
そして、1週間も同じ事になる。
さすがに1か月が全く同じ行動の繰り返しとまでは言えないが、3分の2は同じかもしれない。
起床の時間、朝食の時間、月曜日から土曜日までは出勤して、同じ作業の繰り返し。
確かに時間でコントロールしているので、大きな感動もなく、安定した日常の繰り返しとなる。
すると、感動と言った心の高揚感が減り、時間の流れの中で生存することになるので、時間の経過が早く感じるようになるのかもしれない。
これが老化に繋がるとも言われている。
特に男性は言葉を紡ぐのが下手なので、年齢と共に言葉を発する機会が少なるし、不要な言動を避けるようになる。
例えば、自宅にいれば必要に喋る事は無いだろう。
家族も不要に声を掛けることをしない。
何故なら、家族との繋がりが希薄になっているので、共通の話題が無いのである。
現役時代は朝から夜まで会社で過ごし、家族と情報を共有することが出来ない。
何故か家族の話題がウザったく感じ、出来るだけ関わりたくないという心理が起こり、積極的に家族の会話に入ろうとしない。
妻の話も聞いているが、サウンドとして聞いているので話の内容を把握していない事が殆どではないだろうか。
そうなると、自分の心が動くことが少なくなり感動が減るため、記憶に残る日常が少なくなる。
つまり、消極的な生き方に浸かってしまうのである。
子供の頃は、何をやっても面白く疲れを知らないから、その瞬間が楽しく、くだらない会話で大笑いをしたり、時には友人と仲たがいをして喧嘩になる事もある。
しかし、その心の揺らぎが自分の中に記憶として残り、時間の流れを遅く感じさせる。
感動などの心の揺らぎが無い時間は、平坦に過ぎていくので過ぎるのが早く感じるのである。
それが「老化現象」と誰かが言っていた。
私は今年2月に大事な家族(愛犬)を亡くした。
しかし、妻と話したのだが晩年の愛犬の記憶はあるのだが、飼い始めた頃の記憶が無くなっている。
それは、時間の流れの中で記憶が無くなったのではなく、日常を過ごすことで無意識に過去の情報を記憶の深層に追いやっているのである。
だから、愛犬の話をしているうちに、あんなこともあった。
一緒に散歩に行って落ち葉だらけになって歩いて、自宅に帰ってお風呂に入れたなんていう記憶が戻ってくるのである。
そんな記憶を取り戻すと家族間の会話が戻り、会話が弾み感動が蘇り充実した時間を過ごすことが出来るのである。
多分、世の中の中のよい夫婦はこのような時間を大切にして、会話をしているのではないかと思える。
人生の中で、一番長く時間を過ごすはずである家族をないがしろにしているつもりはないのだろうが、生活をするために働くという目的が、働くことが人生の目的になってしまい、大事な家族をどこかに置き去りにしてしまう、もしくは、自分自身も脇に追いやり企業の為に時間を使いきる人生になってしまう。
そうなると、生活がルーチン化してしまうので、時間の経過が早くなってしまうのではないだろうか。
その延長で定年後の時間を使っているなら、時間の使い方がとてももったいないように思える。
定年を迎えると自分の時間が多くなり、毎日が日曜日状態になると言われている。
その毎日が日曜日という表現は、現役時代の何もしない、家族との積極的な関わりも持たない虚脱感あふれる日曜日を言っているのであればとても残念ではないだろうか。
そうであれば、毎日が虚無の中で過ぎ去るので、時間経過が早くなるしつまらない毎日となってしまう。
新緑がまぶしい季節となり、公園では色とりどりの花が咲いている。
花を見ながら散歩をするだけでも、気分は変わる。
現役時代は目的のために歩き回ったが、定年後は目的を持たずに歩いてみることも大事ではないだろうか。
近所の家の庭に咲いている花を見ることも、散歩をしている犬とすれ違うのも、とても楽しい。
夕方の公園で楽しそうに遊んでいる子供達の声、何かが原因で喧嘩をして泣いている子を見るのも、自分の小さい頃の記憶が蘇るキッカケになる。
家に帰って妻との会話のネタになる。
そんな会話から自分の人生に彩が蘇ってくるかもしれないし、何か新たな目的が生まれるかもしれない。
積極的に外へ出掛けてみよう。
すると、なにか新しい発見をすることが出来るかもしれない。