何故、年齢を重ねると怒りっぽくなるのだろう

お早うございます。

 

今日は10月8日の日曜日。

時間は午前3時35分です。

はっきり言って寒くなりました。

急に寒く成りました。

つい2週間前までは、気温が最低気温で25℃を下回る事が無かったのに、今週は最高気温が30℃を超す真夏日はありませんでした。

それどころか、昨日や一昨日は長袖のシャツに上着を着て出掛けてしまいました。

さすがに日中は、半袖で過ごしても寒くはありませんが、朝晩は長袖シャツでないと肌寒く感じてしまいました。

これも年齢のせいでしょうか。

 

さて、その年齢のせいで思い出したのですが、どうして、50代以降の男性は子供を連れている女性に対して寛大な態度が取れないのでしょう。

以前も、この問題について記事を書いた記憶があるのですが、また今回も書いてみようと思いました。

 

実は私も一度、ベビーカーを押している方に文句を言ってしまった事があります。

場所は某ターミナル駅の改札前でした。

その方はベビーカーを押して改札前を歩いていました。

私も改札前を歩いていたのですが、私は自動改札を通るために、急ぎ足で改札の方へ歩いていました。

その方も改札を抜けたかったのでしょう。

いきなり私の前にベビーカーを割り込ませたのです。

私は定期券(当時は今のようなICカードではなく磁気定期券でした)を取り出し、改札機に差し込もうとしていたところへ、いきなりベビーカーが侵入してきたのです。

多分、その方は私がベビーカーを優先させてくれると思ったようですが、私から見ればいきなり横からベビーカーが割り込んできたように思えてしまったのです。

そして、何事もなかったように私の前に入り、改札を抜けたのです。

今、考えればその行為によって掛かった時間は数秒ですから、笑顔で譲ってあげればよかったのですが、私としては虚を突かれ多様に思ってしまい、怒りが込み上げてしまったのです。

で、つい「いきなり割り込んできてなんですか」と声を掛けてしまったのです。

その方も売り言葉に買い言葉になってしまったようで(もしかしたら、若干、気の強い方か、子供を連れていたので気が立っていたのかもしれません)、「割り込んだつもりはありません。言いがかりは止めてください」と言い返してきました。

そこで私も矛を収めればよかったのですが、言い出してしまったのと、怒りが収まらなかったので、「ベビーカーでいきなり割り込んできて、危ないじゃないか」と言い返しました(かなり以前の事なのですが、こんな感じの会話をしたと記憶しています)。

するとその方は、嫌な顔というより悲しい顔をしてその場に立ち止まってしまったと記憶しています。

多分、これ以上何かを言って、私を怒らせて、自分や子供に危害を与えられたら怖いと思ったのと、何故、こんな事を言われなければいけないのかと言う怒りと悲しさが、彼女を動かなくさせたのではないかと思います。

動かなければ、私がどこかへ行ってしまうと思ったのでしょう。

 

私がこんなに鮮明にこの事を記憶しているのは、自分の愚かさの為に育児という大変な事をやっていたその方に嫌な思いをさせてしまった事と、一時の怒りの為に前後を考えることが出来なくなってしまった自分への情けなさなのです。

何故、私はあの時もっと寛大になれなかったのか、思いやりを持つことが出来なかったのか。

その思いが今でも、この事を忘れる事が出来ない記憶にしているのです。

 

電車にベビーカーで乗り込んでくる方を見ると、狭い車内にベビーカーを乗せるのは嫌だろうなとか、周りの視線が気になるだろうと思ってしまう事があります。

また、もう少し周りの方の事も意識し他方がいいのではと思う事もあります。

ベビーカーで乗り込んでくる方の全てが身勝手な行動をしている訳ではないし、悪気があるわけでもないのです。

やむを得ない事情で、電車に乗らなければならない場合もあるでしょう。

周りを無視している訳ではないけど、周りにばかり気を使いすぎて、疲れてしまう事もあり、気が回らなくなっている時もあると思います。

最近では電車の中で泣いていると、「うるさいから降りろ」と脅す輩(殆ど中年以上の男性)が居るそうです。

私がやったことも、この手の輩と変わらない行為です。

言われた方がどれだけ傷つくかを考えず、自分の感情だけで言葉をはいて、相手を威嚇してしまったのですから、間違いなくハラスメントですよね。

言い換えれば、家庭の中でも妻に向かって、無意識に暴言をぶつけているのかも知れません。

年齢を重ねると前頭葉が老化し始めて、自分の感情をコントロールできなくなるそうです。

そう言った医学的な見地から暴言を言うようになるそうですが、それだけが理由ではないのではと思っています。

これは、私の考えですし私の行動を客観的に見て思っているので、全ての方に当てはまるとは思っていません。

私は、自分に子供が出来た時、自分では面倒を見ているつもりでいましたが、しかし母親に比べれば父親の子育てなんて、たかが知れています。

子供と接する時間は平日4時間位だったと思います。いや4時間も無かったかもしれません。

子供が赤ちゃんと言われている頃でも、帰宅は20時以降でしたし、家を出るのは7時頃ですから、殆ど子供は寝ています。

育児は殆どが妻任せだったと思います。

幼稚園に入園する頃でも、平日は数時間しか一緒にいることはありません。ご飯や入浴などは殆ど妻任せでした。

休日でも、都合のいい時は遊んであげましたが、家事や育児には殆ど手を出さなかったと思います。

つまり、電車の中に子供が貼ってくると、自分の領域を侵害されたと思い、高圧的な態度を取って威嚇をしてしまうのは、中年以降の男性の防衛本能なのではないでしょうか。

私は、自分の中にもこの気持ちがあったことを否定できません。

さすがに今では、そのような気持ちが出ることは無くなりました。

と言うより、そのような方々の近くに自分を置かないようにしています。

見えれば気になりますし、正直に言えば混んでいる電車にベビーカーや泣き叫ぶ子供を乗せていれば、いい気持ちにはなりません。

しかし、これは仕方がない事です。

であれば、自分がその場所から離れるしかないのです。

その方たちを攻めても何も解決しませんし、自分が嫌な思いをするだけです。

折角、年齢を重ねてきて、色々と経験しているのですから、自分から嫌な思いを買って出ることは無いでしょう。

そう考えれば、お互いに嫌な思いをしなくて済むのではないでしょうか。

子供に罪はありません。ベビーカーに罪もありません。

ベビーカーを押して電車に乗るお母さんにも罪はありません。

むしろ、泣いている子供とお母さんに対して悪態をつく高齢者(若年者)に罪があると思います。

みんなが楽しく過ごせる空間を作るのは、自分達です。

気になって嫌な思いをするのであれば、その場を離れてしまう方が、ずっといいのではないでしょうか。

自分の主張を曲げないとか、自分は年長者だとかいう思いは、脳が老化して考え方が硬くなってしまった証拠のように思えます。

自分自身が楽しく過ごすには、自分の考え方を柔軟にして、楽しく過ごすことを考えるべきではないでしょうか。

人を変えることは困難ですし不可能でしょう。

しかし、自分を変えることは出来ることです(変えてはいけない事もありますが)。

 

楽しく過ごすためなら、自分の許容範囲で自分を変えてみませんか。

そのほうが、ずっと楽ですし楽しく過ごせると思いますよね。

 

白い山茶花を描いてみました。まだ山茶花は咲いてませんが、毎年、我が家の庭には山茶花が咲きます。沢山の花を付ける山茶花は冬の到来を告げてくれる花です。