いつから老化と言うのだろう

お早うございます。

今日は9月3日の日曜日。

時間は6時です。

 

ニュースでは、夏の猛暑も峠を越えて、これから少しずつ暑さは和らいでくると言ってました。

確かに朝からうだる様な暑さではなくなりましたが、台風の影響でしょうか湿気を強く感じる朝です。

私はこの湿気が大の苦手です。

身体に纏わりつく湿気で、体中がべた付くようでとても不快に感じてしまうのです。

と言って、エアコンを付けると冷え過ぎてしまい、手足が冷たくなってしまうのも耐えられなくなりました。

特に今年の夏は暑いのに靴下をはかないと足が冷たく感じるようになったのです。

昨年までは、こんな風に感じたことがありませんでした。

冬でも靴下をはくのが嫌いな方だったのですが、今年は足が冷たく感じてしまい、靴下を手放せなくなりました。

体質が変わったのでしょうか。

 

そこで今日は、65歳を目前に控えた高齢者の愚痴とも屁理屈とも取れる世迷言を書いてみます。

 

昨日の11時頃でしょうか。

管理員として働いているマンションの居住者がお出掛けをするために管理室の前を通られたので、「行ってらっしゃいませ」と声を掛けました。

すると、春の頃にはお母さんの抱っこされていた男の子が、元気に歩いているのです。

私の顔を見るとにっこりとほほ笑んで、手を振ってくれました。

他人の子供は手ばなしで可愛いもんですね。

つい、管理室の小窓から顔を出して、手を振ってあげました。

私の顔を見ながら歩いたので、足がもつれて尻餅をついてしまったので、つい「大丈夫?1人で立っち出来る」と声を掛けてしまいました。

すっかり、「じいじ」になっていたのです。

その子は自分で立ち上がり振り返って、また手を振ってくれました。

 

「成長するってことは出来ることが増える事なんだな」と思いながら、その家族を見送ったのです。

 

夕食も済み、1人で本を読む為に自分の部屋に行き、今日の事を思い出していると、「あの子は日々、出来ることが増えている。出来ることが増えるという事が成長なんだろうか」と考えました。

であれば「出来ない事が増えていくこと」が老化なんだろうか。とも考えたのです。

考えたというより、頭にその言葉が浮かんできたと言ったほうが適切かもしれません。

 

以前にも書いたし、著名な医師も言っていますが、年齢を重ねていく「加齢」と「老化」は同じではないそうです。

確かに「加齢」は絶対条件で、この世に生を受けた時から加算されていきます。

生命のある個体であれば例外は認められません。

あまり、広げ過ぎると解りづらくなるので、あくまでも人間を基準に考えてみましょう。

人間の生命は、母親の胎内で受精により始まります。

どうしても、母親が出産をして個体として体外に出てきたときからで考えがちですが、生命としては、母親の胎内にいる時から始まっているのです。

その証拠に胎内で活動していることは、殆どの方が認知していると思います。

胎内で約10ヵ月の歳月を過ごし、人間の形状に成長し、胎外で出て自己呼吸を始め人間としてしっかりと認知される訳です。

出産直後は、自己意識は無く呼吸をし、母乳を飲み、排せつをするだけの動物です。

それが段々と自己主張を始め、お腹が空いたら泣いて知らせるようになり、不快感や不安も意識するようになって来ます。

生後も体を動かす事は出来ましたが、時間が経つと、自分の意志で体を動かし、声を発して、自己主張を始めます。

やがて、笑ったり言葉を発したり、歩いたりと行動範囲も広がり、色々な事を経験して成長していきます。

 

私もその道を辿って来ました。

そして、今は「老人」と言われる部類に所属するようになっているのです。

では、いつから「老人」となるのでしょうか。

いつから「老化」が始まるのでしょうか。

それは時代によっても変化しているようです。

100年以上前であれば、50歳は立派な「老人」だったようです。

当時は医療技術も進化しておらず、生活環境もよくなかったので、寿命が短かったため「老化」も早かったのかも知れません。

 

という事は、「加齢」と「老化」は同じではないという事になるのでしょうか。

「加齢」が進んでいても「老化」していない(全く老化していない訳ではありません)人も出てくるかもしれません。

私が思うには「精神的な老化」と「肉体的な老化」に分けられるでしょう。

「肉体的な老化」は若干の差異はありますが、間違いなく表れます。

どんなに頑張ったって、10代のままの容姿でいることは出来ません。

しかし「精神的な老化」は個人の考え方により変えることが出来るのではないでしょうか。

幾つになっても「チャレンジ精神」を持ち続けることが出来たら、「精神的な老化」を遅らせることは出来ると思います。

 

私も最近、諦めることが増えました。

例えば、資格試験を受験することを諦めました。

「この年齢で視覚試験を受験しても何になるのだろう」と考えてしまったことがありました。

それと、今迄は館内清掃で、エレベータを使わずに階段を上っていたのですが、今年はエレベータを使うようになりました。

暑いし体力温存のためなどと自分の中で言い訳をして、エレベータを使いだしたのです。

ふとしたことで、言い訳をして自分に限界を作ることが「老化現象」なのかも知れません。

何日か前のヤフーニュースで三浦雄一郎さん(冒険家)が90歳で富士山を登ったという記事がありました。

多分、彼はエベレストにも登りたいと思っていると思います。ですが、さすがに危険を意識して富士山に登ったのでしょう。

「肉体的な老化」には抗うことが出来ないが、「精神的な老化」に抗い富士登山を行ったのでしょう。

そういう意味では、三浦さんはまだ「老化」していないと言えるのかも知れません。

 

そのように考えると、「成長」から「老化」に変わるのは、誰かが決めるのではなく自分自身が無意識のうちに決めているんだなと思いました。

 

そして、人間は何歳になっても「チャレンジ精神」を忘れなければ「老化」はしないのではないかと思いました。

何歳になっても、新しい事を習得していく心掛けを忘れてはいけない。

昨日、見たお子さんのように尻餅をついても笑顔で立ちあがり、歩き出す気持ちを忘れてはいけないと感じたのです。

 

白の睡蓮とピンクの睡蓮を描いてみました。ピンクの睡蓮は水面に逆像が映っています。うまく表現出来たと思いますが、如何でしょう。