今年を振り返る

お早うございます。

 

私事ですが、いよいよ63歳も残すところ2日となりました。

今年も健康で大きな事故もなく、1年を過ごすことが出来ました。

そこで、今日は昨年の誕生日からの1年を振り返ってみたいと思います。

 

2021年11月から2022年6月まで

 

昨年の今頃はまだ障害者施設で働いていました。利用者と一緒に精神病院の清掃業務を行っていました。

朝9時に利用者と一緒に施設を出発して、病院に向かい、2時まで清掃作業を行う毎日を過ごしていました。

一緒に清掃をする利用者は、身体障害者ではなく、軽度の精神障害者自閉症統合失調症等)や知的障害者だったので、清掃作業は問題なく行えたのです。

しかし、何か突発的なアクシデントが起きたりすると、対応することが出来なくて考えられない行動をしたり、利用者によっては攻撃的な行動になる場合があり、その際の対応に苦慮したことを覚えています。

しかし、彼らはとても素直な性格な子が多く、気持ちが安定すると、自分の否を認め素直に謝罪をすることが殆どでした。

病院も、精神病院という特殊な環境の病院でしたので、利用者と患者のトラブルは注意していましたが、まれにクレームを言ってくる患者はいましたが、殆ど問題はありませんでした。

私は、この仕事にはやりがいも感じていたので、長く続けるつもりでいたのですが、現状はあまくはありませんでした。

一番の障壁は、古参のスタッフの考え方が閉鎖的で保守的な事でした。

何か問題が発生すると、責任者の立場でありながら自身では問題に関わる事を避け、スタッフへ押し付けてしまう事が殆どで、何かを問題が起きた時はスタッフの管理不足や対応ミスで処理をし、常に上から目線でスタッフに指示をしていたのです。

この社風に私自身は馴染むことが出来ず、翌年には退職することになってしまうのです。

 

このブログを始めたのは21年の11月からでした。

始めるキッカケは、自分が生きていることを残しておきたいという思いと、文書を書くことで脳を活性化させたいという思いでした。

文章を書く(正確にはタイピングしているのですが)という事は、脳を使うことなので、認知症の予防になるし、その時に自分が何を考えていたかを残すことが出来るので、自分史を作るつもりで始めたのです。

ですので、第三者がお読みになって、メリットのあるブログではないので、アクセス数などは意識していません。

でも、年間で50人程度の方がアクセスをして頂いております。

アクセスして頂いた方には感謝致します。

ちなみに、一番アクセスが多かった記事は「救急車を要請した」というタイトルの記事で、今年の2月の記事でした。

確か曜日の朝と記憶していますが、早朝4時頃に急に下腹部から腰部に激痛が起こり、動くことが出来なくなり、救急車をお願いして病院まで運んで頂き、検査を受けたのです。

しかし、結果に異常がなかったので、別の病院で再度、検査を受けたのでした。

その結果でも問題はなく、金曜日、土曜日、日曜日と3日間安静にしていただけで症状は改善し、月曜日から出勤したのでした。

その後、同じような症状は起こることもなく、あの痛みは何だったのだろうと思い返すのです。

年齢から考えれば、原因不明の痛みがでることもあるのかなと思いました。

 

大きな転機を迎えたのは5月でした。

勤務していた会社(障害者施設)で有給を使って休暇を取ったのですが、有給申請をした際に、有給の残りを確認したら、まだ2日あると言われたので、5月に有給を2日申請しました。

その際は、何も言われなかったので、予定通り2日の有給を消化したのですが、5月末に勘違いで有給は無かったので、2日は欠勤となる旨を報告されました。

確認をした際には、まだ2日の有給残があると言われ、その場で有給申請をしたにも関わらず、その件についての謝罪はなく、さらに社長に対して報告もされていませんでした。

何かあればスタッフに責任を押し付け、自分の否は隠ぺいをしたり、権力で反論できないようにする(一番困ったのは、本人にその意識が全くなかった事)のでした。

この件が、私の中でこれ以上、この会社で働くことが出来ないという判断を起こさせ、妻とも話し合いをした結果、退職をすることになったのです。

5月下旬に欠勤届を出して、他社の面接を受け、幸運なことに自宅から30分掛からない所で働くことのできる職を得ることが出来ました。

その結果を受けて、すぐに退職届を提出し、規定通り6月は障害者施設で働き、6月末日で退職をしたのです。

心残りだったのは、私を信頼してくれていた利用者との別れでした。

何人かの利用者が別れを悲しんで、涙を流してくれたのです。

ある利用者は、自分の気持ちを表現できない障害なので、気持ちが安定せず仕事が出来なくなってしまいました。

そんな子達と別れなければならない事は、とても辛い事でした。

出来れば、残って続けたという気持ちはありました。少なくとも、その子達が施設を辞めるまでは居たいとも思いました。

しかし、自分が決めた事ですので、予定通りに退職をしました。

 

2022年7月から現在

 

7月1日付けで、新たな職場で働くことになりました。

今度の職業は、マンション管理人です。

あるマンションの管理業務を履行するのです。

作業内容は清掃業務が8割で、殆どが清掃業務です。

管理人業務は初めてだったので、まずは環境に驚いてしまいました。別の記事でも当時の思いを書いていますので詳しくは書きませんが、管理室にはエアコンが無く今年の夏は地獄のような毎日でした。

常に暑さとの戦いでした。

清掃作業は、難しい事もなく毎日が同じ作業の繰り返しですし、自分の意志でどうにでもなるので、ストレスはありません。

7月上旬は、前職の管理人から引き継ぎをうけたのですが、この管理人が変わった方でして、説明が理解できず困惑しました。

8月から1人勤務となり、自分なりの清掃をすることが出来るようになったので、1人で作業をすることの解放感を感じながら作業を行っています。

まずは、毎日の清掃作業をどのように行うかを考え、午前中にモップ作業を集中させ、前職の管理員がやらなかったエレベータ床や各階の排水溝のモップ作業などを日常化し、館内清掃での美化に徹底しました。

正直言って、居住者は管理人の清掃場所には全く興味がなく、館内はきれいで当たり前となっていますので、作業内容を変えても、大きな問題はありません。

見えない場所に若干、ゴミがあっても問題にもなりません。

むしろ、不審者が館内(特に駐車スペース等)を歩いていたり、セールスがエントランスで各部屋番号を押して、インターホン越しにセールスをすることに対しての対応のほうが、大事です。

それ以外で、居住者から何かを要望されたことはありません。

困ったことでは、ゴミの分別がされていなかったことですが、これも1回だけで殆どの方は、きちんと分別されています。

まれに分別されていないゴミが出されていたり、違う曜日にゴミを出す方がいますが、この程度は管理人の作業範囲なので、致し方ないと思っています。

 

いつまで続けることができるか

 

今、考えていることは、管理人の仕事がいつまで続けることができるかという事と、健康に対してのことです。

健康のためにも、管理人の仕事は続けたいと思っておりますし、仕事を続けることで健康が維持できればいいなと思っています。

管理人業務も3か月が過ぎ、住人の方の顔と名前が一致してきたし、仕事にも愛着がわいてきて、毎日が楽しくなってきました。

作業を大きく改善することは出来ませんので、的確に毎日の作業を行う事と、健康を維持し毎日、業務を行うことが大事だなと思っています。

出来るだけ、長く管理人の仕事は続けたいと思っています。来年は定年の年ですが、継続させて頂けるようにお願いし、70歳まで働ければ幸せかなと思っています。

 

前回のブログ記事にも書いたように、「今日をしっかりと生きる」ことを心がけて、この1年を生きて行こうとおもっています。

 

さて、来年の今日は何をしているのでしょうか。