自分本位に生きる

お早うございます。

 

今日は、10月23日の日曜日。

時間は午前4時52分です。

今日は、若干ですが朝寝坊をしてしまいました。

たまには、いいかなと思っています。

 

今日をしっかりと生きる

 

私の誕生日は、今月末です。

ハロウィンの日なんです。と言っても、ハロウィンが、こんなに大騒ぎをするようになったのは近年のことで、それまでは「ハロウィン」の知名度は、「バレンタインデー」よりも低かったのではないでしょうか。

 

さて、話題を戻しまして、人間は何かの節目に目標を立てるのが好きな生き物です。

例えば、年が変わる新年に1年の目標を立てるのですが、まあ3日と続いたことがありません(あくまでも私の場合ですが)。

しかし、60歳を過ぎてからの私は、少し変化がありました。

その年の目標というより、その歳の心得を誕生日前から考えるようにしております。

目標と言いますと、なんかしっかりと達成しなければいけないという刷り込みが、会社勤めをしていたときに植え付けられていて、「守らなければ」と思ってしまい、結局、辛くなってやめてしまいました(会社勤めをしている時は、達成しないと給料や昇格だけでなく、上席からの突っ込みが厳しかったので、何とかやり遂げるという苦行を毎年のように行っていました)。

そこで、定年した現在は心得くらいに軽く考えるようにしています。

「いつも気にかけるようにしているが、忘れてもいいし、出来なくても構わない。」

そんな感じで、毎年、スマホのメモに思いを書き残しています。

今年は「今日をしっかりと生きる」を心得にしようと思っています。

人生100年といわれていますが、やはり時間は有限です。1日をしっかりと生き抜くことが大事ではないかと思います。

「朝、元気に目覚め、しっかりと朝食を取り、時間を無駄にしないように、今日やることを考え行動する。」

細かい事では「笑顔で過ごす」とか色々あるのですが、あまり考えてしまうと出来なくなってしまうので、「今日をしっかりと生きる」の中にまとめてしまいました。

そうすれば、1日が終わったときに何か嫌なことがあっても、「今日もしっかりと生きた」と言えるので、「明日も、しっかりと生きよう」と思えるのではないかと思っています。

 

自分は自分

 

色々な啓蒙書を読みますと、書いてあることに共通することがあります。

それは、「他人に深く関わらない」という事です。

「そんなことは当たり前」とか「なんだよ。冷たいな」と言われるかもしれませんが、あまり、他の人を意識しすぎると自分を見失う事にもなりますし、疲れてしまうこともあります。

人間の悩みは「人間関係」が殆どと言われていますが、まさにその通りではないでしょうか。

であれば、「自分は自分、他人は他人」と考え、あまり他人を意識しないで、自分がやりたいように生きるようにしようと思いました。

 

しかし、これはなかなか難しい事なんだと痛感しています。

どうしても、他人が気になってしまうのです。

例えば、電車の中で足を投げ出して座っている人とか、かばんを膝の上に置かずに脇に置いて、前に人が立っていてもどかさない人などなど。

気にしないようにしようと思えば思うほど、気になってしまって、見てしまいます。

以前は、声を掛けたりしたこともありましたが、トラブルの原因になるので止めました。

必要以上に関わりを持つのをやめ、「自分は自分、他人は他人」と割り切ろうと思っています。

しかし、明らかに助けが必要な場合は、手を差し伸べようとは思っていますが。

 

批判や批難、苦情も言わない

 

ある啓蒙書に、「批判や批難、苦情も言わない」と書かれていました。

確かに、私もそうですが批判や批難、苦情を言われたら、穏やかな感情ではいられないでしょう。

例え、自分に100%非があっても、素直に認めることは難しいかも知れません。

自分もそうなのですから、他の人も同じであることは間違いないでしょう。

であれば、敢えて批判や批難、苦情は言わないほうがいいと思います。

が、この言葉を知ってから、会話の量がかなり減ったことに気付いたのです。

例えば、Yahooニュースを読んでいても、他人の批判や批難記事が多いのに気づきました。

事実もからんでいるのですが、解釈の仕方によっては批判や批難になっていることが殆どではないでしょうか。特に評論家の記事で、個人名が出ている記事は殆どが該当すると思えます(あくまでも私見です)。

今までは、意識することが、あまりありませんでしたが、自分の言動の半分は批判や批難、そして苦情だったみたいです。

いや、ネガティブ脳に洗脳されていたんですね。

この半月位は、しゃべることが出来なくなってしまいました(まあ、必要以上の事をしゃべらなくなっただけなので、生活に支障はありませんが)。

必要以上に批判や批難、苦情に触れない事は、自分の生活の中でネガティブな思考を持たないようにするキッカケになると思います。

どうしても、ネガティブな情報が入ってくると思考がネガティブになってしまいます。

さらに、批判や批難、苦情を多く聞いていると、無意識に批判や批難、苦情を言ってしまうことにもなるので、注意が必要です。

自分ではそのような意識がなくても、ふとした会話で批判めいた言動が出てしまい、他人に不快感を与えてしまう事にもなり兼ねません。

じゃあ、絶対にそのような情報は見ないし、批判や批難、苦情は言わないという事はできないと思います。

ですから、意識することが大事ではないでしょうか。

私自身を振り返ると、他人の批判や批難、苦情を言わなかった日が無かったのではないかと思えるのです。

全く見ない事も聞かない事も出来ないし、声に出すことをしないようにすることは出来るようになるかも知れませんが、思わない事はできないでしょうから、思ったとしても声に出さないように心掛けたいと思います。

 

さて、出来るでしょうか。

 

「今日をしっかりと生きる」、「自分は自分」、「批判や批難、苦情も言わない」の3つは、出来るだけ心掛けて64歳の1年を過ごすようにしたいと思います。