私の終活

お早うございます。

 

今日は5月9日の火曜日。

時間は3時49分。

 

今朝は暫くぶりにストーブをつけました。

最近は気温も高くなり、もうストーブは片づけようかなと思っていたのですが、何となく面倒でそのままにしていたのですが、片づけなくてよかったです。

 

さて、今日は「終活」について考えてみようかなと思っています。

多分、以前にも「終活」の記事はアップしているのではないかなと思うのですが、記憶が曖昧です。

 

そこで、もう一度「終活」を真剣に考えてみることにしました。

昨年までの私は、「生きること」に強い執着がありました。

というより、死ぬのが怖かったのです。

「自分が死んだ後はどうなるんだろう」って考えていました。

この「死んだ後」とは、今、私が生きているこの世界です。

でも、なんも変わらないという事が解ったのです。

我が家の愛犬が2月に亡くなり、愛犬は写真になって額の中で私を見てくれています。

そして、私の生活は何も変わらなかったのです。

むしろ、変わってはいけないのかもしれません。

 

であれば、自分が死んでも残された家族の生活が変わらないようにしておくことが、私の「終活」ではないかと思ったのです。

 

そうはいっても、全く変わらない訳はないのですが、変化は最小限に抑えられるようにしておくことを考えたいと思いました。

 

そのためには、残された家族に負担にならない生活をすることが、一番の「就活」なのではないかと考えました。

 

人生の終盤で一番に負担を掛けるのは、「介護」ではないでしょうか。

この「介護」の負担を軽減させるために出来る事は、「健康を維持する」ことなのかなと思っています。

 

しかし、これは自分の思い通りにならない問題です。

自分が健康を意識していても、病気は容赦してくれない時もあります。

しかし、予防はできるかなと思っています。

特に、「生活習慣病」は自分の生き方次第で予防できると思います。

定年を過ぎ、現役時代よりは自分の都合で時間を使う事が出来るようになり、仕事のストレスも減りました。

自分を見つめる時間も取れるようになり、健康や自分の趣味を見つける時間もあります。

 

そうすると、自分の性格や考え方の嫌な部分や、今迄やってきて変えようとしなかった身勝手な考え方、自己中心的な考え方が見えてくるようになりました。

 

今迄は、そんな嫌な自分に気付いていながら目を背け、嫌な自分を肯定していたのですが、これからは改善できる事は改善しようと思っています。

何故なら、幾ら健康に気遣っても、いずれは誰かの世話にならなければならないからです。

「生き物は1人で生まれて1人で死ぬ」と言われていますが、現代社会では違います。

生まれてからも死ぬ時も、誰かの手を煩わせています。

であれば、「終活」は出来るだけ他人の手を煩わせないようにする事を考えました。

そのためには、自分勝手な行動や考えを少しでも改め、他人に迷惑を掛けない生活が出来るようにする事が「終活」かなって。

 

身の回りを整理すること、不要な物を片付けて置くこと、健康に気遣い出来るだけ病気にならないようにする事など、全てが終活なんだと思えるようになったのです。

 

その中で特に思っているのが、自分の嫌な性格を自分で理解して、出来るだけ嫌な性格から出る他人を傷つけるような行動や言動を控えるようにしたい。

 

人間は年齢を重ねると、脳も老化して思考が固まって行きます。

さらに、脳の老化で攻撃的な態度になったりする場合があると、近年はさかんに言われています。

 

しかし、自分の性格を知り、怒りを抑えるための知識ややり方を習得することにより、そのような行動を抑えることは出来るのではないかとも『思います。

特に近親者に対しての対応を注意しなければなりません。

つい、身近な存在であるがゆえ、身勝手な言動や行動を取ってしまうようになります。

この点を常に意識して生活をして行かないと、本当に自分が壊れた時、抑えがきかなくなりそうで怖いのです。

だから、今からそうならないような知識や行動を習得することが「私の終活」です。

 

なんせ、今迄は好き勝手に生きて、無意識にどれだけの方を傷つけてきたか図りしれません。

 

1輪のバラを描いてみました。赤と薄い黄色のコントラストが朝日の中で綺麗でした。絵では影をブルーで表現したため赤が紫がかってしまいました。