今日は2月19日の日曜日。
2月も中旬が終わり、下旬になりました。
今日は気温も上がり、春一番が吹くかもしれないとの予報です。
梅の花もだいぶほころび出し、我が家の草花も芽吹いてきました。
そんな中、私は体調がすぐれません。
渇いた咳が出て、若干、頭痛がしています。
鼻の中は炎症が起こり、鼻をかむと血が滲みます。
目はかゆく、倦怠感もあります。
これは、花粉症の症状ですね。
今年はスギ花粉が、昨年よりかなり多く飛来するとのことです。
すでに花粉が飛び始めているのでしょう。
特に鼻の中と目の周りは症状がでています。
さきほども書いたように、鼻の中は粘膜が荒れているのでしょうか、鼻をかむと血が混じっています。
綿棒でメンソレータムを塗っています。
目の周りはかゆみがあり、涙目の状態です。
確かに花粉症の症状はありましたが、今年は特にはっきりとした症状が出ています。
花粉の量が多いのも原因でしょうが、加齢による免疫力の低下も原因ではないかと思っています。
私は今年65歳になりますが、今年になって食べる量が急激に減りました。
食べられなくなったのです。
今迄であれば、ご飯も茶碗にしっかりと入れて頂いた量を食べていましたが、今年は7分目位の量で充分ですし、固めのご飯が好きだったのに、固めのご飯を食べると胃がもたれるように感じ始めました。
もともと、内臓は丈夫ではなく、食べ過ぎるとお腹を壊すことがありました。
しかし、今年になってからは、胸やけやゲップといった症状が顕著に表れ、熱い汁物を飲むと食道に痛みを感じることもあります。
これも加齢による症状かと思います。
たまに心配になり、グーグルで症状を入力して調べると、加齢による逆流症状のようです。
胃がんや食道がんの可能性もあるとも書いてありますが、多分そこまでは酷くないのではと思っています。
ですので、妻にお願いをしてご飯を柔らかめに炊いてもらい、おかずも具沢山のスープを作ってもらっています。
今迄は、ある程度噛んだら飲み込んでいましたが(早食いだったのです)、今はしっかりと噛んでから飲み込むようにしています。
ですので、食事の時間が昨年に比べると倍以上かかるようになりました。
さらに、毎日食べていたヨーグルトを止めました。
何故か、下痢が続き、日に3回位トイレにいっていたので、この症状も調べてみました。
そして、ヨーグルトとの関係も調べてみたら、腸内に過剰な乳酸菌がいると、下痢が続く場合があるとのことでしたので、ヨーグルトを止めてみました。
すると、下痢はだいぶ改善され、日に何回も行っていたトイレの回数が減りました。
完全に下痢の症状が出なくなった訳ではありませんが、かなり改善されました。
多分、私の腸は過敏性なのではないかと思います。
ちょっとしたストレスで下痢をしていましたし、気候が変わっても下痢の症状は出ていました。
胃も強いほうではないようで、ちょっと食べ過ぎると胃もたれを起こしています。
定期健康診断や内視鏡検査では、胃腸がものすごく荒れている訳でもなく、ポリープも出来ていません。
単純に神経質なだけのようです。
そこに加齢が加わって、食べる量が減ったと思われます。
妻は、私の食べる量が減ったことを心配してくれていますが、特にお腹が空く訳でもなく、むしろ今までの腹部の不快感が多少、改善されているように思えるので問題ないと伝えましたが、やはり心配なのでしょう。
自分では大丈夫と思っていても、体はしっかりと変化をしているようで、無理が利かなくなっているようです。
昨年までは、体の調子を考えずに行動をしていましたが、今年は体調を考えながら行動をするように心掛けたいと思っています。
しっかりと睡眠を取り、胃腸に負担の少ない食事を取り、自分ファーストで過ごしたいと思います。
愛犬が亡くなり、我が家は妻と私の2人になってしまいました。
犬の死を看取り、次は私の番だと認識しました。
生物学で、男性より女性の方が長生きするという統計があります。
病気や事故を考慮しなければ、私の方が先にこの世からリタイヤすると考えるのが自然なようです。
今迄も、「死」については考えてきましたが、愛犬の死によって、より具体性を感じました。
身近に「死」を感じることが減り、ましてや看取りをするなど、ここ何十年も無かったことなので、愛犬の死はショックでもありましたが、現実を受け入れる大きな起点になりました。
特に、我が家の愛犬は2日前まで元気に過ごしていましたので、居なくなったロス感はかなり強くあります。
2日前はご飯を食べ、一緒に寝ていたし、出掛ける時は玄関まで見送りに来てくれました。
帰れば、近づいてきて甘えてきましたし、いつもそばにいてくれました。
日曜日は妻が仕事で出掛けてしまうので、私は自宅で1人の時間を過ごしていたと思っていたのですが、決して1人ではなかったのです。
いつも愛犬と2人の時間を過ごしていたのです。例えば、今のようにパソコンに向かって何かをしている時も、絵を描いている時も、犬は邪魔をしないように、自分のベッドで寝ていましたが、たまに視線を向け、私の存在を確認していました。
日中は殆ど、トイレもしないのですが、たまに外へ行きたいと窓に向かって私を見ることがありました。
手前味噌かもしれませんが、私が何かに夢中になって、長時間作業を続けているときに良く外へ行きたがりました。
多分、何かを感じていたのかもしれません。
私は意識をしていなかったのですが、自宅に居る時、1人になることは無かったのです。
いつも、愛犬がそばに居てくれたのです。
だから、寂しさを感じることはなかったので妻が出掛けても寂しさを感じることは無かったのです。
妻の用事で外泊をすることもありましたが、犬にご飯を食べさせたり、庭に連れ出したりと犬の面倒をみることがあり、また、犬がいるので自宅を長い時間空けることはしませんでした、
生活の中に、犬と過ごすことが当たり前になっていたので、決して面倒とも思わず犬と過ごす時間を満喫していたのです。
それが、2月8日からなくなってしまったのですから、心の中に穴が開いてしまうのは仕方ないことです。
今は、家の部屋すべてに愛犬の写真が飾られ、犬が生前に好きだったというお芋が写真の前に置かれています。
朝起きると犬の写真に「お早う」と声を掛け、出掛ける時も「行ってきます」、帰れば「ただいま」と言っています。
この習慣も、愛犬が生きていた頃は当たり前だった習慣なのです。
妻は私に「おはよう」は言わなくても愛犬には「おはよう」は言っていましたからね。
そんなに愛した犬の死を看取る事で、「死」を意識し無い訳はありません。
しかし、「死」を忌み嫌うのではなく、事実として受け止め、自分自身についても考えるようになりました。
自分が死を迎える時、延命処置は行わず、苦痛の緩和だけにしてもらい、出来るだけ自然の状態で死を迎えることが出来るようにして頂きたいと思うようになり、自分が死んだあと、残された妻が寂しくないように、今から準備出来ることがあれば、少しずつ準備をしようかなと思いました。
また、自分の感情だけを重視するのではなく、妻をいたわり仲良く過ごせるように努力をしたいとも思ったのです。
花粉症にしろ、胃腸の具合にしても、体調調整を行い、健康な状態を維持しながら夫婦で楽しく過ごす時間を少しでも長く続けられるように努力をして行こうと思うようになりました。