何故、戦争は無くならない

お早うございます。

 

今日は10月15日の日曜日。

時間は2時50分です。

雨の朝(まだ真夜中かな)です。

私の住んでいる地域の今日の天気は、午前中は雨の予報です。

 

また、中東で戦争が始まりましたね。

私は歴史学者でも、宗教学者でもないので、何故あの地域で戦争が起きるのかという原因は解りません。

多分、宗教的な理由や、歴史がもたらした民族間の対立が原因なのでしょう。

あの地域は歴史が古く宗教根源の地域ではないでしょうか。

キリストやイスラムといった宗教があの地域で発祥したと記憶しています(間違っていたらごめんなさい)。

もし、今、起こっている戦争が宗教を原因として起こっているなら、とても悲しい事ではないでしょうか。

何故なら、宗教とは人を幸せに導くために、始められたのではないでしょうか。

それなのに宗教での対立で戦争をして、罪もない人が殺され、残された人々は家族を失い、家を壊され、今日の食べ物を得ることも出来なくなっている。

しかも、この戦争は大衆を幸せにすることの無い戦争なのではないでしょうか。

 

何故、人は戦争をするのでしょうか。

何故、罪もない人を殺さなければならないのでしょうか。

戦争は、誰が始めるのでしょうか。

少なくても一般の大衆ではないでしょう。

何故なら、一般の大衆が徒党を組んで、他国を襲うという事は聞いたことはありません。

歴史でも、一部の権力者が自分の力を誇示するため、自分の欲望を満たすために、それだけの為に、戦争を始めているという事実が残されています。

時には、正しい考えを持ったリーダーが、自分達の生活を守るため、大衆を束ねて間違ったリーダーを退治するために起こした戦争もあります。

しかし、戦争が始まって被害を受けるのは、弱い民衆です。

女性や子供、そして老人です。

家を焼かれ、家族が殺されてしまい、明日の生活の目途を考えることも出来なくなる。

そこに希望は見えるのでしょうか。

決して、見ることは出来ないでしょう。

だったら、何のために戦争をするのでしょうか。

何故、話し合いで解決が出来ないのでしょうか。

双方が歩み寄ることが出来ないのでしょうか。

もし、歩み寄れないなら、お互いに関わらないという選択は出来ないのでしょうか。

もし、戦争を大衆が望むのであれば、力の無い子供や女性、老人を巻き込まない戦いで決着を付ければいいのです。

戦争を望んだ者たちが、広い場所に集まり戦えばいいのです。

街を壊さず、関係ない人達を巻き込まずに戦えばいいのです。

そう、古い形の戦争をすればいいのです。

日本の歴史なら、関ヶ原の戦いのような戦争をすれば。

そして、決して無関係な大衆を殺戮したり、家を壊したりしないという取り決めをすれば。

でも、そんなことは出来ないですよね。

だったら、戦争はするべきではないんです。

 

みんなが解っているんです。

でも、戦争は無くならない。

身勝手な権力者や間違った考えに先導され、戦争は始まる。

勝利した方は、一時期の高揚感から喜び、大衆も歓喜する。

でも、その陰に悲しんでいる人や、希望を持てなくなってしまった人が必ずいるのです。

戦争の闇に葬られ、悲しく亡くなっていった人とその家族。

そして、そんな人達の事は忘れられてしまい、また、戦争は始められる。

 

人間は愚かな生き物です。

戦争という悲惨な行動を辞めることが出来ない。

文明の発展も戦争によってもたらされる。

 

こんなことを書くと、平和ボケをした日本人と言われるかもしれません。

でも、平和ボケしたっていいじゃないですか。

望みもしない戦争によって、悲惨な状況になるのだけは、誰も望まないでしょう。

 

そんな悲しい思いをしたくないのであれば、戦争は起こしてはいけないのです。

 

私は、何もできません。

ただ、こうして思いを綴る事しかできないのです。

 

久しぶりに色鉛筆で描いてみました。水彩画では表現できない繊細な描写が出来ました。鉛筆の筆後もアクセントになって味がありますかね。