参議院選挙を振り返って

お早うございます。 

 

7月10日に参議院議員選挙の投票が行われました。

結果は、ご存じのとおり自民党の圧勝で幕が下りました。

私は現役の頃に、あるご縁で参議院議員選挙に立候補されていた議員さんの選挙のお手伝いをさせて頂いたことがありました。

選挙事務所の設置や看板やポスターの手配などをお手伝いさせて頂いたのです。

 

今回の選挙でも、当時お手伝いをさせて頂いた候補者が当選をされたので、安心致しました。

 

で、今回のブログで「選挙」について、感じたことを書いてみたいと思いました。

 

私は、7月10日の午前8時に投票所へ出向き投票を済ませてきました。

「コロナ対策」をしっかりとされていたこともあり、投票所の入り口には5人くらいに方が並んでいました。

並んでいる方の年齢は50代以上かなと思えました。

投票を終えて家に戻るときも、これから投票に行かれるのかなと思われる方とすれ違ったのですが、殆どの方が50代以上の方でした。

 

若年層の投票率

 

そこで年齢別の投票率を調べたら、若年層の投票率は40%代だったそうです。

18歳からの投票権が開始されてから数年が経ちますが、やはり若年層の政治への関心は低いままのようです。

すべての若年層が政治に関心がないとは思えないのですが、選挙というイベントに若年層を巻き込むには、新しい考え方を取り入れないと変化はうまれないのではないでしょうか。

 

私事ですが、私も20代から40代までは選挙に積極的に足を運んだ記憶がありません。

当時を振り返ると今の若者と同じように、「選挙に行くのが面倒」、「誰にいれたらいいのかが解らない」、「なんか選挙に行くなんて年寄りくさくてダサい」なんてことを考えていたように思えます。

私が10代の投票率が40%弱という数値を知った時、「へえ、約半数の10代は選挙に行ったんだ」と思えました。

親が行くから一緒に行って投票をしたのだと思いますが、でも行くという行為は素晴らしいことだと思えます。

お恥ずかしいですが、20代の頃の私は全くと言っていいほど投票には行っていませんでした。

 

では、何故行くようになったのだろう

 

選挙に積極的に行くようになったのは、50代になってからです。

先ほど、お伝えした通り20代、30代は殆ど投票には行っていませんでした。国民の義務を放棄していたのです。

理由は、「面倒臭い」がトップですが、「選挙に興味が無かった」つまり、政治というものに全く興味が無かったのです。

私の20代から30代の政治は、「自民党1強時代でした。政治は自民党が行うものと思ってましたし、私のような若造が何を言ったって変わる訳もないとも思ってました。

というより、政治そのものに興味が無かったのです。

しかし、40代になると環境が変化してきます。会社という環境で仕事を通じて経済を考えるようになるのです。「何故、給料が上がらないのだろう。」とか「物価があがるのはなぜだろう」なんてことを考えたり、「輸出や輸入も際の海外とのレートの変動による利益率の変化なんかも話題になるようになってきたのです。

そうなると、政治や経済を知らなければなりませんので、どうしても興味をもつことになります。

そこから、日本の政策や海外とのやり取りを意識し始め、自分達の代表を決める選挙を意識するようになりました。

また、40代位から海外へ出かけることが増えてきたため、国際情勢を肌で感じるようになったこともあるかもしれません。

 

つまり、自分の生活に密接な関係が出てくることによって、政治や経済を意識しだして、国の進む方針を決めるための議員を選出するのに選挙が大事だと認識出来て、初めて選挙に関心を持てるようになったと思えます。

 

10代や20代の若年層が選挙に興味がないのは、十分に理解できます。

まず、自分の目の前の興味に「政治」や「経済」はありませんでした。

なのに、日曜日に選挙に行かなければならないという選択肢は無いでしょう。

 

少なくても、自分の意志で候補者を選ぶという行為は出来ないのではないでしょうか。

 

今回の参議院議員選挙での変化

 

とは言っても、今回の選挙では当選者に変化があったことも見落とせない現実ではないでしょうか。

10年前にはYouTuberという職業はありませんでした。今回の選挙ではYouTuberのガーシー氏が当選されました。

彼に10代や20代の若年層の票が集まった結果かどうかは解りません。

しかし、少なくても50代以上の方が、進んで投票したとは考えられないのではないでしょうか。

N党からの立候補で、かつ日本に在住しておらずドバイで選挙活動をされたとの事です。

もっと驚くのは、何をしたのかは解りませんが日本に戻ってきたときは「詐欺罪」で逮捕されるかもしれないとの報道もありました。

高齢者の常識からすれば、このような得体の知れない輩が国会議員に立候補して、さらに当選するという現実は受け入れがたい現実ではないでしょか。

私も、彼がN党という得体の知れない政党から立候補して当選を果たすという結果には驚いています。

そして、参議院という議院の性格に疑問を感じてしまいました。

参議院は政治の専門家だけが集う議院ではなく、元は貴族院という名声のあった爵位を持った方が集う議院だったのです。

よって、今でもタレント議員や知名度が高い方が当選する確率が高いのです。

その役割も、衆議院で可決した議案を参議院で再度、検討されたうえで可決された時は法律化されるという抑止力を持たせるための議院です。

色々は業界から候補者が集まり、色々が意見から法案を可決させるのが本来の参議院の役割ですが、現実はどうなんでしょうか。

 

そんな中でもガーシー氏の当選という国民の採択は無視することは出来ないでしょう。

 

私の個人的な意見は、まず日本に在住しない方が議員として活動が出来るのだろうか、と思えるし、公務員が犯罪者になり兼ねないという現実も如何なものかと思います。

また、個人のスキャンダルを暴露するという活動も賛同するのには抵抗があります。

どんな形でも、他人の弱みを暴露して面白可笑しく世間に伝えることに価値があるとは思えないのです。

人は、どんな方でも何かしらの秘密がありますし、清廉潔白な面だけではないと思います。その部分をさらけ出すような行為が認められ評価されることは、良い事ではないと思いますし、それがデジタルのテクノロジーで現実化されるのであれば、テクノロジーの扱い方が違っているように思えるのです。

 

個人としてやるのであれば、百歩譲って目をつぶることが出来るでしょうが、公務員としての国会議員が、世の中を正すためであっても、多用して個人の動向を暴露する行為を認めることをするのであれば、その行為は疑問に感じますし、政治と言う世界では正義と言えないのではないでしょうか。

 

令和史上、最大の事件

 

現職の国会議員で総理大臣経験者が、立候補者の応援演説中に、手製の拳銃で銃殺されてしまったという事件は、とても衝撃的な事件として歴史に刻まれるでしょう。

容疑者の動機も自分勝手な動機で、殺害された被害者に対して直接な原因は無かったことが解っています。

生い立ちや家庭環境では、共感できる点もありますが、その動機が極めて自己中心的な事と、非常な執着から出ている点では同情を得ることは無いのではないでしょうか。

 

しかし、この点も見捨てる訳にはいかない日本の現実のように思えます。

何故、彼はこのような犯罪を犯してしまったのかと言う点では、日本社会における個人の孤立化が挙げられると思えるのです。

小さい頃から、自分の人生を生きることが出来ない状況にあり、誰とも相談することが出来ず、自分の中の怒りが間違った方向へ向かっていることを自覚することが出来なかった。

そして、その考え方を修正してくれる友人や知人もいなかったようで、誰にも相談することも出来ない人生を送ってしまったという不幸が、この事件を起こさせてしまったのではないかと思っています。

もし、彼に相談できる人がいたら。

しかし、彼は犯行の前に知人に手紙を書いていたようですが、残念なことに彼の思いがその手紙の受取人には伝わらなかったようです。

では、手紙の受取人を攻めることは出来るでしょうか。それは出来ません。なぜなら容疑者は、およそそのような犯罪を計画するような人物ではなかったからです。

人間の二面生をしっかりと理解することは、とても難しい事です。

専門家でも解らないでしょう。

しかし、現実に彼のような人生を踏みちがえてしまった方は沢山いるのです。

 

私は、報道から彼を知るに過ぎませんので推測の域から出ることが出来ません。

多分、彼の近くに彼とコミュニケーションを取れる方がいても、今回の事件は回避できなかったのではないかと思えます。

しかし、間違ったターゲットを殺害することは回避できたかもしれません。

 

現在の日本は10年前には考えられなかったことが頻繁に起きています。

日本社会が国際化した事と、デジタル化がすごいスピードで進化し、10年前には知ることが出来なかったような情報が、瞬時に知る事が出来るようになったことが、良い意味でも悪い意味でも大きな変化をもたらしています。

 

自分の周りをよく見渡し、自分をしっかりと持って行動しないといけないのではないかと考えさせられます。