お早うございます。
今日は、8月6日の日曜日。
時間は4時26分。
連日の暑さに、参ってます。
何故、こんなに暑いのでしょうか。
夏だからでしょうか。
昨年よりも今年の方が暑いようです。
私は、毎日エアコンの無い場所で仕事をしています。
日本の夏は暑いだけなら、まだ辛抱できるのですが、湿気が多くて肌にまとわりつくような湿気が体力を奪い取ります。
扇風機を回しても、生暖かい空気が拡散されるだけで、「涼」は感じません。
しかし、40年位前の日本は、現代のように至る所にエアコンがあるわけではなく、自宅で涼を取るといえば扇風機。
はたまた団扇でした。
窓を開け、蚊取り線香を焚いて縁側で涼んだ記憶があります。
今は窓を閉め切り、1日中エアコンを付けっぱなしの部屋で過ごすのが、当たり前となってしまいました。
空き地は少なく、辺り一面アスファルトかコンクリートで蓋をされてしまい、地熱が逃げる場所が亡くなってしまっています。
とある大手中古車会社は、自分の店の敷地に落ち葉が落ちていると査定に響くとの理由で、街路樹に除草剤を散布したり、根本を焼いたりして枯らし、さらに植え込みの地面をコンクリートで蓋をしてしまい、ニュースを騒がせています。
何がそのような行動をさせたのでしょうか。
中古車を展示してある場所に落ち葉が落ちるのが嫌がった経営者が、そのような身勝手な指示を出していたのでしょうか。
昭和50年代に、工場や大型所業施設は敷地の何割かを緑化しなければいけないという法律が施行されました。
確かに、緑地化すると樹木の葉っぱが落葉して、掃除が大変です。
虫も住み着くので駆除しなければなりません。
そのような行為は手間が係りますが、利益には全く繋がらない行為です。
利益重視主義の経営者であれば、そんな無駄は排除したいと思うのは当然でしょう。
では、何故そこまで利益を追求しなければいけないのでしょうか。
そこには「顧客主義」とか「地域密着」等という考えが欠乏しているからではないかと思えるのです。
確かに、「高額買い取り」とか「便利で安心」などのキャッチフレーズで広告や宣伝を行い、多店舗経営をして、会社の認知度を挙げなければ会社は存続できませんし、雇用も確保できないでしょう。
今回の中古車経営者も、全てが悪い訳ではなかったと思います。
一代で従業員を6000人も雇用し、全国に店舗を構えるまでに発展させた実績は素晴らしい経営手腕があったからだと思います。
ですが、何かが狂ってしまったのでしょう。
いつからか、従業員を人間として扱えなくなり、自分の都合で自分の思い通りに動かすことが出来るようになり、その行動が会社の発展に繋がっていくと勘違いをするようになった。
従業員は職を失いたくないため、多少のことは我慢して会社存続の為なら仕方ないと思い、言われた通りに働いた。
真面目であれば真面目の人ほど、がむしゃらに頑張った。
そして、経営者のいう事を素直に聞いて働いた人は、役職が上がり給料が上がり、いつの間にか経営者と同じマインドを持つようになっていた。たとえ、それが社会的に悪い事と認識しても、みんなもやっているしやらなければ自分の立場が悪くなり、会社から追い出されてしまう、という恐怖感へと変化して、正論を掲げることが出来なくなってしまった。
恐ろしい人間の真理ですね。
経営者は、このような恐怖心理を利用したとは思えません。
彼らも知らず知らずのうちに、そのような恐怖心理を利用して、会社を拡大していったのでしょう。
だから、記者会見では社長は言ってはいけないことを無意識に言おうとして、他の経営陣が慌ててフォローしたり、新社長が疑惑を持たれるような指示をしたりしたのでしょう。
全てを計算して、行動を決めて状況の対応に当たったとは思われません。
つまり、自分が悪いことをやらせていたとは思ってはいないし、そんな事を指示した事もないという社長の言動はあながち間違ってはいないのです。
ですが、その周りにいた経営陣は、利益追求という欲望が罪悪感を覆ってしまい、従業員に対して無言の圧力を掛けていたことは意識していたと思います。
このようにして企業倫理は崩れ去り、利益主義に翻弄され会社は腐敗が始まるのでしょう。
経営トップは、この兆候をしっかりと見据えなければなりません。
私は現役の頃、社是を至る所に掲示させる社長の気持ちが解りませんでした。
「公明正大」とか「貢献」という文字が書かれていました。
しかし、今はその意味が解ります。
会社は、創業時の思いをしっかりと社内風紀に取り入れ、経営者を始めすべての従業員に周知させなければ、社内の空気は悪い方へと流れ、その空気はよどみ、社風は腐敗する道を辿る事になるのでしょう。
この行為は、簡単そうに見えてとても難しいことだと思います。
そして、このようなマインドは個人の中にも表れるのです。
昨年くらいから、自転車による事故が話題になるようになりました。
警察も、自転車の事故が多発しているため、自転車を運転する方へヘルメットの着用を呼びかけるようになったり、テレビのニュースでも自転車による危険運転を取り上げるようになりました。
自転車、とても便利な乗り物です。
免許は要らないし、維持費も指して掛からない。
自宅が戸建てであれば、庭先に置いておけば駐輪費用も無料。
でも、私が自転車で人を殺害してしまい、大変な思いをした人の話を聞いたのは10年位前の事でした。
話をしてくれたのは、ある大手の保険外交員の方です。
損害保険も扱っていたようで、当時、私はファイナンシャルプランナー2級の資格を取得したばかりで、ファイナンシャルプランナーの方にお話しを伺いたく、積極的にお会いしていた時期でした。
その方は、自転車保険がこれからは重要になるとおっしゃっていました。
何故なら、多くの方が無自覚で自転車を利用しているが、自転車は時として自動車と同じように人を轢き殺す道具になると言っていたのです。
その方は、ある事例を話してくださいました。
女子高校生が、学校へ通うため毎日、自転車を利用していたとの事でした。
自宅は高台に位置しており、結構急な坂道を下っていたそうです。
ある朝、何かの関係で自宅を出る時間が遅くなり、その女子高生は自転車で坂道をノーブレーキで下っていたそうです。
いつもの時間であれば、人が通る事もないし、割とスピードを抑えて下っていたので、もし人が出てきても避けられると思っていたようです。
ところが、その日は家を出る時間が遅れたため、左右を確認することなく自転車で坂を下っていたらしく、路地から出てきた別の自転車に気付けず、まともにぶつかってしまったようでした。
その自転車に乗っていたのは70代のおばあさんで、横からぶつけられたため、無防備に自転車と共に地面にたたきつけられてしまったようです。
ぶつけた女子高生は正面からぶつかったので、倒れる時には足をつくことが出来たようで、かすり傷程度で済んだそうです。
しかし、そのおばあさんは脳挫傷となり、意識が戻らない状態となったとの事でした。
女子高生は、保険に入っていなかったため、治療費などで莫大な費用を負担しなければならなくなり、業務上過失傷害で起訴されてしまったのです。
その女子高生の人生も家族の人生も、大変な事になってしまったとのことでした。
今では自転車を購入すると自転車保険に加入するように進められるようですし、盗難保険や色々とサポートをして頂けるようになりました。
しかし、実際に自転車を乗っている方には、そのような悲惨な事故になるとは思ってなく、スマホを見ながら乗っていたり、人が歩いているのに、歩いている人の脇をすごいスピードですり抜けて行ったりと、危険行為をする人が沢山います。
私も歩道を歩いている時、後ろから来た30代位の女性の方に、「邪魔だよ。危ないだろう」と怒鳴られたことがありました。
前から来て、避けないのなら致し方ないかと思えますが、後ろから来てしかも歩道ですから、どう考えても私に非はありません。
しかし、その方は自分が進んでいる道の前を人が歩いているのが気に要らなかったようで、怒鳴った後に、聞こえるように舌打ちをして走り去っていきました。
また、見通しの悪い交差点を横切ろうとしたときは、左右を見て渡ったのですが、前から来た自転車のおじいさんに、「よそ見してんじゃねえよ」と怒鳴られた時もありました。
歩道や狭い道では、自転車の方が優先で歩行者は自転車に気を使って歩かなければならなくなっているようですね。
さらに、自転車の違法駐車の問題です。
最近は、駅前に自転車置き場が作られているので、10年前のような歩道を塞いてしまうような駐輪は無くなりましたが、駐輪場まで行く手前で、「自転車を降りてください」と言う看板があるにもかかわらず、平気で看板の脇を自転車で通りすぎていく方が沢山います。
2週間くらい前に、自転車を降りなければいけない場所を平気で乗車したまま通っていた方が、歩いている方とぶつかったのを目撃しました。
その方は「危ないだろう。もっと隅っこを歩けよ」と怒鳴って謝るでもなく走り去ってしまいました。
テレビのニュースでも、このような光景が報道されていますが、全く他人事なんでしょうね。
自分が同じ事をしているという自覚がないのでしょう。
つまり、自分が悪い事、法に触れることを行っているとは思っていないのです。
以前、何かの書物で読んだことがありますが、不法行為(例えば極端な事で言えば殺人)をした人間は、「自分は悪い事をしていない。自分を守るためにやったことだ。相手が私を脅かそうとしたから、やっただけだ」と言うそうです。
確かに、盗みを働いた人の言い訳は、「生活が苦しかったので盗んだ」と言うし、交際を断られた女性を殺害した犯人は、「あいつが俺をうらぎったから殺した」という言い訳をしています。
中には、自分が悪かったというかたもいますが、物凄く少ないのではないでしょうか。
人間というのは自分を正当化しないと気が済まない生き物なんでしょう。
私にも思い当たる節は沢山あります。
現在は、その負の気持ちが勝ってしまい、正しい事が出来ない風潮になっているのかも知れません。
「正直者は損をする」という風潮が。