「死」を考える

お早うございます。

 

今日は7月16日の日曜日です。

時間は、午前3時38分。

 

各地で猛烈な雨が降り、雨による災害が群発しています。

地球はどうなってしまうのでしょうか。

これも、全て人間が自然に対して行ってきたツケの報いなのでしょうか。

ふと、そんな事を考えてしまいます。

 

今日は、少し話題が重たい内容になるかも知れません。

地球上の生物は、必ず「死」を迎えます。

これに例外はありません。

生命の誕生から現在まで生き続けている静物いるのでしょうか。

多分、いないのではないでしょうか。

人間という生物で考えれば、「死」を迎えなかった人間はいません。

「死」は必然なのです。

私も、もうすぐ65歳になります。

50年位前であれば、「死」を迎える年齢でした。

21世紀になり、人間の寿命は飛躍的に伸び、人生100年と言われるようになりました。

平均寿命が延び、高齢化社会を「幸齢化社会」と称し、高齢化することを推奨する動きも出ています。

少子化に歯止めがかからない現在では、高齢者が如何に元気に働くことが出来る環境を作るかが、経済活動を後押しする動きになっているのも事実です。

ですが、生きづらさを感じて、自ら自分の命を終わらせてしまう方もいるのです。

最近では、人気タレントで自分の生き方や考え方をストレートに発信していた「りゅうちぇるさん」が、自らの命に終止符を打ち、多くの方に衝撃を与えました。

私自身も、彼が亡くなったニュースを見た時に驚きと悲しみを感じました。

何故、彼が「死」を選んだのかは解りません。

しかし、とても残念でなりません。

 

私は彼が「死」を選んだことを否定するつもりもありませんし、私に否定する権利もありません。

今は、ご冥福を祈るだけです。

 

しかし、彼の死は私の感情に変化を与えてくれました。

データが少し古いのですが、2021年の自殺者は2万1007人だったそうです。

人口10万人当たりの自殺者数は16.8人だったそうです。

10万人のうちの約20人と考えると、数字的に見れば、わずかの数字に見えます。

自殺の原因や動機は、「健康問題」で47%と約半数、次いで「経済・生活問題」、「家庭問題」となっています。

健康に不安を抱え、働く事も出来ず家族の中でも孤立してしまい、誰にも相談できなくなり、自分の命を絶つことを選択してしまう。

そして、行動を起こし「死」を決行する。

何とも痛ましい現実です。

 

実は私の父は、この道を選んだ人だったのです。

彼は、40歳くらいから精神的に不安定になり、引き籠り状態になって、精神病院に入院することになりました。

当時は、躁うつ病という病名は一般的でなく、隔離病棟に入院をするしかなかったのです。

しかし、父は病院に行くと、病状が現れず元気に入院生活を送り、作業療法でも模範患者だったので、病院側が自宅療養を進めるのですが、自宅へ戻ると病状が悪化して、昼間は自室へ引き籠り、夜になると部屋から出てくる生活になってしまうのです。

家族とも会話をすることを嫌い、部屋で塞ぎ込んでしまうのでした。

いつも、自分を卑下するような言動をしていました。

多分、彼は自分の理想が高く、その理想に自分が追いつかないのが嫌だったのでしょう。

今でも覚えています。

私が小学校6年生の時、もうすぐ卒業式の頃ですから2月の下旬。

学校から帰宅して、居間でテレビを見ていたとき、父の部屋からうめき声が聞こえたのですが、たまにそんな声を出すことがあったので、気にすることもなくテレビを見ていたのです。

母が、何気なく父の部屋を覗くと、父が自分で首を絞めて布団の上で亡くなっているのを発見し、すぐに医師を呼んだのです。

約50年位前の出来事です。

農村に救急病院などある訳もなく、開業医が車で来て、脈を診て死亡を確認。警察を呼ぶでもなく死亡を確認し、後日に死亡診断書が発行されました。

父の「死」を知り、母は近所にその旨を伝え、すぐに葬儀の準備が始められたのです。

私は、父が自殺したことが信じられなかったし、うめき声を聞いたときに部屋を覗かなかった事の後悔と罪悪感で、泣きじゃくった事を忘れることはできません。

今でも、後悔しています。

しかし、その裏で父の「死」を受け入れてもいました。

病気で悩み苦しむ姿を3年位見てきました。その間の家庭は、笑う事を忘れたように重たい空気に包まれ、家にいるのが嫌で仕方ありませんでした。

13歳にして、そんな父を見ていたのです。

本当に辛そうで、日に日にやせ細っていく父が可哀そうでした。

健康な男の人で40代であれば、自分で自分の首を絞めても、死ぬことはできないでしょう。

父は生きる気力を失っていたのかも知れません。

彼は「死」によって自分を解放したのかも知れません。

私は、そんな風に考えるようになりました。

「生きる辛さ」を目の当たりに見てきたのです。

なので、自らの命を終わらせる方を全面的に否定することは出来ません。

その方でなければ解らない心の内があったのではないかと思えるからです。

 

それとは裏腹に、肯定することも出来ない自分がいます。

以前に書いたと思いますが、私は生後数か月の時に仮死状態になり、医者も諦めるような状況になったにも関わらず、今も生きています。

多分、生きることに対してすごい執着があったのでしょう。

その時の記憶なんてものはありません。

しかし、両親は完全に諦めたと言っていました。

息を吹き返したときは、奇跡とまで思ったそうです。

多分そうでしょう。

現在と違い、医療体制も脆弱で心肺蘇生装置なんてものは無かったでしょうし、医師も諦めたのですから、状況を見るしかなかったのでしょう。

母がよく話してくれました。

生き返ったときは、「まともに生活が出来ないんじゃないかと思った。」と。

多分、呼吸停止してから、かなりの時間が経ったのではないでしょうか。

それで、まともに生きることが出来ない状態になってしまったのではないかと思ったのでしょう。

そんな事を聞かされていましたから、生きなければいけないという気持ちは強かったのかも知れません。

だから、父の「死」を選んだ行動を認めながらも、否定していたのだと思います。

 

私の友人にも、20代で自殺を選んだ友人がいます。

私は、学生の時に彼と知り合い、すぐに気が合っていつでも一緒にいるような仲になりました。

彼には何でも相談も出来、本音で語り合う事の出来た友人だと思っていました。

社会人になってからは、私が田舎を出てしまった事もあり、疎遠になっていたのですが、私が田舎に帰ったときは必ず会う約束をして、朝まで酒を飲んで語り明かしていました。

しかし、あるとき、共通の友人からの連絡でその友人が自殺したことを知らされました。

私は、信じられませんでした。

信じられないのと、現実を受け入れることが出来ず、彼の葬儀に参列することも、彼の墓参りにいくこともしていません。

彼が死んで35年位立ちますが、私はまだ彼が死んだことを受け入れられないでいます。

何故、会いに行ってあげられなかったのか、そんな辛い時にそばに居ることが出来なかったのかと今でも悔やんでいます。

彼の気持ちは解りませんが、私の中で彼はそのくらい大きな存在だったのです。

それぞれの思いがあり、「死」を考え、「死」を選ぶ以外に道はないと思い込むほど追い込まれてしまう。

その思いはどんなに辛く苦しかったことか。

この思いは本人にしか解りません。

 

誰かに相談しろと言うのは簡単です。

ですが、「死」を選ぶほど苦しんでいる時は、何を相談していいのかも解らなくなっているのです。

 

その気持ちは察することが出来ます。

でも、私はどんなに苦しくても辛くても、生きようと思っています。

というか、与えられた命を捨ててはいけないと思っています。

こうして、受けた命を自分の手で終決させるのではなく、生きて生き抜かなければならないと思っています。

 

生きたくても生きられない人も沢山います。

そんな人達に報いるためにも、私は生きることが義務ではないかと思っています。

 

最後に、「死」を選ぶ事は本当に「楽」になる事なのでしょうか。

 

 

出勤途中に見かけた黄色の百合が見事だったので、写真を撮りました。絵にしてみたくなり背景をデフォルメし、百合の花を際立たせて描いてみました。