権利と義務

こんにちは。

 

今日は、11月20日の日曜日です。

今日は朝の時間ではなく、午後にこの記事を書いています。

なぜなら、朝に記事を書くのを失念していたからです。

時間は15時50分です。

現在の天気は雨となっています。

外気温は14度。寒いですね。

 

今日は思う事があり、「権利と義務」について書いてみようと思っています。

というのも、最近は「権利」は主張するが「義務」は履行しないという方が目立っているように思えたからです。

例えば、携帯電話の使用について考えてみましょう。

現在の携帯電話は、SNSやインターネットが閲覧できるようになったスマートフォンが主流です。

私もスマートフォンのユーザーです。

携帯電話と言いながらスマートフォンで電話をすることは殆どありません。

家族や友人との連絡は、LINEを使いますので文字情報で連絡を取ります。

スマートフォンの使用目的は、SNSやインターネットを閲覧したり、カメラ代わりに写真を撮ったり、LINEでグループミーティングをしたりと、携帯電話と言いながら電話機の機能以外で使用することが殆どです。

こんな便利な電話ですので、いつでも持ち歩きどこでもSNSやインターネットを閲覧することが出来ます。

しかし、この便利さが問題を発生していることも事実なのです。

便利なスマートフォンを使うのは、自分のお金で購入したのですから、当然の権利です。

しかし、使ってはいけない場所やタイミングを無視して使用していることは、決して容認されることではないと思うのです。

例えば、スマートフォンを見ながら歩くことや、電車の優先席で見ることは良い事ではないと思います。

自分以外の人がいない時であれば、許される事かも知れませんが、歩きながらのスマートフォンの閲覧は非常に危険です。

特に駅のホームでの歩きながらのスマートフォンの閲覧は、他の人とぶつかる危険があります。

私は過去に歩きながらスマートフォンを閲覧している方にぶつかりそうになりました。

状況は、歩道を歩いていたときです。前からスマートフォンを閲覧しながら歩いて来る方がいたのですが、その後ろから自転車が来るので、その方を避けることができません。

立ち止まって自転車をやり過ごそうとしていましたが、スマートフォンを閲覧している方は私が立っていることに気付かずに近づいてきました。道幅がそれほど広くなく、植え込みがあったので避けることも出来ないでいると、彼は私の目の前で私に気付き「危ないよ」と声を上げました。

私からすればスマートフォンを閲覧しながら歩いてきた方の方が危ないと思えたのですが、彼は避けようともせず、またスマートフォンを閲覧し始め肩をぶつけて歩いて行ってしまいました。

電車の中でも優先席に座り、前にお年寄りが立っても席を譲ることもせず、スマートフォンを閲覧している方が結構います。

確かに、空いていれば優先席だからといって座ってはいけない訳ではありません。しかし、席が空いていないのに、お年寄りや優先席を使用したい方が立たれても、スマートフォンを閲覧して席を譲らないのは違うのではないでしょうか。

 

「人は自分の事を1番に考える」と、ある心理学者が言っています。

確かに、自分の事が1番大事です。

しかし、公共の場所では周りの事にも気を配って行動するべきではないでしょうか。

 

最近、インターネットで、13歳の少年が日本一周の旅をしながら、不登校の方や不登校の子を持つ親に会い、交流を深める旅を終了したという記事が出ています。

私は、彼が学校で学ばず学校では学べない事を、そのような経験から学ぶことはとても良い事だと思っています。

そして、そのような経験をする権利は認めるべきであると思います。

だからと言って、彼の行動を全面的に称賛することも出来ません。

その理由は、学校は義務だからです。

確かに、学校教育が成人した後にどの位役に立つのかは、その人の価値観だと思うので絶体とは言い難いこともあります。

ですが、やはり義務教育は受けるべきではないでしょうか。

べつにみんなと一緒に勉強しなくても、教室でない場所や、教室へは入れない方と一緒に学ぶことは大事ではないかと思うのです。

権利を主張するのであれば、義務は果たすべきではないでしょうか。

 

親御さんの考え方もあると思いますが、何故、学校へ行くと社畜になるのかもわかりません。

不登校になったのには、何等かの訳があるのでしょうが、学校へ行くか行かないは別として、何のために学ぶのかを考えるべきではないかと思います。

今回の日本一周の旅も、親御さんのサポートや多くの方のサポートがあって達成した事だと思います。

であれば、権利と義務をしっかりと認識して、この後の事を考えてみてはいかがでしょうか。

権利を主張するのは大いに結構な事ですが、義務を果たすことも大事な教育であると思います。

 

政治の世界でも、権利を主張しているが義務を果たしていない方が沢山いるように感じられます。

政治の世界では「説明責任」と言う言葉が欲使われますが、説明をすることは当たり前であり、一般の社会では義務を果たさなければ、生存は出来ません。

自分のやりたいことだけを主張して、自分がやらなければならない事をないがしろにしていたのでは、社会では認められない事になってしまいます。

会社に所属しているのであれば、業績を上げることは義務ではないでしょうか。

その業績に見合った報酬を会社は支給する訳です。

業績も上げないで権利だけ主張しているようでは、会社としては無用な存在となってしまいます。

現在の社会は、権利を主張することに重きが置かれ、義務を履行することが軽視されているように思えます。

 

私は、滅私奉公をするべきとは思いません。しかし、最低限の義務は果たさなければならないのではないでしょうか。

国会議員として、やらなければならない事をしっかりと行ったうえで、自分がやろうとしていることを主張するのであれば、多くの方は納得するでしょうし、その考えが国益に反映されるのであれば、国民は応援するでしょう。

しかし、人のスキャンダルを暴いたり、悪口を言っているようでは、誰が応援するでしょうか。

面白可笑しく祀り上げることはするでしょうが、それが長続きするとは思えません。

「今が良ければそれで良い」という考え方では、事を成し遂げることは出来ないでしょう。

 

私は、他人から信任を受けて行動したのであれば、しっかりとその信任に応えることが義務ではないかと思います。

お金を貰って日本一周の旅をやり遂げたのであれば、やり遂げた後に何をするかが大事ですし、選挙により信任を得て国会議員になったのであれば、その信任に応えるべき活動をするべきでではないでしょうか。

 

「誰かが投票してくれた、お金を寄付してくれたのだから、投票したのはお前達で俺は頼んだわけではない。お金を寄付してくれたのは俺の活動に賛同してくれたからだ。だから、俺は自分のやりたいことをやる。」と思うのであれば、その考えは間違っているのではないでしょうか。

 

その方たちの思いに応えるのが、義務になるのではないでしょうか。

 

私はそう思います。