参院選挙が終わって

昨日、参議院選挙が終わった。

現在の時刻は、7月11日(月)3時43分。

2時からWebで開票速報を見ていた。

結果は与党の勝利。

岸田政権は盤石な地盤を築けたことになった。

 

令和で一番の事件が起きる

 

この参議院選挙中に、大きな事件が起きた。

内閣総理大臣安部晋三氏が暴漢に銃撃され、命を落とすという惨事である。

7月7日の金曜日に、選挙の応援演説中の出来事である。

Webの配信で事件を知ることができた。

死亡時刻は、同日の5時3分と発表されたが本当の事は解らない。

医師の発表から推察して、殆ど即死の状態だったのではないかと思える。

現場近くのクリニックの医師は、応急処置も出来ない状況にあったようだし、救命処置をした医師も、輸血はしたが効果は無かったような言動だった。

 

危機管理意識の欠如

 

日本という国は、安全な国であると思われているが、はたしてそうなのだろうか。

確かに日本人は、大人しい民族である。が、国民の中には過激な感情を抱いている者も少なくはないとも思える。

最近の犯罪をみると、犯罪自体が変化しているのと犯人像も変化しているように思える。

普通の人が、突然に罪を犯してしまうようになってきているのではないだろうか。

自動車の中に子供や動物を置き去りにして、死なせてしまったり、ちょっとした言い合いで刺してしまったり、または、Web上で誹謗中傷を続け、死に追いやってしまったりと、無意識に罪を犯す傾向が増えているようにも思える。

何故なのだろうか。

 

人間関係が希薄になったからだろうか

 

これはあくまでも私見なので、正しいとは思えないかもしれないが、私は「人間関係が希薄になった」ことに原因があるのではないかと思っている。

私の小さい頃は、自宅には3世代が暮らしていた。

特に私は、田舎生まれなので、祖父母、両親、兄弟と生活をしており、家には必ず誰かがいるのが当たり前であった。

そして、近所の方がいつでも訪ねてくるのが当たり前で、近所を歩いていても良く声を掛けられたし、いたずらをすれば叱られることは当たり前だった。

親が気づかなくても、祖父母、近所の方が異変に気付いてくれて、声を掛けてくれることは当たり前だったのである。

しかし、現在ではよほど田舎へでも行かないと、地域で子供を育てるとか、老人を見守るといった行為は見られない。

建前では、老人の見守りや学童の巡回見守り活動は行われているが、プライベートなところまでは踏み込めないので、どこか中途半端になっているように思える。

今回の犯人も、近所付き合いは殆どなかったようで、近所の方も事件から犯人像が解ったとの声が多かった。

 

危うい近所付き合い

 

私は、現在すんでいるところに17年前に越してきた。あるデベロッパーが土地を分譲していたので、不動産会社を経由して購入して家屋を建てて住みだしたのである。

なので、この15件はほぼ同時期に引っ越してきたのであるが、殆ど近所の方とは会話をすることがない。

つまり、両隣や向かいの方がどんな仕事をしているのかも知らないし、井戸端会議らしいことを見た事もない。

だいぶ前になるが、この15件の中の1件に泥棒が入ったことがあった。

私は、早朝にゴミを出すため外にでたのだが、見知らぬ男がふらふらと歩いていたのを目撃した。

袋小路になっているので、間違って入ってきたのかとおもったのだが、早朝にウロウロしているのも変だとはおもったが、深く気に留めなかった。

その目撃から1週間程で、泥棒が一番奥の家に入ったのである。

もしかしらた、私が目撃した男が犯人かも知れない。

しかし、近所付き合いが濃厚ではなかったので、防犯の声を掛けあう事もなく、また泥棒に入られたという事も、噂話で聞く程度であった。入られた家からすれば人に言って歩くのは憚れるし、我々も他人の不幸を聞く訳にもいかず、これと言った声掛けもしないまま時が過ぎてしまった。

 

職場ではプライベートは話さない

 

勿論、職場でのプライベートの詮索は、ハラスメントになる場合があるので、深く詮索はしないようになった。

家族の事などは、世間話程度には話すが深入りはしない。

当然、悩み相談などは殆どしなくなってしまった。

ドライに業務に関する情報交換と共有が殆どになり、昔のように「ノミュニケーション」などは無くなったように思える。

無理に誘うと問題視されることもあるし、プライバシーの侵害にもなり兼ねないのである。

そうなると、自分の悩みを相談できるのは近しい関係の家族位になってしまい、家族のいない独身の方は自分で悩みを抱えてしまい、自暴自棄になってしまったり、全く利己的な考えに固執してしまうことになってしまう。

 

安部元総理を銃殺した犯人も、このような背景があったようである。

人生がうまくいかなくなったことを他人のせいにして、全く関係の無い方を逆恨みして、暴挙に走ってしまったようだ。

 

自分を見つめる

 

私は、自分を客観的に見ることを意識している。

例えば、イライラしている自分がいる時、何故イライラしているのかを自分に問いかけるようにしている。

これは、今年になってから始めたことである。

年齢を重ねると、自分の間違った感情を他人が注意してくれることが少なくなる。

そうすると、自分の主観で現状をみてしまい、その主観が正しいか間違っているか、どうしてそう思うのかを意識しなくなってくる。

つまり、我ままで勝手な思考になってくるのである。

例えば、「自分の思ったように進まないのは自分ではなく、周りが悪い」というような考え方に偏ってしまうのである。

しかし、冷静に自分を見つめてみると、自分自身に問題があることが殆どなのである。

自分を冷静に客観視して状況を判断することができるようになれば、ストレスも減らせることが解ってきた。

自分以外に過度な期待を抱くことも減ってきた。

他人を思いやれる気持ちの余裕も出てきたのである。

 

必要以上に他人と関わる必要はないかもしれない。

しかし、勝手な思い込みで他人を巻き込んで自分も他人も不幸にしてしまう事もあることを認識しなければならないのではないだろうか。