お早うございます。
今日は7月23日の日曜日です。
時間は午前4時1分。
以前も書いたかもしれないが、今日は定年後の職探しの事を書いてみたいと思います。
確か、私が所属していた会社を辞めたのが、61歳の7月だったと思います。
もう、4年も前の事になります。
当時は、コロナ禍が始まったばかりで、世の中が大きく変わろうとしていた時でした。
街から人影が減り、会社に人が行かなくってしまい、飲食店は集客が出来ずに倒産する等、多くの社会現象が起こりました。
そんな時に会社を辞め、新たな職を探さなければならなかったのですから、それはそれはとても苦労しました。
と言いたいのですが、職を探すのにはさほど苦労はしなかったのです。
パソコンで求人サイトを閲覧して、いいなと思った求人広告にエントリーして、面接を受ける。
場合によっては面接もありませんし、履歴書を送付することもない求人もありました。
求人サイトで用意したエントリーシートに必要事項を入力し、スマホで撮影した自分の写真を添付するだけでエントリーが出来るようになっていたのです。
コロナ禍で、対面での面接ではなく、チャット等のアプリを使って面接をする会社もありました。
パソコン操作やデジタル対応に抵抗がある方にとっては、ハードルが高いかもしれませんが、今やスマホを操作出来ない方はいないでしょうし、パソコンも1人1台は家庭にあるなんて当たり前になっていますよね。
ですので、職探しについては求人サイトから自分に合いそうな仕事を選んでエントリーするだけなので、とても楽でした。
大変だったのは、実際に仕事についてからでした。
最初は、経験を活かせるアルバイトに就こうと思い、定年後も依然と同じような仕事に就こうと思い、アルバイトを探しました。
アルバイトで営業は無いと思っていましたし、営業の仕事はやりたくなかったので、同じような業種の工場で働こうと思い、求人サイトで探してエントリーをして、そのようなアルバイトに就くことが出来ました。
しかし、この仕事は1か月と続きませんでした。
通勤は自宅から徒歩15分で、8時30分始業で17時に終業となり、残業はありませんでした。
しかし、同業であるがゆえに、仕事内容も解っていたのですが、それがかえって仇になってしまったのです。
つまり、定年前の仕事のイメージが強く出てしまい、自分自身の中で息苦しくなってしまったのです。
出来ることより出来ない事を探すようになってしまい、その出来ない事が自分を委縮させてしまい、出社するのが嫌になってしまったのです。
職場でも、経験者というイメージを持たれ、環境が違うのに「これくらいは解るよね」という感じで説明されてしまうため、肝心なところでミスをしてしまうようになり、多分、他の方はそんな風には思っていなかったかも知れませんが、中には「こんなことも出来ないんだ」とあからさまに態度に出してくる方もいました。
その時、思ったのは「今までにやってきた仕事と同業で働くのは難しい」でした。
それと折角、定年を迎えて新しい人生を歩めるのに、今迄の延長のような仕事では面白くないなとも思ったのです。
出来れば、全く違った仕事に就いて、新しい環境で仕事がしてみたいと思ったのです。
どうしても、長年働いてきて経験もスキルもあるので、定年前の職を選びたくなるのですが、全く新しい仕事にチャレンジできるのも定年という人生の節目の醍醐味かもしれません。
そこで、私は福祉系の仕事がしてみたいと思い、高齢者介護のアルバイトにエントリーしました。
人手不足の職業ですから、採用はすぐに決まりました。
しかし、この仕事も半年程でリタイヤしてしまいました。
福祉業界は、労働環境が厳しく肉体的にも精神的にも耐えられなくなってしまったのです。
また、今迄の労働環境とあまりにも違い過ぎた事も原因でした。
人様の面倒を見るということは、とても大変な仕事だという事を「身を持って知る事が出来た貴重な経験」になったのですが、給料を貰って、プロとしてやっていく自信は持てませんでした。
しかし、人手不足の業界だったので、会社は給料少なくなくなる条件で、施設管理のような仕事に移動させてくれました。
自分で生活は出来るが、食事の用意や共有部分の清掃などを行う仕事でした。
夜勤もありましたが、10時から4時位までは就寝も出来ますし、昼間の殆どは掃除と居住者への食事の提供が主な仕事でした。
掃除は1時間位で共有の老化と共有のトイレ掃除くらいなので、楽な作業でした。
食事もパートで入って頂ける主婦の方と料理を分担して作ったり、後片付けなので楽しかったです。
何よりも、自分の作った料理を居住者の方が
「美味しかった」と言って全部食べてくれた時は、やりがいを感じました。
空いた時間は、居住者と世間話をしたり、一緒に散歩に出掛けたりしていました。
残念だったのが給与額です。
居間であれば、年金も支給されているので収入としては問題なかったのですが、61歳では年金も支給されませんでしたし、まだアルバイトの給与に依存する状況だったので、生活面で条件が合わなくなり、辞めざるを得ませんでした。
私としても、あの職場を辞めるのは残念な思いでした。
次に働いたのは寿司店の調理場だったのですが、これは1週間と持ちませんでした。
飲食業界は、独特な徒弟制度があり高齢者には馴染めません。
よく、採用されたと思いました。
すぐに辞めて正解でした。
よく、「働いたら3年は頑張ってみる」と言われる方がいますが、定年後の職探しでは当てはまりません。
向いてないなと思ったら、我慢せずに辞めることをお勧めします。
何故なら、我慢して働いていてもメリットは無いからです。
私は、定年後は自分が楽しく働ける仕事に就きたいと思っていました。
今迄40年間は、生活を支えるために我慢もして働いてきましたが、定年後は自分がやりたいし、やっていて楽しい仕事をしたいと思っています。
定年前のように、高額な給料が貰える事はありません。
つまり、採用する企業も定年後の我々に、そこまでの責任を持たせるつもりもなく、それなりに働いてもらえればいいと思っているからです。
であれば、我々も給料に見合った仕事をして、企業に貢献すればいいのです。
その仕事が苦にならず、続けて働くことで自分にもメリットがあり、採用した企業にもメリットがあればそれでいいのです。
定年後の仕事選びに「我慢」は禁物です。
向いていないと思ったら、すぐに次の仕事を見つけることが、定年後のライフワークを充実させる秘訣です。
ですので、寿司店はすぐに辞めて、障害者施設の指導員に応募して採用されました。
この仕事は、やってみたい仕事だったので、募集を見つけた時に、すぐにエントリーしました。
しかし、この仕事も1年で辞めざるを得なくなったのです。
それは、人間関係でした。
この業界も人材不足の業界です。さらに、管理者には資格制度があり、ある資格を取得しないと管理者になれないというルールがありました。
そして、その資格を取得している管理者は独裁者のような振る舞いをする方が多いようです。
と言うのも、そこの施設以外の方にも聞いたら、その別に施設の管理者も同じようなタイプの方だったのです。
資格を取得しているし、相手は障害者ですので自分の意見を押し通すことが出来る環境にあるわけです。
一緒に働いている指導者と言われる職員は、資格保持者はいませんから、その指導者に対しても上から目線で、自分の意見を押し付けることが出来るのです。
つまり、独裁者になってしまう訳です。
ですので、自分と意見が合わない障害者や指導者に対して、厳しい態度を取ったり、自分の思うような行動を取らない場合は、指導という名目の自分の考えに服従する圧力をかけてくるのです。
私は、この対応に嫌気がさしてしまい、やはりこの職も辞することになってしまいました。
その管理者は、私に対して辞めざるを得ない状況を作り、また他の指導者や利用者に対しても、私への偏見を吹聴したりして、居場所を無くしてしまったのです。
特別な環境の職場ですので、管理者のマインドで職場環境をコントロールしてしまうのです。
ですので、利用している障害者達と別れることは辛かったのですが、自分が幸せになれないのであれば、自分から身を引くしかないので、辞めることにしました。
人間関係がダメになってしまった職場で、仕事を続けるのは困難です。
一番は自分です。自分が働いて幸せでなければ、その場所で働く価値は無いのです。
そして、現在のマンション管理員に就いたのです。
今迄の経験を踏まえ、自分の出来る作業方法。1人で働けて通勤にも30分以内。
居住者様との距離感もあまり近くならない様に心掛けながら、日々の労働に従事しています。
何よりも嬉しいのが、無理をしなくていい事です。
自分のペースで作業を組み立てられますので、体調が芳しくなければ、無理に動かずに出来ることだけをやり、出来なかった事は明日に回すことが出来るのです。
勿論、給料を頂いて働いているのですから、何から何まで好き勝手にできるという訳ではありませんが、誰かに言われてやるのではなく、自分で考えて作業を組み立てたり出来るので、私にはとても合った仕事です。
定年退職をして4年になりますが、やっと自分のやりがいを感じる仕事を得ることが出来ました。
自分でやってみたい仕事には躊躇せず、エントリーして経験してみる、駄目だったらさっさと辞めて、次の仕事を探す。
変に執着せずに、楽しみながら遣れる仕事をさがすのが、定年後の職探しです。
何度かしくじったとしても、全然いいじゃないですか。
全て経験になります。
それも、また楽しい思い出になると思いますよ。
ぜひ、楽しんで定年後は働きましょう。