65年の生涯を振り返る(40代後半から60代)

こんばんは。

 

今日は12月23日の土曜日。

時間は19時です。

 

昨日から日本海側は記録的な大雪となっています。

私の住んでいる地域は、今朝の気温が氷点下となりました。

外の空気は冷蔵庫の中のように冷たかったです。

 

私はある方にスカウトされ、会社の創立メンバーとして迎えられました。

その会社は、印刷関連の会社と大手の出版会社をアテンドすることをビジネスにするために創立されました。

印刷関連の会社なので、デザイン会社や編集プロダクション、そして印刷会社と大手出版会社ですので、誰でも知っているような出版会社や教科書の出版を行っている会社がクライアントでした。

まず、私達が始めた仕事は、相応のニーズの把握です。

大手出版会社は、安価でクオリティの高いデザイン事務所や編集プロダクションを探しています。

印刷関連会社は、安定した発注を頂ける出版会社を顧客にしたいと思っていますが、双方とも現状の仕事を消化することで、新規のクライアントやサプライヤーを探す事に時間を割くことが出来なかったのです。

そこで、間を取り持ってあげることで、紹介料や営業代行をビジネスにすることを思いついたのが、私に声を掛けてくれた方でした。

その方は、某大手企業で営業を行っており、双方の要望を相談されていたので、このビジネスを始めることにしたと言っていました。

私は今までの経験を活かし、印刷関連会社を訪問し、ビジネスのポイントを説明して、その会社の強みや設備内容等を把握して、営業リストを作成し、大手出版社だけでなく大手広告代理店や放送局等へ営業を掛けていきました。

ビジネスは順調に進展し、会社の業績も伸びていたのですが、残念なことにその方が急逝されてしまい、その直後にもう一人の創業者も急逝してしまったのです。

株主から会社清算手続きを打診され、1人残った創業者が精算手続きをして、会社を終了させ、私はその会社を去る事になりました。

しかし、その時もある方の紹介により、新しい印刷スキームを作りだした印刷会社の新規営業職で採用されたのです。

私は、その会社でも新規受注対応営業を担当し、売上向上に貢献しました。

その会社は、A3サイズ迄のカラー印刷だけを受注するスキームと、通常の印刷料金より2割ほど安い印刷コストを明示して、印刷関連企業をクライアントに絞り、営業展開を掛けるビジネスモデルで、売上を伸ばしていました。

私は、以前に営業を掛けた会社に営業活動を行い、その会社の印刷工場というポジションで印刷物の製作を提案しました。

その会社で営業を掛けていたマーケットでないジャンルの会社だったので、販路を広げることになり、急激に売上を伸ばすことに成功したのです。

さらに、いままでのように印刷前にフィルム作成を依頼せず、クライアントから印刷用のデジタルデータを直接受け取り、印刷用の判を直接作成できるシステムを導入するシステムと、印刷物を遜色のないデジタルプリント機を日本で最初に導入し、新たなクライアントを獲得することにも成功したのです。

このシステムを導入するために、その機械を開発した海外メーカーに訪問をし、色々と状況分析や導入後の営業活動方針などをメーカーと協力して作成し、日本のパイオニアとして受注対応をするためのプロジェクトを立ち上げ、受注活動から品質管理までを責任者として対応しました。

しかし、ここでもある時点から私の活動に脅威を感じる取締役や創業者から疎まれるようになり、年末に解雇を通達されたのです。

その時、私は取締役でしたので、一般の社員のような雇用契約ではなかったので、取締役会で取締役解任動議が提案され賛成多数で解雇が決定したのです。

多分、私の性格でやりすぎてしまうのでしょうね。

その時、創業社長から社長の息子に代替わりを行うタイミングもあり、息子にとって私は「目の上のたんこぶ」だったのでしょう。

 

しかし、ここでも私を雇用したいという会社の社長が現れ、解任後すぐに新しい会社に採用されました。

その会社は、上場企業のグループ会社で、ある特殊なマーケットで受注活動をしている会社でした。

しかし、そのクライアントから、商業印刷物のデザインから印刷までの相談を数社から受けており、その部門を専門に対応できる営業マンを探していたのです。

そのポジションで、知名度があった私はすぐに採用されたのですが、上場企業の子会社ですので、採用時期にルールがあり前職退職から1か月は自宅待機を指示され、1か月後に正式に採用通知を受け取り、本社勤務を命じられました。

その会社のポジションは、部署や部下もなく、全くの単独行動が条件でしたので、完全成果主義の対応でした。

営業に必要なツールも用意されず、社内のサポートは会長や社長の知人の紹介で、私のような人間が会う事の出来ないような大手銀行の会長や頭取、国会議員、超大手企業の役員がクライアントでした。

会長や社長から、訪問先を指示され、指定された時間に訪問して商談を進めるという営業でしたが、対応する相手が先ほど書いたようなVIPと面談し、実務は秘書や指示を受けた重役や部長職とやり取りをするという業務でした。

絶対にミスは許されず、常に神経を使う状況でした。

この会社には定年まで勤務し、雇用延長で仕事をしていたのですが、コロナの蔓延で退職することになったのです。

そして、退職後は何社かのアルバイトを経て、今のマンション管理員に落ち着いたという訳です。

 

こうして、振り返るとリストラも経験したし、海外でのビジネスや、会う事が出来ないような方ともお会いすることが出来たし、私のビジネス人生は恵まれていたんだと思いました。

正直、辛くて逃げ出したくなったことも何度もありましたし、リストラされた時は「なんでこんな思いをしなければならないのか」とリストラされた会社を恨んだ事もありました。

家族、特に妻には辛い思いをさせてしまったと申し訳ない気持ちにもなりました。

しかし、現在は管理員として安定した業務を全うしていますし、あと10年は管理員として働きたいと思っています。

 

2023年もあと1週間となりました。

2024年がどんな年になるかは解りませんが、無理をせず自分なりに毎日を充実させて過ごして行こうと思っています。

 

厳寒の中、雪を被る薔薇がありました。厳しい寒さに耐える薔薇の強さと美しさを描いてみました。