選挙とは何だろう。

お早うございます。

 

今日は3月18日の土曜日です。

時間は3時43分。

久しぶりの雨の朝です。

今年の3月はとても暖かい3月で、例年であれば4月下旬の気温が続いています。

でも、今日は冷たい雨で気温も10℃前後との予報です。

 

さて、最近の大きなニュースは、海外に居ながらインターネットのサイトを使い、若者を強盗の手先に使う一味が逮捕されるという報道が話題となっています。

その手口はかなり凶悪で、1人暮らしの老人や金持ちの老夫婦を狙い、白昼堂々と犯行に及び、被害者を殺害して金品を持ち去る、又は、高級宝石店へ堂々と入って行き、「強盗だ」と伝え、商品陳列ケースを壊し、商品や現金を持ち去るというやり口です。

実行犯は、20代前半の若者から50代位をインターネットのサイトで募集して、犯行を実行させるというやり方です。

なんとも恐ろしいことです。

世の中のインフラが進歩すると、生活が便利になるのですが、このような今まで予想もしなかった手口で犯罪が起こることにもつながります。

他にも、若者に人気の動画配信で、自分の存在を誇示したいという身勝手な思いから、回転寿司店で迷惑行為を行い、逮捕されてしまうという事件も頻発しています。

何をやったら迷惑になるとか、罪に問われるとかいう意識が欠落してしまい、ただ目立ちたいという欲望が先走って、動画配信の為なら何でもやってしまうという。

この心理は今の社会が孤立化を増長させているという事ではないかと思います。

コロナ禍の中で、黙食や孤食を強要され友達や家族との会話も規制された時代で、自分の存在をアピールするために、何か目立ったことをやりたいという思いは、極めて当たり前の欲求とも思えます。

しかし、何をやったら犯罪になるのかという思考は目立ちたいという欲求に負けてしまい、抑制することが出来なくなってしまうのかという事を認識させてもいるのではないでしょうか。

 

私も、このようにブログを書いています。

この目的は、その時の思ったことや事象を書きとどめておこうと思い始めたのですが、心のどこかでは目立ちたいとか、お金にしたいという思いがあったことは否めません。

ただ、露骨にその方向に走らない、才能が無いので走れないと言うだけなのです。

もし、才能が有ってブログで有名になり収入が得られるのであれば、私もやっていたかも知れません。

そのくらい、特別なことではないのです。

しかし、自制心や周りの目が行動を抑制させるとは思いますが。

 

そんなことを考えていたら、7月の参議院選挙で当選して議員となったが、登院することなく議員資格を剥奪された某議員も同じなのかなと思いました。

そもそも何故、彼は立候補したのでしょう。多分、議員になって政治を変えようとは思ってなかったのではないでしょうか。

某政党党首からオファを貰い、「目立つし金になるからやってみよう」位の気持ちで立候補したのではないでしょうか。

某党首も、当選すれば助成金が入るし、お金になるので彼を推してみようと思ったのではないでしょうか。

本気で日本を良くしようとは思っていなかったのかなと推測します。

議員資格を剥奪された彼は、議員への未練は全く感じられず、言葉では投票してくれた29万の方に申し訳ないと言っていますが、であれば、例え海外に居ても登院を求められれば、応じたはずです。

しかし、彼は登院に応じなかった。つまり、保身が先行したのですから、議員としての資質は最初から無かったのです。

そのような輩を、政治を金儲けの道具として考えている某政党の元党首も、同じ穴のムジナで政治を金儲けと自分の存在のアピールの道具としてしか考えていないのです。

政治は人の粗探しをして暴露することではありません。

まして、国政を担う衆参議員であればなおさらです。

インターネットを活用すれば、国内に在住しなくても選挙活動はできます。

そして、言葉巧みに民衆をあおれば、得票数は確保できることも証明されました。

この現象はとても危険な事です。

やり方次第では、世の中を大きく変えることが出来るからです。

民衆をあおり、自分の思い通りにコントロールして票を稼ぎ、国政に参画してインターネットで民衆をあおり、政治を変えていくことも出来るという事です。

特に、若い世代は面白いことや目立つ輩を担ぎ上げる傾向があり、さらに楽に金になるのなら、善悪を考えずに行動に移すという傾向が出てきています。

つまり、本来は選挙という民意が間違った使い方になるという事です。

 

話は飛躍するかもしれませんが、多分、日本が世界大戦を始めるキッカケになったのも、このような機運の高まりからだったのではないかと思われます。

一部の人間の言動や行動が政治の民衆心理も変化させ、その一部の考えに押し流されていった結果ではないかと。

 

現代は、まさにその状況に近づいているのではないでしょうか。

インターネットや新たなテクノロジーを駆使して民衆心理をコントロールし、私利私欲に溺れた者を上手にコントロールする輩が現れたら、選挙活動や民意という言葉は間違った使い方をされ、世の中を破壊することも出来ると思えてなりません。

 

今回の某議員の懲罰委員長が、彼を信じて登院すると思っていたようですが、その委員長の思いと某議員や某党首の思いには、大きな違いがあると思えました。

某委員長は、議員バッチの重みをしっかりと認識しておられ、国政に関与する者の責任を持っておられました。

しかし、某党首や某議員にはそのような責任感も意識も見受けられなかったように思います。

ですから、事がうまく運ばなくなり自分が不利になった某党首は政党名を変え自らは党首を辞任しています。

本当に政治をやりたい、国を変えたいと思っている輩はそのくらいのことで、逃げだしたりしないでしょう。

最後まで、某議員を守るでしょうし、登院を促すでしょう。

私は、今回の件では除名された某議員も被害者だと思っています。

ま、うまく踊らされたパペットだったのかもしれません。

 

人間は誰でも自分が一番可愛いものです。

だから、一概に今回の当事者達を「悪」とすることもできないでしょう。

 

わたしも、その場にいたら同じようになっていたかもしれません。

多分、某議員は「他に道は無かった」と思っているのではないでしょうか。

他の議員さんも思いの違いはあるかも知れませんが、彼らを100%責められない思いはあるのではないでしょうか。

そして、我々、少なくても私は彼らを100%否定できないと思っています。

 

しかし、第2の某党首や某議員を出さないための策は講じないと、また同じような事が繰り返され、さらには、痛ましい事件が起こりかねないと思っております。

 

少し、考えすぎでしょうか。

 

前回と同じ侘助を色鉛筆で描いてみました。色鉛筆の慣れもあり表現は色鉛筆の方が思い通りに出来ました。