定年後の日々を振り返ってみて

お早うございます。

 

今日は9月22日の日曜日です。

時間は午前3時30分。

 

今日は不安定な天候と予想されています。

9月の下旬だというのに、気温は30℃を下回りません。

予報では、今日は秋を感じることが出来る気温になるとの事でしたが、一昨日と昨日は場所によっては猛暑日でした。

とにかく、今年の夏は異常な暑さの連続です。

この時期に30℃となるのは、私の記憶では思い当たりません。

さらに、集中豪雨による被害が出ており、地震で打撃を受けた、石川県の輪島や珠洲市は、大雨の被害で、またもや家屋の倒壊や河川の氾濫による被害が甚大です。

何故、あの地域がこんなに被害を受けなければならないのでしょうか。

報道を観る度に、とても悲しく辛い気持ちになります。

なにもそこまで苦しめる事はないのにと、自然を恨みたくなります。

どうか、この災害に負けずに強く生きて欲しいと心より願う次第です。

 

私が定年を迎えたのは4年前でした。

当時コロナが流行り始め、世の中が不安で覆い尽くされている時でした。

コロナが流行らなければ、雇用延長で今年の10月までは働き続ける予定でした。

しかし、コロナ禍になり世の中は大きく変化しました。

特に私が所属していた会社は、結婚式に関する印刷物を商品として販売する事が収益の柱でしたので、コロナ禍で結婚式や披露宴が激変し、さらに披露宴などのパーティーが殆ど行われなくなったので、収益が急激に落ち込んでしまいました。

そうなると、人員の削減が企業存続の為には必要になります。

そこで、定年を過ぎた雇用延長の従業員や、役員の整理が行われました。

私もその候補者の1人として挙げられました。

形だけの解雇前のヒアリングがあり、すでに決定した事項が人事部長より通達され、解雇日を知らされただけでした。

すでに、定年で1度は退職している身分でしたので補償などはありません。

しかし、私はそれでよかったと思っています。

4月位から在宅勤務が余儀なくされ、出勤は出来なくなりました。

自宅に居ながら、クライアントからの依頼を電話とメールでやり取りし、1週間に1度だけクライアントを訪問するのですが、クライアントも出社制限をしていたので、訪問しても約束をした担当と、わずかな社員の方だけが出社されているだけで、オフィスの中は静かで照明すら点いていない状況だったのです。

電車は空席だらけで、都内であっても人影はまばらでした。

こんな状況では、営業活動など出来る訳が無かったのです。

業務の殆どが自宅で電話とメールで済ませることが出来るという事を認識しました。

サプライヤーへの注文や、細かい指示などはPC上でカメラを使い、リモートで打ち合わせを行えるツールが急速に進化し、長い時間を掛けて出社する必要性が感じられなくなりました。

しかし、会社自体はコロナ禍により収益の激減で、困難な経営状態になったことは間違いありません。

こんな状態がいつまで続くか解らなかったし、リスクを冒して出社するのも嫌になっていたので、私はすぐに承諾をして荷物をまとめ退職の準備に掛かりました。

確か7月末には、退職を済ませたと記憶しています。

その時は、次の職が決まっていませんでしたので、若干の不安があったことも覚えています。

妻からは1か月位はのんびりして、ゆっくりとアルバイトでも探せばいいと言われていましたが、2日も経たずに履歴書を購入しコンビニの脇に置いてある証明写真の撮影機械で証明写真を撮影し、PCで就職サイトを閲覧し始めたことを覚えています。

あの時の夏はこんなに暑くはありませんでした。

 

私は、定年後も働く事を決めていましたので、働くことについての抵抗はありませんでした。むしろ、働かずに自宅に居ることの方に不安を感じていました。

それは働かない事により、収入が無くなる事もあったのですが、それ以上に自分が社会から離れてしまうようなことになるのでは、という不安の方が大きかったと思います。

今迄40年間、休むこともなく働き続けてきた人生ですから、働かないということがどんな事かが解らないし、働かないことで収入が確保できないという不安定さが耐えられなかったのかもしれません。

定年までは、自分のためでもありましたが家族のために働く事が生きがいでした。

自分が働いていれば、家族は安心して生活が出来るという思いは強く持っていました。

しかし、定年後は子供も独立をして、妻も自分のやりたいことをやりながら、収入を得るようになったので、私の働くという意識から家族のために働くという考えは軽減されました。

そして、自分のために、そして働くことによって、少しでも誰かの役に立てることを意識するようになったのです。

だから、収入よりもやりがいを求める職を探すことにしたのです。

目立たなくても構わないし、誰かと繋がらなくても構わない。

むしろ、1人でコツコツと自分のペースで働ける職に就きたい。しかも、出来るだけ長く働ける職がいいと思うようになりました。

自分の時間も確保したいので、固定された休日が得られれば、いうことはないとも思いました。

そんな、都合のいい仕事はなかなか見つからなかったのですが、何度か職を変えていると、理想の職に巡り合えたのです。

それが、マンション管理員の仕事です。

 

私の場合は、幸いに終日勤務の管理員の職があり月曜日から金曜日までは終日で、土曜日は午前中という勤務体制です。

時間だけをみれば拘束時間が長いので、大変と思われるかもしれませんが、肉体を使う労働時間はせいぜい3時間程度で、あとは受付業務となり、管理室で待機の時間となります。

その時間は、誰にも邪魔される事のない自分だけの時間です。

本当はいけないのでしょうが、自分の好きな本を読んだり、学習の時間に充てたりしています。

座り疲れたら館内巡回を行い、箒と塵取りを持って館内を巡回します。

階段を使いますので、いい運動になるのです。

偶然、お会いした居住者の方と世間話をしたり、マンションの前を通る小学生とお友達になり、学校であった事なんかを聞いたりと実に楽しい日々を過ごすことが出来ているのです。

ノルマもないですし、やるべき事をやってしまえば、あとは自分の自由に過ごすことが出来るのですから、こんないい環境は無いでしょう。

 

この職にたどり着くまでには、寿司屋や老人介護施設、清掃業と何社かの仕事をしてみました。

なかなか、うまくいきませんでした。

仕事がきつかったり、勤務時間が安定しなかったり、人間関係がうまくいかなかったりと、若干ですが辛い思いもしました。

しかし、焦りはしませんでした。その時経験した事は役にたっています。

今迄40年間、同じ業界の中だけで生きてきたのですから、すぐに他の業界に馴染めないのは当然です。

でも、諦めずに求め続ければ必ず自分の求める環境を見つけることが出来るのです。

その時は辛く苦しい日々でした。

しかし、それも経験です。

その日々があったから、今日があるのかもしれません。

少し、カッコよすぎますかね。

でも、振り返ると自分の人生、すごく恵まれていると思えるのです。

今、定年を過ぎて4年目になりました。

今年で66歳。

とても楽しい日々を過ごしています。

大変な日もありました。

今年の夏は暑くて、管理室にエアコンが無く、室温37℃となったこともありました。自分でジモティで冷風機を購入し、管理室へ持ち込みました。

熱中症になりかけ、体力が落ちた時コロナに感染してしまいました。

動けなくなり救急車で病院に搬送され、コロナと診断された時は、ガッカリしました。

何故、ガッカリしたかは解りませんが、あのコロナ禍の時は感染しなかったのに、コロナが5類になり、治療費が国費から自己負担(通常の健康保険負担の3割)になってから、感染する間の悪さがガッカリの理由かもしれません。

今は元気に過ごしていますが、さすがにこの1週間の猛暑で若干ですが体調が不安定です。

 

早く、暑さが和らぎ熱中症に掛かる方が減り、穏やかな秋から冬になればいいなと思っています。

また、新年がやってきます。

ちょっと早いですが、来年は今年のような災害の無い年になって欲しいものですね。

 

この絵は用紙のサイズを242×167mmにした絵です。著作権フリーの画像を参考にして、白頭鷲を描いてみました。
画像は鷲の全体が映ってましたが、私は頭部だけを描いてみました。背景も鷲の獰猛さを強調するように、スパッタリングで赤の絵の具を飛ばしてみました。
今迄の私の描画とは若干、スタイルを変えてみました。