今年も、あと12日

一昨年の動向

そろそろ、今年2021年を振り返っても良い時期になってきた。

昨年の7月31日を以て、私の心の中ではサラリーマン人生を終えたと認識している。

23歳で就職をして62歳まで「デザイン印刷業種」の中で働いてきた。

昨年は、新型コロナ禍の影響で勤務していた会社を退職することになってしまった。

正直言って65歳までは辞めたくなかった。というより、65歳まで継続勤務が出来ると思っていたので、計画が崩れてしまったのである。

しかし、決まってしまったことを悔いても何の進歩もないので、7月31日で退職をして、カッコよく言えば「人生のセカンドステージ」を歩むことを決意した。

私は、退職後すぐに新しい環境で働くつもりでいたので、アルバイトサイトで検索を始め、アルバイトを始めるつもりでいた。

幸い、60歳以上の採用枠も結構あったので、何社かにエントリーをしたが結果は思わしくなかった。

理由は、コロナ禍の影響で景気が低迷してしまったことだった。

しかし、運よく採用を頂きすぐに働き始めたのであるが、全く畑違いの業種だったので、自分の考えと環境に大きな隔たりがあり、私が環境に馴染めず、やむを得ず退職することになってしまった。

定年後に新たな職種に就く難しさを痛感したのである。

そんなことを何社か繰り返していると、自分に自信が持てなくなり、働くというより自分自身を変えることの難しさを痛感した。

この辺りは、過去の記事でも触れているので細かく書くことは止めよう。

そして、昨年の今頃、現在働いている会社に巡り合うことができたのである。

「就労継続支援A型事業所」である。

募集内容は「軽作業での見守り支援と指導、介護施設までの清掃動向及び指導」と書かれていた。

障害のある方が、継続的に就労活動が出来るように支援を行う会社である。

何も解らず、履歴書を送付し面接を受け、年末に採用通知を頂き、今年の1月4日に入職をした。

 

利用者の純粋さに感動する

入職をした初日の朝、利用者に挨拶をしたとき、なんの抵抗もなく受け入れてくれたことを良く覚えている。

身体や知能や精神に障害を持っている方ばかりなので、もっと抵抗があるかと思ったが、とても親しく受け入れてくれた。

高校時代に、障害者ボランティアサークルに所属していたので、私に抵抗はなかったが、利用者の中には、壁を作ってしまう方もいたので、若干気にはしていた。

現在の施設にいる利用者は、明るい笑顔で挨拶をしてくれて、とても友好的に接してくれたことを覚えている。

入職してすぐに、特養へ清掃同行することになり、施設の自動車に利用者を乗せて特養まで送迎をし、清掃作業の見守りと指導を行う事になった。

彼らは、自分で道具を用意して利用者同士で声を掛け合い、手際よく作業に取り掛かっていた。

私は、彼らのどこに障害があるのだろうと思ったことも覚えている。

2か月位、特養勤務をしたのち、精神病院の清掃同行に異動となった。

そういうとカッコいいが、指導員は4人なので、単純な配置移動である。

当然、同行する利用者も違うし、場所が違うので彼らとは初対面といってもよいくらいであった。

さて、彼らは私をうまく受け入れてくれるだろうかと思っていたが、これも取りこし苦労に終わった。

彼らから、積極的に声を掛けてきてくれるし、とても親しく接してくれた。

この施設の利用者が純粋なのかも知れないが、自分が思っていた障害者という認識はまちがっていたと痛感した。

私は、障害者というと依存性が強く、なんでも頼ってくるイメージを持っていたのである。

しかし、彼らは自分で出来ることは何でもやろうとするし、自分で出来ない事は仲間と相談をして解決しようとする意志も持っている。

確かに、自分で動けない利用者もいるし、何かにつけ自分の世界へ引き籠る傾向の利用者もいる。

でも、周りの利用者に触発されるのか、出来ないなりに一生懸命に与えられた作業をやろうとする意志は感じられるし、見ている私も刺激を受けることが多々あった。

 

短く感じた1年

年齢のせいなのだろうか、今年はとても短く感じた。

多分、新しい環境で仕事を始めたため、毎日が充実していたからではないかと思える。

去年から、コロナ禍で生活様式が大きく変化した。当たり前と思っていたことが出来なくなったことも沢山できた。

自由に外出をすることも、外食をすることも出来なくなってしまった。

私は気の置けない友人や家族との外食は大好きだが、会社関係の方と付き合いでの飲み会は嫌いなのでその点は大いに助かった。

感染防止のため好き嫌いの関係なく、外出時にはマスクを付けなければならず、夏の間はマスクが暑くて辛い思いをした方も大勢いると思う。

女性の間では、これだけ長い間マスクをつけていると、マスクを外して外出することが出来なくなってしまうという声も出ているように、マスクをして外出することが当たり前になってきている。

誰が、こんな世の中になると思っていたろうか。マスクが品不足になり、マスクの価格やラテックスの手袋、アルコール消毒液の価格が高騰して購入が出来ない事が社会問題になったり、電車の中でマスクをしていないがために、口論となり怪我人がでたりと、今まででは考えられない様なことが発生した。

医療関係では、医療崩壊により、コロナに罹患しても病院で受け入れることが出来ず、自宅で待機して治療もされずに死を迎えた方もいらした。何とも悲しい現実である。

運よく完治しても後遺症が残り、うつ病になってしまう方や、風評被害で社会復帰を閉ざされた方もいると聞く。

コロナと言う病気の恐ろしさは、計り知れない爪痕を残した。さらに、このウイルスは進化を繰り返し、新たなウイルスになって世界中を震撼させている。

私の近辺でも感染してしまった方が出ている。

本当に、コロナ禍の恐怖で怯えた1年であった。多分、コロナ禍の恐怖は来年も続くと思われる。

しかし、人類はこの病原体に対して果敢に立ち向かい、ワクチンを創り出し世界中で接種が行われた。私も2度の接種を経験した。

1度目の接種の際は副反応もなく、問題は無かったが、2回目の接種後はかなり辛い副反応に襲われた。熱は出なかったが、体中に痛みが出て、めまいに襲われ食欲は無くなるという症状であった。

しかし、こんなもんでない副反応で苦しんだ方が沢山でたことも報道で知ったので、私自身はこんなもんで済んだことを有難く思った。

2021年は「我慢」の年であったと私は思う。

 

そんなコロナ禍の最中に、東京オリンピックも開催され日本人アスリートの金メダルの獲得が目立った。

私の感想では、この人はメダル確実と言われた方がメダルを逃し、目立たない競技のアスリートや今年から競技に加えられたアスリートの活躍が目立ったように思えた。彼らの活躍がコロナ禍で沈んだ世界に希望をもたらしたのではないだろうか。

 

政治の世界では、コロナ対策で政府が批判され、政治不信が増長したように見えた。

しかし、私の個人の見解では経験した事も無いウイルスでのパンデミックで、そのように対応したら良いかが解らない中、政府は検討したのではないかと思っている。確かに後手になる場面もあったが、政府は常に最善を尽くしたのではないかと思える。

多分、こんな思いを抱いたのは私だけではないのではないだろうか。その答えは、10月末に行われた衆議院議員選挙に出たと思える。

そして、12月を迎えてコロナ禍の感染者数が激減し、少しは景気が戻ってきたように感じられ、私自身の生活は物価が上昇してきているので、かなり苦しい状況ではあるが、何とか健康で生活をすることが出来ている。

さて、2022年をどのように生きていくかを残りの12日間の中で考えていきたいと思う。