今回も、当ブログを拝読して頂き有難うございます。
当ブログは、筆者の私が興味を持った題材を思うがままに、文字を使って表現しているブログです。
何か面白いことがある訳でもなく、有意義な題材という訳でもない。
今回も、東日本大震災から11年も経過したんだなと思い、いまだ避難生活をされている方がいらっしゃるという事と、当時を思い出したので、文書にしようと思ってキーを叩いている。
その前に、今年の目標としている宅建士資格試験の過去問の回答をお伝えしよう。
問 甲県知事登録を受けている者が、甲県から乙県に住所を変更した場合は、宅地建物取引士証の交付を受けていなくても、甲県知事に対して、遅滞なく住所の変更の登録を申請しなければならない。
(出典:R元年度試験 問44-3)
上記の回答は「正しい」です。
宅地建物取引士の登録は、受験地の都道府県知事に登録を申請します。通常の場合は、所在している都道府県で受験をすることが多いと思うので、所在している都道府県知事に対して登録を申請しますが、試験に合格しただけでは宅地建物取引士にはなれないようです。
宅建士資格試験は1度合格してしまえば、生涯有効ですので、合格したからすぐに宅建士の登録申請をしなくても大丈夫のようです。
但し、宅建士になるには以下の登録や講習を受講しなければなりません。
まずは、色々な欠格事由が定められているので、その欠格事由に該当しないか、さらに2年以上の実務経験が無い場合は、国土交通大臣指定の「登録実務講習」を受講する事、さらに、資格試験合格から1年を経過している場合は、知事が指定する「法定講習」を受講することが義務づけられています。
資格試験合格1年未満であれば、知事指定の法定講習は免除されるようです。
で問題のように、甲県知事登録を受けている者が、乙県に住所を変更した場合、宅地建物取引士証の交付を受けていなくても、甲県知事に対して、遅滞なく住所変更登録の申請は行わなくてはならない事になっています。
宅建士として登録はしているので、甲県から乙県に住所が変われば、知事が把握(知事自身ではないが)しなければならないようになっているので、変更申請が必要になるようです。
宅建業界は、行政の管理がかなり厳しい業界のようで、試験でも宅建業者免許や宅建士免許については、出題数が多いようです。
◆11年前の3月11日は何をしていたか。
当時、私は52歳でした。その日は金曜日でしたので、当時の会社のスタッフと共に13時からの商談に臨んでいました。
場所は、虎の門でした。
14時30分に商談は終了し、得意先を出まして次のアポイントまでの時間つぶしで、地下にある喫茶店に入ったことを覚えています。
地下フロアはそれほど広くはなく、私は連れのスタッフと共にコーヒーを注文して、コーヒーが運ばれてきた直後に被災しました。
まず、大きく縦揺れがあり天井からぶら下がっていた照明器具が大きく揺れ、周りの客から悲鳴が上がりました。
私は、連れのスタッフに動かないように指示をして、様子を見ました。
すると、2回目の大きな揺れが始まり後ろに合った大きな非常扉の枠が軋む音がしました。
さすがにその音を聞いたときは、不安と恐怖を感じましたが、まだ外へ出ようとは思いませんでした。他の客達は我先にと階段を駆け上がって行きましたが、私と連れの2名と店のスタッフだけが残っていました。
私は、連れのスタッフに「停電になったら出よう」と伝えた事を覚えています。
そして、コーヒーをゆっくりと飲み、周りを見渡すとテーブルの上には、注文したコーヒーやケーキがそのままになっており、店のスタッフが、「もう、戻ってこないでしょかね」と言いながら、コーヒーなどを下げ始めました。
私と連れは、コーヒーをすすりながら「多分、戻ってこないでしょう」と返答したことを覚えています。
しかし、隣のテーブルにいた女性2名は、戻ってきて、テーブルに何もない事を確認して、店員に注文したコーヒーとケーキを伝えていました。
私と連れのスタッフは、その女性に地上はどうなっているかを聞いたら、とにかく人がすごく沢山いて、びっくりしたと言われました。
暫くその喫茶店で時間をつぶし、地上へ上がってびっくりした事は、沢山の人がヘルメットをかぶって道路に出ていた事でした。
軽い余震が何度かあり、その都度、電線が揺れ悲鳴が上がりました。
◆虎の門から銀座まで歩いた
何故か地下鉄に乗ることもせず、虎の門から銀座まで連れのスタッフと一緒に歩きました。
道路には車が走っておらず、多くの人がビルから出てきていました。
私は、なんでこんなに大騒ぎをしているのだろうと、不思議に思いました。
連れのスタッフは、最近子供が生まれたばかりで自宅が気になったようで、すぐに自宅へ電話をしていました。
運よく、電話は通じ家族の無事は確認出来ました。私も自宅へ電話をしようとしたのですが、その後すぐに電話が出来ない状態になってしまいました。
仕方がないので、次の訪問を予定していた客先に訪問するため、銀座まで歩きました。
しかし、あの地震の後ですので、まともに商談が出来る訳もなく、安否確認みたいになってしまい、10分位で得意先を出ることになったことを覚えています。
私と連れのスタッフは、会社へ戻ることもせず、また原宿にあるオフィスへ向かう事もせず、有楽町へ向かったのです。
電車が動いていない事は、予想できました。
◆この後が本当の被災体験
とにかく現状を理解しようと思い、丸の内にあるビルのエントランスに入ってみました。そこには、テレビがあったことを覚えていたので、何か情報が得られるのではと思ったのです。
そこで、目にしたのが東北と茨城の津波の映像でした。船が津波で押し流され建物がつぶされていく映像でした。
私と連れのスタッフは、何が起こっているのかが理解できませんでした。
その時は、あんな悲惨な状況になっていることが解らなかったのです。
大きな地震が来て、電車が止まりパニックになっている程度にしか考えていませんでした。
電車も7時頃には動き出すだろうと思っていたのです。
◆まずは腹ごしらえ
時間を確認したら5時頃だったので、電車が動くまでは時間がかかるだろうし、外をうろついても仕方ないと思い、連れのスタッフに「ご飯を食べよう」と伝えました。
連れのスタッフは、若干躊躇した事を覚えています。
ご飯を食べるなら、早く駅へ行って電車の動くのを待っていたかったようでした。
しかし、私の判断は当たっていました。私達は、有楽町駅の近くにあるうどん専門店へ入りました。まだ、営業しており客の数もそれほど多くありませんでした。
うどん定食を注文し、1時間位のんびりと過ごしてから店を出た事を覚えています。
すぐに駅へ向かいました。
その時は意識していなかったのですが、私たちは有楽町へ来て正しかったのです。
有楽町は、JR線、都営地下鉄、市営地下鉄の駅があり、交通会館もあるので情報が得られやすかったのです。
◆交通会館で待機
7時を過ぎた頃に、レンタカーショップを訪れたのですが、すでに車は1台もありませんでした。レンタカーで帰る計画は実行できませんでした。しかし、レンタカーを借りずに良かったのです。もし、レンタカーを借りていたら、自宅へ到着するまで何時間、自動車の中に閉じ込められたか解りません。
我々は、交通会館で待機することに決めました。多くの人が交通会館の1階にあふれていました。
我々は、地下2階の階段の踊り場に陣取りました。連れのスタッフに段ボール置き場を探して、段ボールを持ってくるように指示をしました。
何故、こんな知恵があったのか私にも解りません。連れのスタッフも不思議そうでした。
彼は、段ボールを何枚か持ってきて、踊り場に敷き詰めてくれました。また、新聞紙も見つけてきてくれたので、体に巻きつけました。地下の踊り場を選んだのは、外気が入りにくい事と、人がいない事を考えたからです。交通会館を選んだのは、情報が取りやすいかと思ったからです。
お蔭で、それほど寒い思いもせず、快適とは言えませんが、何とか時間を過ごすことができました。
◆館内放送で電車の運行を知る
今夜は、朝までこの場所で過ごすことになるだろうと覚悟を決めた時、11時頃だったでしょうか。有楽町線は運転を再開するとアナウスが流れ、連れのスタッフの自宅が清瀬の方だったので、帰れることになったのです。
彼は、私を置いて帰ることに躊躇したようですが、子供も生まれたばかりで奥さんも不安だろうから、すぐに帰るように指示をして帰しました。
ここでも、交通会館を選んだメリットが得られたわけです。
私は、仮眠を取りながら朝まで交通会館の踊り場で過ごし、6時頃に丸の内線が動きだした情報と、小田急線が動きだし情報を得たので、丸の内線で新宿まで移動し小田急線各駅停車で約1時間を費やして、9時頃に自宅へ帰ることができました。
◆11年が過ぎて
あの日から11年の歳月が過ぎ、私自身は定年を迎え、今は約1時間かけて職場へ向かっています。
私の震災経験は、東北の方や当日の夜に徒歩で帰られた方に比べれば恵まれていました。
自分でも、何故あんなに冷静に行動が出来たのかは解りません。
地震についての知識が無かったので、必要以上に恐れなかった事や、あまり深く考えなかった事が良かったのかもしれない。
知り合いに言わせれば、私は災害では死なないタイプだそうだ。
ま、それもいいのかもしれません。
さて、だいぶ長くなってしまったが、今週の過去問を出題することにしましょう。
問 宅地建物取引士は、従事先として登録している宅地建物取引業者の事務所の所在地に変更があったときは、登録を受けている都道府県知事に変更の登録を申請しなければならない。
(出題:R2年度10月試験 問34-3)
今回も、最後までご拝読を頂き有難うございました。
では、また来週。
追伸
先週のブログでウクライナ紛争(戦争)の件を書きました。その後1週間が過ぎましたが、いまだ終息は出来ず、沢山の方が辛い思いをしています。
小さな子供たちが犠牲になり命を落としています。何の罪もない子供たちが、一人の独裁者により殺されているのです。
人を殺したいと思わない人が、銃を持って人を殺さなければいけないのです。
何故なのでしょう。
私にに出来ることは、一日も早く戦争が終わり、尊い命を落とす人が一人でも少なくなり、悲しむ人が一人でも減り、ウクライナの方にもロシアの方にも、そして、世界中の方が笑顔でいられることを祈るだけです。
このブログを読まれた方にお願いがあります。
このウクライナ戦争が、一日も早く終わることを祈ってください。
そして、こんな無駄な殺し合いが無くなることを願ってください。