高齢者の悩み・不安

お早うございます。

 

今日は2月25日の日曜日。

時間は3時45分。

寒い朝です。

月曜日には、気温が20℃とこの時期にはあり得ない気温でしたが、週末は最高気温が5℃と、真冬に戻ってしまいました。

高齢者にはこの気温の乱高下は辛いです。

 

今日は、高齢者の悩みや不安を考えてみようかなと思います。

私自身も今年の誕生日で66歳になります。

が、高齢者という実感はありません。

しかし、周りからみれば立派な高齢者なんだと思います。

現代の高齢者は若い。見た目も若い方が沢山いらっしゃいます。

しかし、高齢者には高齢者の悩みや不安があるものです。

私もあります。

私は悩みについてはあまり意識していませんが、不安はあります。

私の不安は健康問題です。

昨年の健康診断で、血圧が若干、高かったのです。

まあ、年齢が嵩めば血管も固くなりますから、やむを得ないのですが、何とか通常値まで戻したいと思っています。

さらに、腸が弱くて、すぐに下痢をしてしまいます。毎朝、軽い腹痛と何度かトイレに行くという症状がありました。

あれ、これって悩みですね。

で、症状が悪化しないように、食生活には気を使っています。

まず、毎日、リンゴ酢とはちみつの飲料を作って飲んでいます。

コーヒーカップ程度のカップに、リンゴ酢を大匙1杯、はちみつも大匙1杯を、今はお湯で混ぜて飲んでいます。

夏場は炭酸水で飲んでいます。

効果は解りません。なぜなら最近、血圧を測定していないからです。

なので、気休めかもしれません。

さらに、お菓子を食べることを止めました。

100%ではないのですが、極力食べないようにしています。

しかし、どうしても食べたい時は、ビスケット1枚ほどを、1日1回だけ食べるようにしています。

以前は、欲しく成ったら食べていました。

特にお休みで自宅にいる時に食べていたので、動かないで高カロリーを摂取していたのです。

さらに、休日の夕飯は食べないようにしました。

休日は自宅に居て、絵を描いたり読書をして過ごすので、体を動かしません。

最近は、5,000歩程度は歩くようにするため、散歩に出ることを意識しています。

しかし、休日の夕飯は取らないようにしています。

これを始めた時、妻にはかなり叱られました。

が、今は納得したのか諦めたのか、何も言わずに一人で夕飯を食べています。

 

さらに乳製品の摂取を止めました。

以前は、朝食にヨーグルト(自家製)を取り、カフェオレを飲んでいたのですが、これも止めました。

そのせいでしょうか、下痢の頻度はだいぶ改善されました。

全く無くなった訳ではありませんが、だいぶ減りました。

で、体調が悪いと感じた時は下痢をするという事も解るようになりました。

だるくて眠気が襲う日の翌日は、軽い腹痛と下痢が起こります。

自分の身体の変化が意識できるようになったのです。

なので、私の悩みと不安は、健康が殆どです。

 

「高齢者の悩み」とググると、沢山のサイトが検索できます。

1位は「認知症の恐怖」でした。

認知症は、自分で気づかないうちに進行してしまう病です。

「物忘れがひどくなる」という症状が発生すると言われますが、高齢になればある程度は物忘れが起こるものです。

私が思うには、まず「認知症」という病をしっかりと学習することが大事ではないかです。

いたずらに不安がっても何も解決しません。

しっかりと、「認知症」を学べば対策も立てられます。

認知症」は完治する病ではありません。

さらに、誰でも罹患する病です。

何故なら、加齢により脳内に起こる病だからです。

症状には個人差があり、若い時期から発声する「若年性認知症」は、テレビでも取り上げられています。

治らない病ではありますが、発症を遅らせることや発症してからも症状の進行を進ませないような対策はあります。

発祥を遅らせるのも、進行を遅らせるのも、意識して脳を使う事です。

指先を使った作業をするとか、運動を意識してするとか、大事なのは生活習慣の改善です。

食生活を意識して、カロリーの摂取を抑え、飲酒や喫煙を減らす。出来れば辞める。

夜更かしをしない。

脳にとって睡眠不足は大敵です。

若いうちは、短時間の睡眠でも脳は代謝作用が出来ましたが、加齢が進むと脳の活性が衰えてきます。

すると、脳内にタンパク質のゴミが溜まり、認知症を発症するリスクが上がってしまうのです。

また、高齢化すると生活がマンネリ化してしまい、毎日同じことの繰り返しになります。

特に定年になって、会社に行くこともなくなり、自宅で過ごす時間が増えると、刺激が無くなり、脳は退化を始めてしまいます。

この現象が「認知症」の発症を促す事もあるそうです。

出来るだけ、脳に刺激を与えるように心掛け、外出をしたり、考える時間を作ってみたり、または文書を書くとか、絵を描くとか、DIYが好きな方は工作をしてみるなんて行動も認知症の発症を遅らせることに繋がります。

まずは、「認知症」を理解して正しい知識を得て、いたずらに不安がらないようにする事です。

 

2位は「介護問題」だそうです。

この「介護問題」は自分の事なのか、両親の事なのかが解りません。

しかし、どちらも重大な問題です。

私の場合は両親はすでに他界しているので、親の介護の心配はありません。

自分の問題だけです。確かに自分自身が介護される身になったらと思うと不安になります。

医療が進歩して簡単に死ねない時代になりました。

心臓が停止するまでは、例え脳が死んでいても、死ぬことが出来ない。

ならば、私が出来ることは「植物人間になり、意識が無くなった場合、延命措置はせずに自然に心肺停止にして欲しい」と言うメッセージを残すことだと思っています。

しかし、意識があるのに身体機能が衰えてしまう「寝たきり」になった場合は、どうすればいいのかは考えました。

しかし、私が小さかった頃は、寝たきり老人なんてものはありませんでした。

いや、居たのかも知れません。

ですが、現代のように寝たきりで10年も過ごす事は無かったのではないでしょうか。

身体に管を入れられ、流動食や点滴による蘇生で生きながらえるのであれば、自然死を望みたいです。

それでも介護は必要になるでしょう。

しかし、最小限の負担で済むような措置を希望します。

そのためには、出来るだけ健康寿命を長くする事です。

話が変わりますが、昨年の2月7日に愛犬が天国に旅立ちました。

16年7か月の生涯でした。

あの子は、亡くなる2日前まで元気だったのです。

2日前の朝に急に具合が悪くなり、2日後には天国へ旅立ってしまったのです。

なんて、家族想いの子だったのでしょう。

寝込む事もなく、たった2日で逝ってしまったのです。

今でも思い出すと涙があふれますが、でも、最後まで一所懸命に生きようとしていた。

最後は眠るように旅立ちました。

私も、そんな風にこの世とお別れがしたいと思いました。

最小限の介護で安らかに旅立つ。

「ああ、やっと死んだよ」なんて言われない死に方をしたいと思います。

そのためには、出来るだけ健康でいて、延命措置はせず、自然に死を迎える措置ができるように、自分でも意識し家族にも伝えることが大事なのかと思っています。

 

私なりの対応の仕方を記してみました。

このブログは、私自身の思いを綴るブログです。

自分が今、考えていることを記すために書いているブログです。

 

雪の中に咲くマリーゴールドを描いてみました。寒さに負けずに一生懸命に花を咲かす姿に感動しました。

 

趣味について語る

お早うございます。

 

今日は2月18日の日曜日です。

時間は4時。

 

今日は、自分の趣味についての思いを記してみようと思います。

趣味とはなんでしょう。

私の思う趣味とは、その事や物に対して費やす時間は気にならず、また没頭することの出来る事柄ではなかと思っています。

例えば、私の場合は「絵を描く事」、「経済小説を読むこと」、「芝居をやる事」が挙げられます。

さらに「ブログの原稿を書くこと」も挙げられます。

 

これらに事をやることは、私に負担になりません。

許されるなら、時間を気にせずに没頭することが出来ます。

しかし、体力的問題とか、集中力の継続が年齢とともに短くなってきているのは否めません。

ですが、これらの事をやりたいと思ったら、夜中であろうが、朝方であろうが始めることが出来ます。

そして、やっている間は脳内ホルモンのアドレナリンが分泌されているため、とても楽しく幸せでいられます。

これが趣味なのかも知れません。

 

他人から見れば、おかしな事でも本人が楽しく、時間を忘れて没頭することが出来れば、それが趣味だと思います。

 

話は突然変わりますが、私はテレビ東京の「なんでも鑑定団」という番組を好んで視聴しています。

テレビ東京の看板番組ですよね。

一般の方の趣味であるコレクションをスタジオに持ち込んで、または会場に持ち込んで専門家に鑑定をしてもらい、金額を査定してもらう番組です。

私がこの番組が好きなのは、コレクションを持ち込む参加者が、とても楽しそうにしているからです。

自分が集めたコレクションに自信を持っており、家族や知人から何を言われようと気にせずに集めて、そのコレクションを愛おしそうに眺めている時間を至福の時と思っている。

周りにいる方から見れば、「なんでそんなに集めなければならないのか」「お金と時間と場所の無駄使いをしているだけではないのか」と思っているのでしょうが、本人が幸せそうにコレクションを眺めている姿を見たり、聞きたくもないけど、コレクションの話を楽しそうに語る姿を見て、呆れながらも許してしまい、幸せのお裾分けを貰っている(いや、本当に迷惑している方もいるかも知れませんが)のではないでしょうか。

 

番組では、持ち込まれたコレクションを鑑定して、そのコレクションの価値を査定するのですが、高額が付けば本当に喜び、判定の結果が芳しくなくて落胆しても、コレクションを辞める方は少ないのではないでしょうか。

(投資目的で物品を集めている方は趣味とは言えません)

そのような点からあの番組を視聴すると、とても素晴らしい番組だと思います。

なかなか、あの番組に出演されるコレクターのように時間とお金をつぎ込むことは出来ませんからね。

 

話を元へ戻しましょう。

定年前の私は、趣味を聞かれるのが嫌でした。

私は無趣味だと思っていましたし、趣味など持つほど時間とお金に余裕がありませんでした。

とは言え、仕事以外に何もしなかった訳ではなかったのです。

例えば、30年程前にレンタルビデオ店が出来始めた頃、ビデオデッキを購入して映画のビデオを借りて、ダビングして楽しんだこともありました。

ビデオデッキを2台購入して、1台を再生専用にし、もう1台を録画専用としてダビングを楽しんでいました。

当時は1泊2日でレンタル料が500円もしたので、ゆっくりと映画を鑑賞するにはダビングして時間のある時に観るようにしていたのです。

ビデオのストックもその時は100タイトル位持っていました。

しかし、この趣味はダビング防止の信号が入るようになって出来なくなってしまったのです。

当時のビデオテープは全て処分してしまいました。

今となっては懐かしい思い出ですし、いまどきビデオテープなんて言っても解らない方も沢山いるでしょうね。

コレクションは、時代が変化しても価値(金額だけでなく、その物の持っている用途等)が変わらない物でないと、ゴミになってしまう事を知りました。

 

その点では書籍はいいですね。購入して読み終えても、時間が経った後にまた読むことが出来ます。

そして、最初に読んだ時とは違った気付きがあったり、なんでこの本を購入したのかと、購入した時を思い返すことが出来ます。

ですので、読書は永遠の趣味と言えるのかも知れません。

自分の好みの作家の作品や、ジャンルの小説を購入するのは楽しいでしょうし、本屋さんで探していると時間を忘れてしまいます。

勿論、読んでいる時は時間を意識せず、書籍の文字に没頭してしまいます。

だから、私にとって読書は趣味といえると思いました。

しかし、現役で働いている時は、ビジネス書が中心となり、資格試験の参考書や業界関連の書籍、職種に役立つ書籍を購入する事が多く、読書も仕事になってしまっていました。

定年になって、その手の書籍は不要と思い処分しようとまとめてみましたが、手放す気にはなれず、部屋に隅に積んであります。

多分、もう読むこともないと思いますが、自分の過去を処分するような気がして処分できません。

この手の書籍も時間が経過すると情報が陳腐化して役に立たなくなるのですが、それでも捨てることができません。

しかし、見かたを変えれば、当時はこんな事が話題となり、こんな考えがあったという資料的な価値は残るかも知れませんね。

芝居は現役の頃から始めていました。

ある方にお誘いで始めたのですが、その劇団はホームにしている劇場も確保している劇団で、ノンプロ劇団として活動をしていたのです。

私はサラリーマンでしたが、団員の中には、大手企業に勤めている方もいたので、抵抗なく芝居活動をすることが出来ました。

芝居の稽古は週末(土曜日と日曜日)で、朝から夕方まで行われ、公演が近づくと平日の夜も稽古になりました。

普通に考えたら、こんなことも出来ませんよね。

会社の業務が終わって、7時頃から10時位まで稽古をするのですから、さらに土日は、毎週稽古になるのです。

自分の時間が全くなくなりました。

でも、楽しかったのを覚えています。

お金を頂いて芝居を見て頂くのですから、中途半端は芝居は出来ません。

全員が真剣に芝居と向き合っていました。

団員の中には、テレビに出演できるようになった人もいますし、現在ではかなり有名になった方もいます。

でも、当時はお金に困っていて、みんなでご飯を食べに行くとき、お金がないからいけないというほどでした。

何度かご馳走したことがあります。

ここまで来ると、趣味とは言えなくなってしまい、3年位活動をしていたのですが辞めてしまいました。

確かに時間を忘れる位に没頭することも出来たし、とても充実した時間を過ごすことも出来ました。

しかし、半数位の団員は演劇で食べていきたいと思っている劇団でしたので、私のような趣味の延長の人間がいる場所ではないと判断して辞めたのです。

ですが、この経験は忘れる事が出来ず、現在は趣味で集まった地元の劇団に所属して芝居を楽しんでいます。

芝居の醍醐味は、稽古は地味で辛いのですが観客が入って舞台に立ち、拍手を貰うとすべての辛さが忘れられて、とても幸せな気持ちになるし、一緒に稽古してきた団員との絆が嬉しいのです。

稽古の時は、お互い厳しい批評をし合い嫌味も言われますが、それも観客にみっともない芝居を見せたくないという思いから出る言葉なので、公演が終わるとみんなが素晴らしい表情になるのです。

この感動が忘れられなくて、また始めてしまいました。

今度の劇団はボランティアが活動のメインなので、お金を頂いてみて頂く事はありません。

でも、手を抜くことなく芝居と向き合っていますし、観客は老人ホームや小学校等への出張公演が中心なので、観客との距離が近くてストレートに芝居の評価を頂くことが出来ます。

面白かった時は観客が笑顔になり、ちょっとでもつまらないと笑顔はありません。

だから、例えボランティアで無料と言っても、演目に手を抜くことは出来ないのです。

自分への見返りは観客の笑顔だけです。

時間も運営経費も団員の自腹です。

でも、辞めることは出来ません。これも趣味なのです。

 

ネットニュースで、40代から50代で趣味がないと言われる方が沢山いると書かれていました。

しかし、自分が気づかないだけで、何かしらの趣味はあると思います。

つい、同じものを買って食べてしまうのも、趣味かも知れません。

韓流ドラマを観てしまう。お休みの日は洋服を購入するためにショッピングに行ってしまう。雑誌で見つけたレストランに行って食べてしまう。

これらも趣味と言えるのではないでしょうか。

それから、面白そうなブログを探して、ネットの中をうろつきまわるのも立派な趣味ですよね。

 

趣味は自分が心地よくなれて、時間すら忘れて没頭出来ればいいのではないでしょうか。

 

例え誰かに自慢できなくても。

 

薔薇です。ずっと薔薇を描いています。水彩画で薔薇の花を描くことが出来るのは、とても幸せです。まだまだ未熟ですが少しでも薔薇が輝いているように描けるように努力します。

 

定年退職後の就労について

おはようございます。

 

今日は2月11日の日曜日。建国記念の日です。

時間は3時40分。

 

私は61歳で職を辞して定年を迎えました。

当初の予定では、65歳までは雇用延長制度を使い就業する予定でした。

しかし、あのコロナ禍により会社は開店休業のような状態になり売上は激減。

先行きが見えない状態になり、急きょリストラと言う首切りをはじめたのです。

私のような60歳を過ぎている従業員だけでなく、30代でも成績が芳しくない従業員はリストラの対象となっていました。

 

その時は65歳までは、その会社で働くつもりでいたので、解雇されることに対して不満を抱きました。

何とか解雇を免れる術は無いかと策を講じましたが、その甲斐もなく解雇をされてしまいました。

と言うより、最終的には会社の指示に応じたというのが、正しい表現です。

何故なら、どうしても辞めたくなければ、もっと真剣に会社に訴えるべきだったのですが、それは止めて、職を辞することを選択したのは私だからです。

 

6月30日まで、その会社で勤務をしたのですが、当時は在宅勤務でしたので、週1回のペースで会社に出向き、後の4日は自宅に居ながら、メール対応でクライアントからの注文を確認し、発注作業を行い、運送会社に納品を依頼するという業務でした。

ですので、退職前1週間だけ毎日出勤して身辺整理をして、挨拶もなく会社を辞したのです。

まさに世界中が、コロナ禍という大きな災いで身動きが取れなくなり、どのように対処していいか解らない時期でした。

 

今、思えば、あの時退職をしたのは、ベストな判断だったと思っています。

なぜなら、その時私は61歳でしたので、次の職を探すのがそれほど難しくなかったのです。

 

私は、雇用延長が終了しても働こうと思っていました。

健康でいる間は、働いていたいと思っていたのです。

その思いは、お金だけではなく、地域で働くことにより自分の生きがいを見つけてみたいと思っていたのです。

40年間、自宅とは全く関係の無い土地で働いてきました。

自宅には土曜日と日曜日しか居なくて、それも殆ど近所付き合いもない状態でした。

朝早くに家を出て、夜遅くに帰宅する毎日でしたので、仕方ありませんでした。

1日4時間の通勤時間でした。

1年で約800時間(月20日を通勤したとして計算しました)は通勤に使っていたのです。

なんと勿体ない時間の使い方だったのかと、今になって思います。

しかし、食べていくためには、やむを得なかったのです。

会社のそばに住むという選択は、会社の立地上、考えられませんでした。

私は、緑があって土が無い所に住みたいとは思わなかったのです。

 

そんな訳で、退職後は自宅から30分以内のところで働ける場所を探そうと思っていました。

労働時間は、週5日程度で9時から17時までのフルタイムを希望したのです。

以前も書きましたが、社会保険に加入したかったからです。

どこかの組織に所属すれば、社会保険に加入できますから、組織指定の保険組合に加入できるので、健康保険料が会社と折半になります。フリーでいれば国民健康保険に加入しなければなりませんが、その費用はかなり高額です。

さらに、70歳までは厚生年金にも加入しますので、老齢年金が支給額を増やすことが出来ます。

このメリットはかなり大きいです。

 

幸い、シニアの求人は色々な職があり、自分に合った職を探すのに不便は感じませんでした。

しかし、長年就いていた職は敢えて除外し田のです。

妻は、同じ職を探せばいいのではと言っていましたが、定年後の職は全く違ったジャンルに就きたかったのです。

その職を見つけるまでには、何度か職を変えましたが、今は自分の理想とする職と職場環境を得ることが出来ました。

 

この前、ネットニュースで「定年後の職探し」というタイトルの記事があったので、読んでみました。

60歳から65歳までは、多くの方が働いているようです。

しかし、職を得ることに誤解や抵抗を持たれている方もいるとも書いてありました。

定年後も、定年前のように責任のある職に就くとか、自分の地位や権限を重視するという考えを持たれる方がいるそうです。

その思いから、定年後に職に就くことを躊躇してしまうのだそうです。

私は、その考え方を否定するつもりはありません。

しかし、私の考えは全く反対でした。

敢えて、畑違いのジャンルの職を探すことから始めたのです。

つまり、年は取っているが経験もなく、全くのど素人なので、責任のあるポジションではなく、雑用をこなすような職を選びたかったのです。

言われた事だけをこなす。時間になったらさっさと退社する。

勤務時間以外は、職場の事は考えなくていい。

これも職探しの条件にしました。

でも、今働いている職場でも、現役社員に対して、ついアドバイスをしてしまう事があります。本当は見ないふりをしてしまうのがベストなんですが、つい年寄りのおせっかいが出てしまいます。(これはいけません。煙ったがれるだけです)

そこまで、責任分担を割り切って仕事が出来れば気楽に仕事ができます。

定年後は、気楽に長く働くことがベストです。

出来るだけ自分の時間を作り、好きな事に時間を充てる。

仕事はあくまでもサブ的要素として考え、時間をうまく使ってマネタイズして、収入を得る。

 

以前に、夕方のテレビニュースの特集で、「年金を幾ら貰っていますか」という番組があり、興味があったので見てみました。

多くの方が年金支給額が少ないと訴えていました。

しかし、私が気になったのは年齢が高齢化すると働く場所が無くなるという事でした。

年齢が高齢になったというだけで、健康なのに働く場所が無い。採用されない。

企業は年齢というフィルターで、採用をしなくなるのです。

この現象は致し方ない事です。

いつまでも、高齢者が幅を利かせていては、若年層の雇用が出来なくなることもあるでしょう。

幾ら給料が安いからと言って、高齢者の労働力に頼っていては、会社は存続できなくなると思います。

やはり、若年層を採用して教育をし、人材として育てなければなりません。

 

だから、80歳以降からが本当にお金が無ければ生活が出来なくなるんだと痛感しました。

であれば、75歳まで働けるのであれば働こうと思いました。

本当に悠々自適な老後生活を送るのは80歳過ぎからでいいかなって。

もし、その前に病気になり働けなくなったら、その時は仕方がありません。

出来るだけ健康に気を使って、健康を維持するだけです。

経済的に余裕があれば、老齢年金の繰下げ制度を使い、70歳以降の老齢年金の支給額を増やしたかったのですが、この物価高ではそんな余裕もなくなりました。

これも致し方ないこと。

自分がコントロール出来ない事を悔やんでも仕方ないので、その時の状況で計画は変更していかなければなりません。

定年後はこのように、絶えず状況を判断して、自分のライフプランを検討し修正をしていくことも大事です。

とにかく、しなやかに生きて自分のやりたいことを出来るだけ我慢せずにやることが定年後の人生の楽しさではないでしょうか。

 

昨年末は、沢山の薔薇を描きました。薔薇は描写が難しいのですが、その難しさが魅力になりました。また、描いた絵をプレゼントするにも薔薇の絵は適しています。なぜなら薔薇の花が嫌いな方は少ないからです。

 

1日、1万歩が目標

お早うございます。

 

今日は2月4日の日曜日です。

時間は4時10分です。

 

昨日は節分でした。

私の小さい頃は、節分の夕方は豆まきをしたのですが、最近は「鬼は外、福は内」なんて声は聞こえなくなりました。

多分、「昔はこんな習慣があったのです。」なんて、学校でも伝える程度になってしまうのでしょうね。

昨日、テレビの番組で放映されていたんですが、最近の童話(桃太郎やサルカニ合戦等)は、私が小さい時に読んだ内容と違っているようですね。

私の小さい頃の結末は、桃太郎が鬼をやっつけて、鬼が持っていた宝物を持ちかえるのですが、現在は桃太郎が大声を出して、鬼を脅かして怖がらせた後で、みんなでご飯を食べて仲直りをするそうですね。

さるかに合戦も、カニやみんなが大切に育てた柿の実をサルが食べて、カニに柿の実をぶつけカニを殺してしまうのですが、現在ではカニは怪我をしますが死なずに皆に介抱され、サルもウスの下敷きになって殺されるのが、カニやウスから説得されて、自分のした事を反省し、最後はみんなでご飯を食べて仲直りをするとなっているようです。

時代は物語の内容まで変えてしまうのですね。

という事は、私が小さい時に読んだ桃太郎やさるかに合戦などの童話も、江戸や明治の時代とは違っていたかも知れませんね。

 

さて、本題ですが私は毎日1万歩を歩くように心掛けています。

とは言っても、意識して歩いている訳ではなく、お仕事をしているので、1万歩は歩いてしまうのですが。

歩くのは健康に良い効果があると、何かに書いてあったし、多くに方が言っているので歩くことを意識しています。

確かに、私はお休みの時に1日中お家にいると、体調を崩します。

まず下痢になります。

何で下痢になるのかは解りません。

なので、年末年始は1月3日に体調を崩しました。

身体がだるくなり、朝から下痢が始まってしまったのです。

1月1日と2日は出掛ける事もなく、1日中家から出ませんでした。

1日の歩数は500歩程度ですから、殆ど歩いていなかったのです。

2日には食欲もなくなってきて、食事も残すようになってしまいました。

これではいけないと思い、3日は体調が優れないのでしたが、敢えて外へ出て散歩がてら、中古本のお店まで出掛けました。

お蔭で4日はお仕事でしたが、体調も完璧ではなかったけど、問題なくお仕事が出来るまでになっていました。

毎日1万歩以上あるいている人間が、3日も歩かないと体がおかしくなってしまうのですね。

私の場合は、内臓の調子が悪くなり下痢を起こすのだと思います。

だけど、日曜日は歩数が減ります。用事もないし寒いし、どうしても出不精になってしまうのです。

お休みの日は、お家で絵を描いたり本を読んだり、録画しておいたテレビのドラマを観たりして過ごしてしまうので、運動不足になってしまうのです。

テレビを観ながら筋肉ストレッチの器具を使っている方もいると思いますが、私は駄目ですね。

なので、体調も崩してしまうのでしょうね。

 

しかし、最近の報道によると私の年齢ですと1日1万歩は歩かなくてもいいらしいですね。

歩数は年齢によって違ってくるそうです。

例えば50代であれば1万5千歩、60代前半は8千から1万歩、60代後半で7千歩。70代では5千歩程度となっていました。

 

また、60代以降では、1日5千歩を歩く人と歩かない人では、健康寿命が大きく変化するそうです。

しかし、7千歩から8千歩以上を歩いても、健康寿命や長生きには変化が無かったそうです。

つまり、前期高齢者や後期高齢者は1日7千歩程度歩けば健康でいられる(基礎疾患などが無い場合)との事。無理して沢山歩く必要はないとの事です。

無理して1万歩以上を歩いたりすると、膝関節を痛めたりと、他のところに支障をきたす恐れがあるとも書かれていました。

また、だらだらと歩いても効果がないとも書かれていましたが、この点も無理して速足で歩くことは逆効果になるともありました。

まずは、自分のペースで歩いてみて、息切れや膝や腰などの痛みや、動悸などの症状が無ければ、徐々に速度を速めていくようにする方が良いそうです。

無理して速足で沢山歩くのではなく、自分のペースで無理のない歩数を歩く事が健康にいいそうです。

 

また、寒い日や雨の日などは無理して外出せず、お家にいても意識して歩けば大丈夫とも書いてありました。

例えば、部屋の中を歩いたり、階段を上り降りしてもいいでしょう。

マンションの方は、用事は無くても、共有廊下を歩いてみたり、エレベータを使わずに階段を上り下りするのもいいのではないでしょうか。

最初は誰かに会うと気まずいかもしれませんが、挨拶をし、軽く世間話で「軽い運動です」と言えば相手も不審に思わないでしょう。

工夫次第では、1日5千歩は軽くクリアできますよ。

私の場合は平日は軽く1万歩をクリアできるのですが、休日の歩数をどうやって確保するかが課題でしたが、晴れている場合は30分位散歩に出て、中古本のお店やスーパーを覗いています。

しかし、この行動の欠点は欲しい物があると購入してしまう事なんで、出来るだけお金を持って出ないようにしています。

お店としては迷惑な客ですよね。

話が支離滅裂になりましたが、定年を迎えて毎日通っていた会社へ出勤することもなくなると、どうしても家に引きこもりがちになります。

すると、運動不足になり体調を崩しやすくなります。

だから、意識して歩くことを考え外出をすることが大事です。

歩き過ぎず、毎日、7千歩位を目標にして歩くこと。

健康だけでなく、近所の方とのコミュニケーションにもなりますし、続けて行こうと思っています。

 

特に男性は、定年を迎えると地域とのつながりが無いので出不精になります。

意識して散歩を楽しみましょう。

 

薔薇の花をこんなに真剣に見たことはありませんでした。というか私の生活の中に薔薇の花は、あまり存在しませんでした。でも、絵を描くようになって薔薇の花の美しさを知ることが出来ました。

 

私がブログや水彩画を始めた理由

お早うございます。

 

今日は1月28日の日曜日です。

時間は3時40分。

寒いです。暖冬と言われていますけど、やっぱり寒いですね。

寒いのも嫌なんですけど、空気が乾燥していて辛いです。

私は鼻孔粘膜が弱いみたいで、空気が乾燥すると鼻血がでてしまうのです。粘膜が乾燥してしまい、裂けてしまうようです。

この鼻血が、びっくりするほど出るんです。

いきなり、鼻から真っ赤な血が流れ出すんです。

慌ててティッシュで押さえないと、手は真っ赤になるし、床にまで垂れてしまうんです。

鼻にティッシュを当てながら洗面所へ行って、鼻をつまんで止血をするんですが、その間も血が止まらないと、鼻から口元に血が流れ、洗面台が血で真っ赤になってしまうんです。

もう、修羅場ですよ。

血が止まったら顔と手を洗うんですが、流れる水が真っ赤なんで、まるでリストカットをしたような洗面所になってしまいます。

鼻の中の毛細血管が裂けるので、出血の量が多いのでしょうね。

今は慣れましたが、初めて鼻血が出た時は驚きました。

「このまま。血が止まらなかった、どうしよう」って真剣に考えましたよ(笑)

ですので、毎朝、顔を洗った後に綿棒でメンソレータムを鼻の中に塗っています。

とてもじゃないですが、他人様に見せられることではありません。

とまあ、乾燥によるお恥ずかしいお話でした。

 

さて本題ですが、私がブログを書き始めた理由なんですが、以前にも書いたと思うのですが、定年を迎えて自分自身を振り返ったときに、自分が生きているという足跡を残したいと思ったのがキッカケです。

40年の歳月をなにがしかの組織に在籍して、生活費を得る為に時間を費やしてきました。

勿論、自分が選んだ職業を全うするという自意識もありましたが、結果は自分の為と言いつつ、組織の為(もっとカッコよくいえば、クライアントへの貢献)に日々の時間を費やしてきたのです。

そして、知識や知恵を貯え社会貢献をしてきたとも言えるでしょう。

なので、60年も頑張って生きてきた自分の生涯を描き残したいと思ったのが始まりでした。

 

私という人間が、この広い地球の中で一生懸命にもがきながら、日々を過ごしてきたことを書きとめて置こうと思ったのです。

なので、このブログは何かの役に立つブログではないでしょう。

 

ですよね。鼻孔が乾燥して鼻血がでるので、メンソレータムを綿棒で塗っているなんて文章を読んでも、何の参考にもなりませんよ。

 

でも、毎週の土曜日か日曜日にこうやってパソコンに向かい文章を入力する事や、水彩画を描いてブログにアップすることを、自分の中の約束として続けている事は、大変ですがとてもいいことのように思っています。

何故なら、昨日も80歳のご婦人とお話をしたのですけど、その方も「毎日5,000歩は歩くようにしている」と仰っていました。

高齢になると、どうしても出掛けるのが億劫になり、自宅に籠りがちになるそうです。

すると、なんでも手が届くところで済ませることが出来るようにしてしまい、ますます体を動かさなくなってしまうと言ってました。

その方は、そうなるのが怖いのだそうです。

しっかりと背筋を伸ばして、元気に歩くことと、人とおしゃべりをすることが自分で決めたルールだそうです。

人と会うには、お化粧もして身綺麗にしなければいけません。

背中を丸めていては、心配されてしまうそうです。

だから、背筋を伸ばしていつも笑顔で挨拶をして、おしゃべりや散歩を楽しんでいるそうです。

その方は、とても80代には見えません。

肌もみずみずしくシワのあまり目立ちません。色々な事に興味を持っており、知識も豊富です。

私も、出来るだけ歩くようにしていますし、健康でいるためには何をすればいいのかを、いつも気にしています。

お金を掛けるのではなく、自分の出来る範囲で健康を得られる情報を収集して、その情報を活かせるように生活をしています。

その一環が水彩画やブログになったのです。

文章を書くには、いつも何を書くかを考えなければならないし、パソコンのキーボードを打てば、指先の運動にもなります。

パソコンやデジタルツールは、組織に所属していた時に、習得しなければならないスキルでしたので、そのスキルが役だっていますが、続けていなければ退化します。

私はブラインドタッチで入力が出来るので、文章を入力することはストレスにはなりません。

水彩画は、色を作ったり構図を考えたりと脳に刺激を与えてくれます。

さらに、充実した時間を過ごすことも出来ます。

 

文章が上手とは言えません。

今、書いているこの文章も、内容が一貫していなく、すぐに内容が脱線してしまいます。

でも、それでもいいと思っています。

問題は続けるということです。

下手でも書き続けることで、すこしづつ上達していけると思いますし、上達しなくても続けることが大事だと思っています。

 

特に水彩画は下手でもいいから、描き続けることが大事かなと思っています。

描こうとしている題材をしっかり観察する事、どんなふうに表現しようかと考えること、絵の具を題材の固有色に併せて混色することと、色んなことを考えて描いています。

毎朝、1時間位の時間を水彩画に充て、毎週の土曜日と日曜日のどちらかにブログの記事を書く時間に充てる。

そんなルーチンが、日々の励みになっているのだと思います。

60代以降は第2の人生とよく言われます。

だったら、自分のやりたいことを思いっきりやって、自分が生きていることをしっかりと残そうと思ったのが、ブログや水彩画を始めたキッカケです。

 

今回も薔薇です。もうすぐバレンタインですね。自分の大切な方に自分の気持ちを伝えるにはいい日です。でも、なぜか気恥ずかしくて素直に思いを伝えることが出来ません。本当は「有難う。いつもそばに居てくれて。」と伝えたいです。わが妻に。

 

水彩画を書き続けて

こんばんは。

 

今日は1月20日の土曜日です。

時間は午後6時です。

今日は、冷たい雨が降る一日でした。

明日も雨だそうです。

1月も下旬になりました。

1月1日に起きた能登半島の震災から20日が過ぎましたが、いまだ行方不明の方がいるようです。

心からお見舞い申し上げます。

 

私は定年を迎え、新しい職についてから水彩画を始めました。

最初は色鉛筆画を描いていたのですが、どうしても水彩画が描きたくなり始めたのです。

最初は、どのように水彩画を描いたらいいのかも解らず、YouTubeを見て研究をしました。

水彩紙を購入するために、画材店に足を運び、財布と相談しながら用紙を選び、筆は100円ショップで面相筆を購入しました。

さすがに水彩紙は100円ショップには売っていませんが、筆は100円ショップでも販売していたので、まずは100円ショップで購入しました。

なぜなら高い筆を購入して、飽きて辞めてしまったら勿体ないと思ったからです。

しかし、今はどっぷりと水彩画にはまってしまいました。

毎朝2時半に起床して、5時頃まで描いています。

 

こんなに水彩画が楽しいと思った理由は何なんだろうと考えてみました。

私が描いているのは、主に植物です。花ですね。

散歩していて目に止まった花をスマホで撮影して、写真を見ながら絵にしているのです。

または、ライセンスフリーの画像をプリントアウトして、絵に起こしたりもしています。

そして、描いた絵はスキャンしてデジタルデータとして保存しています。

原画は、知人に差し上げています。

どちらかと言えば、押し付けていると言ったほうがいいのかもしれません。

しかし、この前、ある方に私の絵を差し上げたのですが、その方は大変気に入ってくれたようで、わざわざ飾った絵の写真を送ってくださいました。

さらに、先週お会いした時に、「頂いた絵の色がとても気に入っています。」と言って頂きました。

私の描いた絵で、そんなに喜んで頂けるとは思っていませんでしたので、とても嬉しかったです。

高齢者が老後の道楽で始めた絵で、喜んで頂けるなんて、例えそれがお世辞でも構いません。

とても、幸せな気持ちになりました。

そして、もっと上手に描けるように努力しようと思いました。

何か、小学生の作文みたいになっていますが、正直な気持ちです。

描いた絵の画像は、このブログにも貼り付けています。

毎週1枚は描き上げて、ブログに添付すると事も私が自分に課しているルーチンです。

なにかを決まった時間にやり遂げる事は、自分が生きているという実感にもなります。

 

今週も新たな絵を描き上げることが出来るように頑張ります。

 

今日も薔薇の花です。知り合いの方にプレゼントするため、複数の薔薇を描きました。今回はピンクの薔薇です。

 

NISAの現状

お早うございます。

 

今日は1月14日の日曜日。

時間は3時15分です。

早いですね。

2024年が明けて、すでに14日が過ぎました。

私は毎朝、水彩画を描いて、経済小説を読んで過ごしています。

勿論、週5日の9時から5時、土曜日は12時までは管理員の仕事を続けていますよ。

考え方はいろいろあると思いますが、私は自分の時間を効率よくマネタイズして、収益を上げることが大事だと考えています。

何回も書いていますが、定年後を充実して過ごすには、自分の体力と見合った仕事をすることは大事ではないかと思っているのです。

お仕事(特に毎日、同じ時間に働く)は、規則正しい生活をさせてくれますので、健康管理にも役立ちます。

さらに、自分が社会の一員として貢献しているという充実感も得られます。

働いていますから、休日はしっかりと自分の時間と考え、だらだらと時間を無駄使いすることなく、過ごすこともできるのです。

 

そして、今日の本題ですが働いて得たお金の何割かを投資(私の場合はNISA)に回す事もできるのです。

投資というと、株とかFXなどの金融商品を連想されると思うのですが、私は自分の身体や精神状態への投資も大事だと思っています。

これも何回も書いているのですが、高齢になってくると免疫力が落ち、ちょっとした不摂生でも病気になってしまいます。

さらに、生活習慣から高血圧や肥満、さらに糖尿病などになる確率も高くなります。

まずは、自分の身体へ投資をして、健康をキープすることが大事だと思っております。

私は食生活を改善して、現役時代に続いていた腹部の不快感を解消しました。

現役の時は、いつも胃痛や慢性の下痢と便秘に悩んでいました。

昨年から食生活を変えたことで解消されたのです。

それと教養を高めるのも投資だとも思っています。

さすがに現役の時のように、ビジネス書を読むことは無くなりましたが、その代わり小説を読み始めました。

以前にも書きましたが、現役の頃に購入して読んでいた小説を読み直してみたのですが、全く覚えていませんでした。

だが、最近は依然購入した作家の小説を新たに購入して読んでいます。

私は経済小説が好きで、真山仁さんの「ハゲタカ」を購入しました。

現役の時とは違った視点で小説を読むことができるようになったと思います。

1999年から物語が始まり、当時の社会状況を思い出しながら、楽しく読んでいます。

とても、充実した楽しい時間を過ごしています。

 

そして、今回の本題になる金融商品への投資も、自分の出来る範囲で購入することも投資ですね。

前回も書きましたが、私はまとまったお金が無かったので(自分の小遣いの範囲内で始めたので)、株を買う事は出来ませんでした。

そこで、FXを始めたのですが、思ったより時間を取られたのと、夜中にPCとにらめっこをすることになり、また投機性が強く収益を上げることが出来ませんでした。

出来るだけ手間を掛けずに少額で楽しみながら出来る投資は無いかと探していたときに「積立NISA」を見つけたのです。

政府指導の投資商品という商品説明もあったので、投資素人の私には入りやすい印象でした。

で、早速始めたのです。

「新NISA」でも積立スタイルと、一括投資スタイルがあるようですが、当時ははっきりと「積立NISA」という名の商品がありました。

私は迷わず「積立NISA」で投資を始めることにしたのです。

理由は、まとまったお金が無かったからです。

毎月5,000円を月初に指定口座へ振り込むというやり方は、私には合っていました。

月の小遣いから5,000円を積み立てNISAへ移動する。すると定額の貯蓄になります。

さらに、そのお金は勝手に増えたり減ったりしてくれるのです。

投資ですから、増える時もあれば減るときもあります。

私の場合は、積立NISAを始めてすぐにコロナ禍の世の中になってしまい、さすがに元本割れが生じてしまい、かなり凹んだことを覚えています。

しかし、まだ始めたばかりだったので、元本が全くなくなるというまでにはならず、また、月々に定額を口座に振り込んでいくので、少しずつ元本も増え、収益がでるようになって来ました。

多分、一括で投資をしていたら、目減りする自分のお金を見ることになり、投資を辞めてしまったかもしれません。

しかし、月々定額を投資に回すことによって、貯金をしているような感覚だったので、抵抗はあまりありませんでした(正直、元本割れになったときは焦りましたが)。

元本割れの期間は、1か月程度で解消され、その後は収益がでるようになったので、安心でした。

投資の入門書には必ず「投資は無理のない範囲で」と書かれています。

まさにその通りです。私も月々5,000円なら、何かを購入したとか、誰かと飲み食いをしたと思えばいいと割り切っています。

妻に、「月々5,000円の投資なんてやっても、あまり効果が無いんじゃない」と言われたことがありますが、4年継続して現在の収益は100,000円となっています。

銀行預金や郵便貯金では、考えられないですよね。

私は、自分の健康状態とも相談しながらと考えてはいるのですが、75歳までNISAを続けようと思っています。

当初は70歳までに100万円を貯めたら、解約しようと思っていましたが、5年延長しようと思うようになりました。

確かに100万円は大きな金額ではないかも知れませんが、段々と年齢が上がって行けば、体力も落ちますし、自宅も老朽化します。

そのとき、不慮の出費が必要になるかもしれません。その時のために使うことも出来ますし、そう思えば100万円でもないよりはいいですよね。

さらに投資は、目的を持って始めることも大事だと思います。

目的がないと、ある程度金額が上がればその時に必要な事に使ってしまうことも出来ます。

ですが、目的を持っていればそんなことはないでしょう。

 

そして、最大のNISAの利点は、非課税だということです。

この点は、多くは語りません。

私はNISAの営業マンではないので、詳細はサイトなどで確認してください。

 

「お金に働いてもらう。」

この考えが投資の根本です。自分の身体と時間を使って稼いだお金に、もう一度働いてもらい、収入のバックアップをしてもらうのと安心を提供してもらうのが投資ですね。

 

私は投資を始めてよかったと思っています。

 

 

今回も薔薇を描いてみました。朝日に向かって咲いている薔薇は、神々しい光を放っているように感じました。今、大変な思いをされている方々が沢山います。心よりお見舞い申し上げます。