お早うございます。
今日は2月18日の日曜日です。
時間は4時。
今日は、自分の趣味についての思いを記してみようと思います。
趣味とはなんでしょう。
私の思う趣味とは、その事や物に対して費やす時間は気にならず、また没頭することの出来る事柄ではなかと思っています。
例えば、私の場合は「絵を描く事」、「経済小説を読むこと」、「芝居をやる事」が挙げられます。
さらに「ブログの原稿を書くこと」も挙げられます。
これらに事をやることは、私に負担になりません。
許されるなら、時間を気にせずに没頭することが出来ます。
しかし、体力的問題とか、集中力の継続が年齢とともに短くなってきているのは否めません。
ですが、これらの事をやりたいと思ったら、夜中であろうが、朝方であろうが始めることが出来ます。
そして、やっている間は脳内ホルモンのアドレナリンが分泌されているため、とても楽しく幸せでいられます。
これが趣味なのかも知れません。
他人から見れば、おかしな事でも本人が楽しく、時間を忘れて没頭することが出来れば、それが趣味だと思います。
話は突然変わりますが、私はテレビ東京の「なんでも鑑定団」という番組を好んで視聴しています。
テレビ東京の看板番組ですよね。
一般の方の趣味であるコレクションをスタジオに持ち込んで、または会場に持ち込んで専門家に鑑定をしてもらい、金額を査定してもらう番組です。
私がこの番組が好きなのは、コレクションを持ち込む参加者が、とても楽しそうにしているからです。
自分が集めたコレクションに自信を持っており、家族や知人から何を言われようと気にせずに集めて、そのコレクションを愛おしそうに眺めている時間を至福の時と思っている。
周りにいる方から見れば、「なんでそんなに集めなければならないのか」「お金と時間と場所の無駄使いをしているだけではないのか」と思っているのでしょうが、本人が幸せそうにコレクションを眺めている姿を見たり、聞きたくもないけど、コレクションの話を楽しそうに語る姿を見て、呆れながらも許してしまい、幸せのお裾分けを貰っている(いや、本当に迷惑している方もいるかも知れませんが)のではないでしょうか。
番組では、持ち込まれたコレクションを鑑定して、そのコレクションの価値を査定するのですが、高額が付けば本当に喜び、判定の結果が芳しくなくて落胆しても、コレクションを辞める方は少ないのではないでしょうか。
(投資目的で物品を集めている方は趣味とは言えません)
そのような点からあの番組を視聴すると、とても素晴らしい番組だと思います。
なかなか、あの番組に出演されるコレクターのように時間とお金をつぎ込むことは出来ませんからね。
話を元へ戻しましょう。
定年前の私は、趣味を聞かれるのが嫌でした。
私は無趣味だと思っていましたし、趣味など持つほど時間とお金に余裕がありませんでした。
とは言え、仕事以外に何もしなかった訳ではなかったのです。
例えば、30年程前にレンタルビデオ店が出来始めた頃、ビデオデッキを購入して映画のビデオを借りて、ダビングして楽しんだこともありました。
ビデオデッキを2台購入して、1台を再生専用にし、もう1台を録画専用としてダビングを楽しんでいました。
当時は1泊2日でレンタル料が500円もしたので、ゆっくりと映画を鑑賞するにはダビングして時間のある時に観るようにしていたのです。
ビデオのストックもその時は100タイトル位持っていました。
しかし、この趣味はダビング防止の信号が入るようになって出来なくなってしまったのです。
当時のビデオテープは全て処分してしまいました。
今となっては懐かしい思い出ですし、いまどきビデオテープなんて言っても解らない方も沢山いるでしょうね。
コレクションは、時代が変化しても価値(金額だけでなく、その物の持っている用途等)が変わらない物でないと、ゴミになってしまう事を知りました。
その点では書籍はいいですね。購入して読み終えても、時間が経った後にまた読むことが出来ます。
そして、最初に読んだ時とは違った気付きがあったり、なんでこの本を購入したのかと、購入した時を思い返すことが出来ます。
ですので、読書は永遠の趣味と言えるのかも知れません。
自分の好みの作家の作品や、ジャンルの小説を購入するのは楽しいでしょうし、本屋さんで探していると時間を忘れてしまいます。
勿論、読んでいる時は時間を意識せず、書籍の文字に没頭してしまいます。
だから、私にとって読書は趣味といえると思いました。
しかし、現役で働いている時は、ビジネス書が中心となり、資格試験の参考書や業界関連の書籍、職種に役立つ書籍を購入する事が多く、読書も仕事になってしまっていました。
定年になって、その手の書籍は不要と思い処分しようとまとめてみましたが、手放す気にはなれず、部屋に隅に積んであります。
多分、もう読むこともないと思いますが、自分の過去を処分するような気がして処分できません。
この手の書籍も時間が経過すると情報が陳腐化して役に立たなくなるのですが、それでも捨てることができません。
しかし、見かたを変えれば、当時はこんな事が話題となり、こんな考えがあったという資料的な価値は残るかも知れませんね。
芝居は現役の頃から始めていました。
ある方にお誘いで始めたのですが、その劇団はホームにしている劇場も確保している劇団で、ノンプロ劇団として活動をしていたのです。
私はサラリーマンでしたが、団員の中には、大手企業に勤めている方もいたので、抵抗なく芝居活動をすることが出来ました。
芝居の稽古は週末(土曜日と日曜日)で、朝から夕方まで行われ、公演が近づくと平日の夜も稽古になりました。
普通に考えたら、こんなことも出来ませんよね。
会社の業務が終わって、7時頃から10時位まで稽古をするのですから、さらに土日は、毎週稽古になるのです。
自分の時間が全くなくなりました。
でも、楽しかったのを覚えています。
お金を頂いて芝居を見て頂くのですから、中途半端は芝居は出来ません。
全員が真剣に芝居と向き合っていました。
団員の中には、テレビに出演できるようになった人もいますし、現在ではかなり有名になった方もいます。
でも、当時はお金に困っていて、みんなでご飯を食べに行くとき、お金がないからいけないというほどでした。
何度かご馳走したことがあります。
ここまで来ると、趣味とは言えなくなってしまい、3年位活動をしていたのですが辞めてしまいました。
確かに時間を忘れる位に没頭することも出来たし、とても充実した時間を過ごすことも出来ました。
しかし、半数位の団員は演劇で食べていきたいと思っている劇団でしたので、私のような趣味の延長の人間がいる場所ではないと判断して辞めたのです。
ですが、この経験は忘れる事が出来ず、現在は趣味で集まった地元の劇団に所属して芝居を楽しんでいます。
芝居の醍醐味は、稽古は地味で辛いのですが観客が入って舞台に立ち、拍手を貰うとすべての辛さが忘れられて、とても幸せな気持ちになるし、一緒に稽古してきた団員との絆が嬉しいのです。
稽古の時は、お互い厳しい批評をし合い嫌味も言われますが、それも観客にみっともない芝居を見せたくないという思いから出る言葉なので、公演が終わるとみんなが素晴らしい表情になるのです。
この感動が忘れられなくて、また始めてしまいました。
今度の劇団はボランティアが活動のメインなので、お金を頂いてみて頂く事はありません。
でも、手を抜くことなく芝居と向き合っていますし、観客は老人ホームや小学校等への出張公演が中心なので、観客との距離が近くてストレートに芝居の評価を頂くことが出来ます。
面白かった時は観客が笑顔になり、ちょっとでもつまらないと笑顔はありません。
だから、例えボランティアで無料と言っても、演目に手を抜くことは出来ないのです。
自分への見返りは観客の笑顔だけです。
時間も運営経費も団員の自腹です。
でも、辞めることは出来ません。これも趣味なのです。
ネットニュースで、40代から50代で趣味がないと言われる方が沢山いると書かれていました。
しかし、自分が気づかないだけで、何かしらの趣味はあると思います。
つい、同じものを買って食べてしまうのも、趣味かも知れません。
韓流ドラマを観てしまう。お休みの日は洋服を購入するためにショッピングに行ってしまう。雑誌で見つけたレストランに行って食べてしまう。
これらも趣味と言えるのではないでしょうか。
それから、面白そうなブログを探して、ネットの中をうろつきまわるのも立派な趣味ですよね。
趣味は自分が心地よくなれて、時間すら忘れて没頭出来ればいいのではないでしょうか。
例え誰かに自慢できなくても。