65年の生涯を振り返ってみる(中・高校時代)

こんにちは。

 

今日は12月2日の土曜日です。

時間は14時25分。

晴れています。しかし、寒いです。

昨日から急に寒くなりました。

 

いつもは日曜日の早朝に書いているのですが、今回は土曜日の午後に書いています。

月2回は演劇の稽古があるので、土曜日に書くことが出来ませんが、今日と第3土曜日は演劇の稽古が無いので、土曜日に書くことにしました。

 

では、前回の続きで今回は中学生と高校生時代を思い返してみましょう。

中学時代は、部活に力を入れました。

運動部はテニス部に入部し、文化部は演劇部に入部しました。

テニスは軟式テニスでした。

テニス自体は面白かったのですが、私はあまり上手になる事は出来ませんでした。

幼少期に運動をすることが出来なかったのもあるのでしょうが、あまり運動は上達しませんでした。

それでも、3年間諦める事もなく、テニスは続けることが出来ました。

お蔭で体力も付き、健康になることが出来ました。

中学生になると、中間試験や期末試験が行われ、小学校のように相対評価ではなく、テストの点数で成績が明確に判断されるので、私は勉強が嫌いではなかったということもあり、成績は学年の上位になる事が出来ました。

しかし、体育と数学は超苦手で、どんなに頑張っても上位に上がる事が出来ず、その2教科が足を引っ張ってしまい、ベスト10入りは出来ませんでした。

得意な科目は社会系(地理、歴史)と語学(国語、英語)。

理科は生物系は得意でしたが、物理系(力学等)はあまり好きではありませんでした。

美術は好きでしたので、成績もよかったです。

田舎の中学校でしたので、通学は自転車通学となり、雨でも雪でも自転車で通学していました。

中3になり、受験を意識するようになると、どこの高校を希望するかという事で、親と先生と生徒の3者面談が行われるのですが、私の場合は母と兄でしたので、3者面談を行った記憶がありません。

その頃の私は、将来どんなことをやりたいかという希望もなく、担任の先生のアドバイスをそのまま受け入れて受験する高校を決めてしまいました。

しかし、中学2年の担任が美術の先生で、その先生が、時間割を明朝体で綺麗に作成され、自分もデザインとか広告の仕事がしたいと思ったものでした。

しかし、3年の担任は現実的な考えの先生で、確実に入学できる高校を進めてきたので、なんの迷いもなく、その高校を受験しました。

受験は問題なく合格し、高校はバスと電車で通学することになりました。

高校時代は、勉強よりも自分のやりたいことを優先し、地域のボランティア活動をする高校生の団体に入会し、週末はその仲間と一緒に子供達とゲームをやって遊んだり、老人ホームに慰問に行って、お手伝いをしたりと忙しく過ごしました。

特に夏休みは、そのような活動をしている他校の高校生と交流を深めるため、また、県の社会福祉協議会の主催する研修やセミナーに参加するため、県内を移動して歩きました。

そこで知り合った他校の人と交流を深め、自分達でもセミナーや研修会を企画し、社会福祉業議会に働きかけ、県の宿泊研修所で泊まり込みの研修を行ったり、そのサークルで知り合った寺の息子に頼んで、何人かで寺に寝泊まりさせて頂き、座禅を組んだり、朝のお勤めをさせて頂いたりと、それは楽しい高校生活を過ごしました。

その一方で、私は結構やんちゃだったので、危ないグループとも繋がりを持ち、高校1年の時に、地域のチンピラ5人に袋叩きに合い、死にかけた事もありました。

キッカケは、私の先輩がそのような輩と仲が良かったので、一緒に遊んでいたのですが、結局は余所者だったので、つまらないいざこざに巻き込まれ、敵対するグループに捕まってしまい、袋叩きにされたのです。

その件がきっかけで、そっちのグループとは縁を切り(結構、大変な思いをしました)、ボランティアの世界に進んだのです。

それからは、ボランティア活動に没頭し、高校3年生の時は、県の代表として全国のボランティア活動団体のシンポジュームに参加させて頂き、今は無くなりましたが東京の代々木にあった、オリンピック村研修センターで行った研修会に参加させて頂き、日本中の方と有意義な時間を過ごしたことを覚えています。

そんな事ばかりやっていたので、大学受験の為の受験勉強は手を付けることが出来ず、1年浪人しましたが、合格することは出来ず、受験は諦め、デザイン系の専門学校に進むことにしたのです。

社会福祉業議会の方から、日本福祉大学などの福祉系の大学に推薦を取れるように便宜を図ってあげるとも言われたのですが、私立大学に入学するだけの費用を賄うことが出来なかったのです。

父が亡くなってからは、母と兄に面倒を見てもらっていたので、これ以上、家族に負担を掛けたくなかったという考えもありました。

専門学校には、浪人時代にアルバイトをやったお金を充当して入学したのです。

茶店のアルバイトでした。

このバイトも、高校時代の友人の紹介でやらせてもらうようになり、当時としては結構なバイト料を貰っていました。

茶店といっても、パーラー系の店でしたので、パフェやケーキに併せて、コーヒーや軽食のサンドイッチなどを出すお店でしたので、お客の半数は女性でした。

高校生の女子もよく来るようなお店でしたので、当時はよく声を掛けて頂きました。

何度か、バイトが終わった後に年上の方と待ち合わせてご飯に連れて行ってもらったこともありました。

丁度、バレンタインが流行り出した事もあり、2月14日にはチョコレートのプレゼントを沢山頂いた記憶があります。

今となれば、いい思い出です。

 

さて、次回は成人してからを思い起こしてみたいと思います。

 

今回もバラです。今年はバラを描いて年を締めくくりたいと思っています。水彩画を始めてよかったと思っています。最初は絵にならなかったのですが、描き続けていくうちにすこしづつ絵になって来ました。しかし、まだまだです。来年も描き続けようと思っています。